徒然なるままに 19

つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ



2016.12.30  パソコンで困った
 暮れも押し詰まって、インターネットで調べものをしていたら、突然「Windowsセキュリティの需要な警告」との表示が出た。表示された電話番号に電話をすると、たどたどしい日本語の女の子がアレコレ教えてくれるのだが埒が明かない。止む無くパソコンをシャットダウンして、ヨドバシカメラのPCドックへパソコンを持ち込んだ。

ドックでPCを診てもらったところ「新手の詐欺」とのことであり、
 @PCがウィルスに侵されていることはないと思われるが、PCを工場出荷時の状態にリカバリするのが最善である。
 A電話番号(ケイタイ)を知られているので後日振り込め詐欺の電話がかかるかもしれない。

 この日はずっとこの表示が出ていたが、翌日PCを立ち上げたらこの表示は無くなっていてPCは正常に作動しているので、当面はこのままの状態で使うことにし、いつの日かPCをリカバリしたいと思っている。
 なお、その後振り込め詐欺と思われる電話はかかってきていない。 





2016.12.20  術後の検査
 退院してから2週間が過ぎた。久しぶりに病院へ行き、採尿・採血ををしてから主治医の診察を受けた。自身でも何も異常はないが、診察の結果は大変良好であるとのことであり先ずは一安心である。ただし、患部を刺激するするので引き続き自転車に乗ることは控えた方が良いとのことであった。
 次は術後3ヶ月の検査を2月中旬に受ける予定である。





2016.12.8  退 院
 遂に24日目になってしまった。こんなに長くなるはずではなかったが、外来で内科を受診する予定日が間近に迫っていたので、内科を受診してからと退院を伸ばしてしまった。この日が天気が好くて病室から富士山を眺められそうだし、この病室の居心地が良かったのも退院を伸ばした理由の一つである。
 この朝は、予想どおりの好天で退院を祝福するかのように、雲一つない青空が広がっていて真っ白な富士山ががきれいだ。






2016.12.6  富士山
 前夜半に雨が降ったが、夜明け前には雨も上がり青空が広がっている。そして、この日は一日中穏やかな天気で夕方まで晴れていて夕焼けが綺麗だった。あと2週間もすれば太陽が富士山のテッペンに沈む"ダイヤモンド富士"が見られるのだが、そこまで入院しているわけにはいかない。(左の塔は川崎消防署の電波塔です。)





 入院22日目になってしまった。リンパ液の洩れはほぼ無くなり、主治医は退院しても良いと言っている。しかし、12月7日にこの病院の内科外来を受診する予定になっている。そこで、7日に内科を受診して8日に退院することになった。





2016.12.3  Wi-Fi
 この病院へは他の病気で以前から外来で診療を受けている。外来の待合室に"Free Wi-Fi"のステッカーが貼ってある。iPadを持参してインターネットを見るようになってからは、外来の待ち時間が長いことがあまり気にならなくなった。
 このサービスは待合室だけのことであり、病室ではインターネットは繋がらない。仕方がないので、息子からWi-Fiルーターを借りてきた。これの使用については特別の規制はかかっていないようで、どこででもPCやiPadは繋げられている。

だが、携帯電話については一部の場所を除いて規制がかかっている。規制が解かれているエリアにはその旨のステッカーが貼ってある。 





2016.12.1  リンパ液
 今日から師走 12月になった。昔から、「歳をとると一日を長く感じ一年を短く感じる」とよく言われているが、今まさにそれを実感している。
 手術後2週間になったが、リンパ液の漏れが一時から比べると大分少なくなたものの通常よりは多いらしい。そのため、入院が少し長引いている。まあ、この病室は居心地が良いので長くなっても良いのだが、早く退院出来るにこしたことはない。





2016.11.29  らじる らじる
 家にいるときはラジオをよく聞いているので、入院するときも携帯ラジオを持ってきた。ところが、FMは入るがAMが聞こえない。家で普段使っている卓上のラジオも持ってきてもらったが結果は同じだったので、病院内に電子機器がたくさんあるからなのだろうと思っていた。しかし、これは建物の遮蔽性が高いためAM波をはねつけているためだと、主治医が雑談の中で教えてくれた。
 仕方がないので、PCでインターネット「NHK らじる らじる」に接続してラジオを聴くことにした。音質はとてもクリアである。当然のことながらNHK第1放送・第2放送・FM放送のみで、民放は聞くことは出来ない。





2016.11.27  富士通スタジアム川崎
 眼下にスタジアムが見える。昔は川崎球場だったが、今は「富士通スタジアム川崎」と名を変えてアメリカンフットボール場になっている。
 かっては大洋やロッテのフランチャイズ球場だった。大洋が横浜ベイスターズと名を変えて横浜へ行ってしまい、ロッテも千葉ロッテと名を変えて逃げて行ってしまった。
 横浜ベイスターズは今年は頑張ってペナントレース3位になり初めてクライマックスシリーズに進出したが、所詮ここまでで日本シリーズに進出することは出来なかった。
 昔の大洋も弱かった。相手チームの勝ち星をみんな預かって横浜銀行などと揶揄されていた。そんな大洋が一度だけリーグ優勝し日本シリーズに進出したことがある。監督は名将三原監督だった。
 このとき、高校2年生か3年生だったが、翌朝のスポーツ新聞に観客席のスナップ写真が載りそこに学校をサボって日本シリーズを見に行った級友が写っていた。彼が先生からこっぴどく叱られたことは言うまでもない。






2016.11.26  パソコン&ラジオ
 入院中をどうやって過ごすかいろいろ考えたが、文庫本数冊とノートパソコン・Wi-Fiルーターを持ち込んだ。これがあれば退屈することはないだろう。
 ラジオも持ってきたが建物の構造上のためか雑音がひどくてよく聞こえない。そこで、インターネット(NHK らじる らじる)で聴くことにしたが、音質はクリアである。





2016.11.25  富士山
 昨日は東京・横浜で今年初めての雪が降った。11月の降雪というのは50年振りのことだったらしい。病室の窓からもいかにも寒そうな横殴りの雪が降る様子を見ていた。でも、積もることはなかった。
 一夜明けたら昨日の天気が信じられないような青空が広がっている。入院して11日目にして初めて富士山がその姿を見せてくれた。






2016.11.22  入院生活
 術後1週間になったが、経過は良好である。主治医はこの分では退院が少し早まるかもしれないと、嬉しいことを言ってくれている。でも、12階のこの個室はとても居心地が良いので、無理に退院を早めなくても良いのだが〜〜
 この部屋は、バスはないがトイレ・テレビ・冷蔵庫もあって、ビジネスホテルのシングルルームといったところである。室内は空調がほどよく効いていて、西側には横浜港から箱根・丹沢・富士山に続く山並み。そして、デイルームへ行くと南側には東京湾から房総半島が眺められる。
 
 主治医の回診は朝夕2回と頻繁であり、看護師も随時様子を看に来てくれる。手厚い看護である。
 朝6時病室に灯りが灯ると、1階のコンビニへコーヒーを買いに行く。今流行りのコンビニコーヒーである。このコンビニは24時間営業、客層は多種多様であり、先日は深夜に救急車の隊員が来ていた。このところ朝のモーニングコーヒーが習慣になってしまった。





2016.11.16  手 術 
 手術は午前10時に麻酔薬を注射することから始まったが、その後の記憶は全くない。気がついた時は、深夜に12階のハイ・ケア室(看護婦室に隣接)だった。 そして、完全に記憶が甦ったのは、手術開始から24時間後に自室に戻った時だった。
 
 私が受けた手術は、複数のロボットアームを遠隔操作して内視鏡手術を行う医療用ロボットで行われたものであったが、その概要については、市立川崎病院ホームページで次のように説明されている。
複数のロボットアームの先端にはメスや鉗子が装着されていて、モニターに映し出される内視鏡画像を見ながらレバーを動かしアームを遠隔操作して手術を行うもので、人間の手より広い可動範囲で、繊細な動きと素早く正確な手術を実現している。
  写真は市立川崎病院で行っている
  医療用ロボット「da Vinci  ダ・ヴィンチ」





2016.11.15  入 院
 手術日の前日に入院した。病室は15階建ての病院の12階の個室だった。晴れていれば富士山が見えるのだが、この日は生憎の曇天で富士山はその姿を現してくれない。
 明日は午前9時半に5階の手術室に入り、そこで麻酔薬を注射すれば、その後は「夢の中」。

 入院する前に旅行に行こうと妻が言い出した。考えたら、山登り以外で妻といっしょに旅行に出かけたことはもう何年もない。妻は私の好みに合わせて旅先の選定から列車、ホテルの予約までやってくれた。出かけたのは木曽路と大和路だった。夫婦で旅行に行ったのは久しぶりだったが、思い出に残る旅になりました。 





癌が見つかった
 8月下旬のことだった。トイレが近いことから以前から通院していたが、NK病院の泌尿器科の医師が「一度、前立腺癌の検査をしてみましょう」と言われるので、1泊2日の検査入院をした。その結果、癌が見つかったが転移はしてなくてステージも「2」であった。
 医師は対処法として@抗癌剤療法、A開腹手術、B内視鏡手術を説明してくれ、B内視鏡手術はNK病院にはその設備がないので他の病院を紹介する。
 インターネット、本を読んだりした結果、最先端のB内視鏡手術を受けることにして、川崎市立病院に紹介状を書いてもらった。
 NK病院の検査結果等を持って川崎市立病院へ行ったところ、この手術は2ヶ月の順番待ちで手術日は11月16日になった。 (9月12日)








2016.10.28〜30  大和路の旅
 今回の奈良への旅は、伝建地区に選定されている3ヶ所の町並みを見ることです。
 何回か京都へ来ている妻は、京都駅で勝手知ったる様子で近鉄線の特急券を買ってきた。大和八木で近鉄大阪線に乗り換えで榛原へ、更にバスで20分ほどの宇陀市松山が今回の旅の最初の目的地。ここには古い町並みが残っていて、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。町並みの中に造り酒屋があり、ここで飲んだドブ酒が美味しかった。この日は橿原神宮前の橿原ロイヤルホテルに泊まる。
 翌日、近鉄・JR和歌山線を乗り継いで五条市へ。駅から歩いて数分の五條新町通りの町並みを見学し、再び電車で橿原神宮前へ行って、広い橿原神宮を参拝してから前夜泊まった橿原ロイヤルホテルに泊まる。
 3日目は、八木西口駅からすぐの今井町へ行ってみた。今回の旅の最大の目的地である今井町の町並みはとても見応えのある町並みであった。
 充実の大和路2泊3日の旅でありました。

宇陀 松山   五條新町   橿原市今井町





2016.10.15〜16  木曽路の旅
 週末の東海道新幹線はスーツ姿は少なく行楽に出かける人でほぼ満席だった。名古屋で中央線に乗り換えて中津川からバスで30分ほどの馬籠は観光客で大賑わいである。中山道の宿場だが、ここは町並みが商業化されていてお土産屋や食事処はどこも人・人である。
 妻は馬籠宿から妻籠宿へ旧中山道の街道を歩いて行ったが、私は膝の調子が芳しくないのでバスに乗った。妻籠宿も観光客はいるが馬籠ほどではなく、お土産屋も少なく町並みがとても良い。
 この日は旅館「藤乙」に泊まったが、この宿がとても良かった。直前になって予約したのだったが、この日の宿泊客は我が夫婦のほかに欧米人が10人ほどで英語・フランス語が飛び交っていた。
 翌日、妻籠宿から旧中山道を1時間ほど歩いた南木曽駅から中央線で奈良井へ。奈良井宿も観光客が多くとりわけ中国語・ハングルが飛び交っている。
 奈良井から再び中央線の電車で塩尻へ行き、塩尻で特急「あずさ」に乗って帰ってきた1泊2日の木曽路の旅でありました。 

 馬籠宿  妻籠宿  奈良井宿





2016.9.27〜28  身延線沿線の旅
 東海道線富士駅から乗った身延線の電車は30分ほどで富士宮駅に着いた。先ず富士山本宮浅間大社へ行ってみた。富士山山頂にはこの神社の奥宮が祀ってあるが、この富士宮の神社が由緒正しい本宮である。本宮からは雲一つない富士山の山頂が眺められた。
 今回の旅の主目的は山梨県早川町赤沢集落なので、再び電車に乗って身延へ向かった。赤沢は山深い地で昔講中宿で賑わった所だが、現在は旅館が1軒あるがその旅館を予約出来なかったので、身延駅前の旅館に泊まり、翌朝一番 7時のバスに乗った。
 
 バスの運転手は、赤沢入口から講中の客を送り迎えするタクシーがあることを教えてくれ、さらに無線でタクシーを予約してくれた。お陰で赤沢入口からの1時間余の坂道を歩かないで済んだ。
 赤沢の集落は斜面にあるひっそりとした集落である。そこに講中宿「江戸屋」があり、お婆さんが玄関先に出ている。お婆さんは江戸屋の27代目の女将さんで今年93歳になる。江戸屋は元々は長野県望月宿で旅館を営んでいたが7代目が赤沢に移り旅館を始めたとのことだ。
 このお婆さんは足が少し不自由だが目も耳も達者で、元気の秘訣はここを訪れる人と話を交わすことだと言っていました。
赤沢宿「江戸屋」の表看板 27代目お女将さん


    富士山本宮浅間大社  赤沢宿





2016.9.9〜10  亀山への旅
 三重県亀山 関宿へ着いたのは午後3時だった。江戸時代、伊勢参りで賑わった関では「関で泊まるなら玉屋か鶴屋〜」と謡われていた。その玉屋は、現在関宿玉屋歴史資料館になっている。
 玉屋資料館で妙齢の女性に出会った。彼女は東京から来たそうで、街道歩きが好なのでこれから亀山宿まで歩いて行くと言って亀山へ向かって歩いて行った。私は夕暮れまで関宿を散策し電車で亀山へ行き、この日は亀山駅近くのホテルに泊まった。
 翌日、浜松で途中下車して1週間前に入った老舗のうなぎ屋で再びウナギを食べた。今度はうな重を頼んだが、これはことのほか美味しかった。
 この日、浜名湖・弁天島でロックバンドの野外コンサートがあるそうで、浜松駅は大変な混雑で駅のホームへの階段を上がれない。そのため、予定していた電車に乗り遅れてしまったが、なんとか次の電車で帰ってきた2日間の亀山への旅でありました。
関 宿





2016.8.30〜9.1  近江への旅
 東北、北海道に大きな被害を及ぼした台風10号は、この朝房総半島の東方を北上していた。その影響で出かける時はかなりの大降りであった。その雨も東海道線の電車が静岡に入る頃には上がり、名古屋に着いたときには青空が広がっていた。
 米原で乗り換えたJR琵琶湖線能登川駅から乗ったバスは乗客は私だけで、運転手と会話しながら15分程で着いた五個荘金堂町は国の伝統的建造物群保存地区に選定されているが、観光客は疎らである。みんな近江八幡へ行ってしまうのだろう。
 この日は近江八幡駅前のホテルに泊まり、翌日はレンタル自転車を借りて近江商人の町「近江八幡」を観光。こちらは観光客がそこかしこにたむろしている。近江商人の屋敷を見てから食べた近江牛の昼食は美味しかった。
 この日も前日と同じホテルに連泊し、翌日は浜松で途中下車して老舗のうなぎ屋でウナギを食べてきた3日間の旅でありました。

近江八幡 新町通り

五個荘金堂    近江八幡




2016.8.16  宇都宮
 最近はB級グルメばやりで、宇都宮は餃子の町としてアピールし市内には80軒ものお店があるそうだ。初めて降り立ったJR宇都宮駅前の広場には「餃子像」が立っている。ビーナスが餃子の皮に包まれた像は宇都宮特産の大谷石を使って彫刻されている。
 駅前の餃子専門店に入ってみた。その種類の多さに驚きだが、一番一般的な焼き餃子を食べたが美味しかったです。
 この後、30分ほどバスに乗って大谷石資料館へ向かった。


大谷石採石場地下空間





2016.8.3〜4  島田から遠州森へ
 初めて降りた東海道線島田駅は、どこにでもある地方都市の駅だが駅前は整然と整備されている。最近はどこの駅に降りても駅前に観光案内所がある。島田の観光ポイントの地図をもらい、レンタル自転車を借りて先ず蓬莱橋へ向かった。15分程で着いた蓬莱橋はギネスブックにも認定されている木造橋としては世界一の長さを誇る橋である。全長897mを歩いて往復する。下を流れる大井川は結構流れが速く橋の欄干が低い。 この後、大井川川越遺跡を見てから島田駅に戻り電車で掛川へ行き、この日は掛川駅前のホテルに泊まる。
 翌日、天竜浜名湖鉄道で森の石松で知られている遠州森へ。ここでも駅でレンタサイクルを借りて、秋葉街道城下の町並みを巡ったがとにかく暑い。城下(しろした)の辺りは遠州の小京都を標榜しているが、往時の旅籠や蔵がわずかに残っているだけでちょっと物足りない街並みだ。
 この後、天竜浜名湖鉄道で掛川に戻り、東海道線で帰ってきた1泊2日の静岡の旅でありました。 

蓬莱橋


島田(蓬莱橋・川越遺跡)  遠州森





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