関  宿


 関は古代から交通の要衝であり、古代三関の一つ「鈴鹿関」が置かれてれていた地で、関の名前もこの鈴鹿関に由来しています。
 江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として参勤交代や伊勢参りの人々で賑わっていました。
 現在、旧東海道53次の宿場町のほとんどが旧態を留めない中にあって、唯一歴史的な町並みが残っていることから、国の伝統的建造物群保存地区に選定されています。
( 三重県亀山市  平成28年9月9日 )










百六里庭・眺関亭(ひゃくろくりてい・ちょうかんてい)
 町並みの中ほどに小公園がある。関宿が江戸から106里(420Km)あることから百六里庭と名付けられていて、通りに面した建物「眺関亭」からは関宿の家並みが一望できる。










橋爪家
 橋爪家は、代々橋爪市郎兵衛を名乗り寛文の頃から両替商を営み、江戸時代には大阪の鴻池家とも並び称せられていた豪商である。そして、江戸末期には芸妓の置屋としても栄えた。
 街道に面しての手摺り付きの2階妻入り建物であるが、これは明治期に改造したものであり、元々は平入りの屋根であった。




石垣屋  正面二階にある漆喰で塗り籠めた虫籠窓(むしこまど)が往時を物語っている。
 初代石垣杢平(享和2年・1603生)が肥料商を始め、後に2代目杢平が米穀の販売も手掛け明治24年に現在の屋敷を建てた。その後、5代目敏夫が戦後から昭和末年まで商売をしていたが、現在は6代目が旅人の宿を営んでいる。 




旅 籠 と 町 家

















町 並 み








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