五個荘は琵琶湖の東 湖東平野の中央に位置し、江戸時代後期から明治・大正・昭和にかけて、数多くの近江商人を輩出した。彼らは京都・大阪・東京等に出店を持ったが、郷里を離れることなく五個荘に本宅を構えたため、商人の本宅と農家住宅が一体となった現在の町並みが形成された。 |
近江商人とは近江に本拠を置く他国出稼ぎ商人のことで、五個荘商人・八幡商人・日野商人等によって代表されている。それ以外にもいくつかの地区から商人を輩出したが、これらを総称して近江商人と呼ばれている。 |
近江商人の商法の特徴としては次のような点が挙げられる。 @ 呉服・漆器・小間物など多種多様の商品を行商形態で行った。 A 全国各地に支店を出した。 B 商業だけでなく金融業・製造業・油絞業など営業の種類が多岐にわたった。 |
五個荘の商人は、同じ近江商人であっても八幡商人・日野商人と比べて活動の年代が比較的新しく、取り扱い商品は呉服・麻布など繊維関係が主で、活動地域は関東・信濃・奥羽地方などが主だった。 また、地域的にも八幡商人・日野商人と異なり、町場(町方)として掌握されるのでなく、あくまでも村方(在方)として存在していた。 |
外村宇兵衛邸は、近江商人として活躍していた外村与左衛門(6代)の末子義久が享和2年(1802)に分家して宇兵衛家を興したものです。文化10年(1813)に独立して商いを始め、東京・横浜・京都などに支店を有し呉服類の販売を中心に商圏を広げ、明治時代には全国長者番付に名を連ねるなど近江を代表する豪商としての地位を築いた。 屋敷は主屋・書院・米蔵・納屋など10数棟に及ぶ建物が建てられていたが、後に建物や庭の半分が取り壊され、現在は伝統家屋博物館として一般公開されている。 |
外村宇兵衛の分家 外村繁邸に伝わる近江商人の妻の心得 |
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