徒然なるままに 18

つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ




2016.7.27  伊香保温泉
 急に思い立って30数年ぶりに伊香保温泉へ行ってきた。温泉には一応浸かったが、石段街では何やら派手なドレスを纏ったおばちゃんがかっ歩している。
 聞けば、この日から3日間フラダンスのフェスティバルが開かれているとかで、石段街に設えた急ごしらえのステージで昔娘が入れ代わり立ち代わりフラダンスを踊っている。
 

伊 香 保





2016.7.21  塩山へ
 40数年ぶりに降りたJR中央線塩山駅はすっかり様変わりしている。訊いてみたら駅が東京側に少しずれて駅前広場も整備されたとのこと。駅舎は橋上駅になり昔の面影はまるでない。駅前広場には武田信玄の像が鎮座していて、道路を隔てた所には江戸時代に建てられたと言われる甘草屋敷が見える。
 昔は塩山市だったが、小泉内閣時代の平成の大合併で隣接の勝沼町・大和村を合併して現在は甲州市になったが、駅名の塩山駅は健在だった。
 塩山の地名の由来については諸説あるが、塩山駅の北方に標高554mの小高い山「 塩ノ山」があり、これが語源になっているようだ。平地の中にぽつんと小山があって四方から見渡せるため「四方の山」と呼ばれ、これが変化して塩山になったというのが有力である。

 今回、塩山へ来たのは前記の甘草屋敷を見学することと、塩山駅の北7キロほどにある伝統的建造物群保存地区「上条集落」を訪れるためだった。

塩山駅北口広場(武田信玄が鎮座している)





2016.7.7  ポタリング
 週に何回かやっている朝の散歩はこのところ専らウォーキングだったが、久しぶりに自転車でのポタリングをやってみた。以前せっせとやっている頃は横浜港への往復約30キロが多かったが、久しぶりなので近場の羽田空港への往復20キロコースにした。
 滑走路を見下ろす展望デッキから飛行機の離発着を眺める。それにしてもなんと飛行機の離発着が多いことか、それだけ日本も国際化したということなのだろう。天気は良いのだが靄がかかっているのかスカイツリーやゲートブリッジが薄ぼんやりとしか見えない。
 今日は七夕なので、国際線ロビーの江戸舞台には七夕の飾りがしてあり、外国人観光客が物珍しそうに眺めていてしきりに写真を撮っている。






2016.7.1  鴇田家住宅
 上野駅からから京成本線で1時間弱の実籾駅のほど近い所に、江戸時代に名主をつとめた鴇田家の住宅が建築当初の姿で移築復元されている。1727年に建てられた瓦葺き寄棟造りのこの建物は、平成3年まで実際に居住していたそうです。鴇田家はこの建物を習志野市に寄贈し、千葉県有形文化財に指定されている。
 そして、現在は習志野市が維持管理し公開していて、管理を委託された人は茅葺き屋根に虫が湧かないように毎日午前中カマドで火を焚いている。このオジサンがこの地区の歴史や建物に詳しくて、いろいろと説明してくれました。







2016.6.24  ジャカランダ
 横須賀でジャカランダが咲いていると耳にしたので、横須賀駅近くの神奈川歯科大学へ行ってみた。大学の入り口の守衛所で手続きをして入って行くとカメラを手にした人が大勢いる。花の盛りは少し過ぎたかなというところだが、淡い紫色のジャカランダは綺麗だった。
 白衣を着た学生や教師が構内を散策している。ちょうど通りかかった白衣の女性教師がこの木は日本での北限であり樹齢は30年になると教えてくれた。
 ジャカランダを初めて見たのは、20年ほど前にオーストラリアのシドニーであり、その後ケニアのナイロビでも見た。そんな中でも、キリマンジャロ登山に行ったときにタンザニアで見たジャカランダの並木道が印象に残っている。
 





2016.6.19  円月橋
 東京ドームの隣の都立の日本庭園「小石川後楽園」に樹々に囲まれて古い石の橋が架かっている。石橋は半円を描き、水面に映る姿が満月のように見えることから「円月橋」と呼ばれている。
 江戸前期に造られた日本最古の石造りのアーチ橋と言われていて、長さ11m、中央の高さ4m。生活用水に使われていた神田上水跡に架かっていて、かっては人が行き来していたが、急勾配の上に老朽化もあり現在は渡ることが出来ない。
 園内は都会の真ん中とは思えない静かさだが、この日は隣の東京ドームでセ・パ交流戦が行われていて、時折りその応援の歓声が聞こえてくる。 
 





2016.6.12  覚園寺
 久しぶりに鎌倉へ行ってきました。
 日曜日なので鎌倉駅前は観光客で大混雑であったが、目指す大塔宮行きのバスは空いている。途中の八幡宮の辺りは交通渋滞だったが大塔宮は閑散としている。大塔宮から15分ほど歩いて着いた所が今回の目的地 覚園寺(かくおんじ)。
 覚園寺は、鎌倉幕府2代執権北条義時が建立した大倉薬師堂が起源とされている古刹です。山門を入ると先ず樹々に囲まれて愛染堂が建っていて、本尊の木造愛染明王巫像が祀られているが撮影は禁止。
 自由に参詣出来るのはここまででこれから奥は自由に立ち入ることは出来ず、拝観料500円で決められた時間に寺側の案内者の先導で拝観することになっている。
 案内者の先導で進むと薬師堂、地蔵堂、旧内海家住宅などいずれも国宝の建物や仏像が安置されているが、すべて撮影は禁止であった。

覚園寺 愛染堂





2016.6.6  紫陽花
 梅雨の時期になった。この季節の花と言えばあやめとアジサイである。毎年梅雨の晴れ間を見計らって電車やバスで花を見に行っていたが、今年は体調が思わしくないので近場で我慢している。
 我が家の近くに大規模マンションがあり、そこの公開空地がマンションの住民が管理する公園になっている。住民が手入れをしている季節の花が植えられていて、1ヶ月程前はツツジがきれいだった。
 そして、今はアジサイが見ごろを迎えている。花好きの住民が肥料をやったり下草を取ったり水やりをしたりして手入れをしていて今年もきれいな花が咲いている。






2016.5.15〜16  日枝大神社例大祭
 我が家の近くに日枝大神社がある。日枝神社を名乗る神社は全国に数多くあるが、「大」が冠されているのは全国でも珍しいそうで、氏子の老人は「ここは由緒正しい神社」だと誇っています。
 社殿の由緒書きには「皇紀1608年天暦2年に創建された」と記されている。ことの真偽はともかくととして、歴史があることは間違いないようです。
 毎年5月第2土・日曜日はその日枝大神社の例大祭である。祭りばやし囃子の音はなかなかによいものである。そして、夕闇が迫る頃には連合町内会の神輿10数基が商店街を一斉に練り歩く。暗闇の中に電飾されたお神輿はきれいでした。









2016.4.26  足が痛い
 先日来、右足が痛くて歩行にも難儀している。整形外科でMRI検査をしてもらったところ、股関節に炎症をおこしているとのことで、家で安静にしていれば炎症は2週間ほどで治まるとの診断だった。そんな訳で、出かけたい所はいくつもあるのだがこれは先延ばしせざるを得ない。
 テレビや冷蔵庫も年数が経てば壊れて廃棄することになるが、人間も歳をとればどこかしらに傷みが出てくるのはやむを得ないことかもしれない。でも、人間は壊れたからと言って廃棄するわけにはいかない。





2016.4.16  青春18切符
 先日、沼津港へ行き魚市場のお寿司を食べてきました。美味しかったです。
 駅の観光案内所で教えてもらった無料のシャトルバスには名古屋から来たおばちゃん二人が乗っている。名古屋からの日帰りで、沼津でお寿司を食べてから浜松でウナギを食べて帰ると言う。そして、「私たちは<青春18切符>で来たのヨ」と言う。すかさず、私が「それは<老人60切符>じゃぁないの」。おばちゃん「まぁなんでもいいのよ、気分は青春なんだから」。名古屋のおばちゃんは元気でした。
 かく言う私も、実はこの切符で沼津へ来たのでありました。

 2,000円余でJRが一日中乗り放題の青春18切符は、年金暮らしで暇を持て余している私には、打ってつけの切符だ。この春はこの切符で随分いろんな所へ旅をした。岐阜県美濃・多治見、群馬県旧六合村、宮城県村田町、福島県松川町、山梨県韮崎市、茨城県古河市。
 道中は長いが、帰路はグリーン車にゆったり座って車窓の風景を眺めながら缶ビールを飲んだり、その旅のHPに載せる文章の下書きを書いたりしていると、長い電車の旅も苦にならない。





2016.4.5〜6  宮城・福島への旅
 以前から気になっていた宮城県村田町へ行ってきた。村田は伝統的建造物群保存地区に選定されている町です。
 JR東北本線大河原駅からタクシーに乗って20分程で着いた村田の町は、蔵造りの店蔵が建ち並んでいる。いずれの蔵も明治期に建てられたもので重厚感に満ちている。すでに陽が西に傾いているので道路を挟んで東側の蔵の写真を撮る。西側の蔵は明日朝撮ることにして、この日は蔵の町並みの中ほどにある宿に泊まる。
 翌朝、朝食前に今度は西側の蔵の写真を撮ってから宿に戻って朝食。


 朝食後この日の一番のバス(と言っても朝9時)で大河原駅へ戻り、JR東北線で福島県松川へ。この日の目的地は松川駅から歩いて20分ほどの田園地帯に咲いている「芳水(ほうすい)のしだれ桜」。120年前に農家の先祖が近くのお寺からもらった苗木を植えたもので、120年経ったら大木になっていました。
 帰りは松川駅まで歩くつもりだったが、桜の下で言葉を交わしたおばちゃん2人が車で駅まで送ってくれました。福島のおばちゃんがきれいに見えました。



詳細は ⇒  村 田  芳水の桜




2016.3.30  古 河
 JRが東海道線と宇都宮線や高崎線と直通運転をするようになって久しい。川崎で乗車すると乗換えなしで、宇都宮や高崎まで行ってしまう。つまり、川崎で電車に乗って寝込んでしまったら宇都宮や高崎まで行ってしまい、折り返しの電車で再び寝込んでしまったら熱海まで行ってしまうことになる。まァ、こんなことはないだろうけれど〜

 川崎から1時間半で着いた茨城県古河は、まさに地方都市だった。駅前から歩いて数分で着いた所が古河街角美術館、篆刻美術館、古河文学館、歴史博物館だった。古河市は美術的なものに力を注いでいるようで、かなり充実した展示物であった。
 歴史博物館の辺りは昔 古河城があった所であり、かっての掘割りが整備された水辺の公園では咲き始めたばかりの桜が綺麗でした。


詳細は ⇒ 古 河





2016.3.23〜24  六合 赤岩の集落
 JR吾妻線長野原駅からバスで20分、さらに15分ほど歩いて着いた所が標高600mの六合・赤岩(くに・あかいわ)の集落。ここは元々は六合村赤岩だったが、小泉内閣時代の平成の大合併で中之条町に合併された。
 赤岩は古くから養蚕が盛んで幕末から明治時代に建てられた農家建物が建ち並んでいる。みやげもの屋などないし、商店などなんにもない静かな集落だ。集落の中を写真を撮りながら歩いていると、ランドセルを背負った学校帰りの小学生が「こんにちわ」と挨拶してくれる。清々しい。



 そして、さらに10分ほど歩いて行くと神社の前のベンチに座っていた2人のおばあさんが、「こんにちわ」と話しかけてくれる。この二人は72歳と90歳。二人とも20歳代で嫁にきてからずーっとこの集落に住んでいるそうで、蚕のことやここでの暮らしのことを聞かせてくれた。
 そのうちに、72歳が「私の家はここからすぐ近くだからお茶を飲んでいきなさい」と言う。お茶をご馳走になっているところにご主人が帰ってきて、この集落のしきたりや風習などを話してくれました。
 この日は、赤岩には泊まる所がないので、15分程歩いて一日4便のバスに乗って15分程の応徳温泉に泊まった。
  

詳細は ⇒ 六合赤岩





2016.3.20  HPのサーバーのトラブル
 2月中旬から私のHPの更新も閲覧も出来なくなっていた。原因はレンタルサーバーのディスク障害だった。これまでHPの更新はT社のレンタルサーバーを介して行っていたが、そのサーバーが長期に渡って障害が発生し一向に回復する兆しがない。
 そこで、レンタルサーバーを替えることにした。レンタル料はT社のものと比べるとかなり高いが、信頼性の高いS社に替えた。
 これが結構難儀な作業で私の手に負えることではない。そこで、サーバーの設定を友人にやってもらったが、友人は難なくそのセッティングをやってくれた。
 それ以降は私がやることだが、サーバーを替えたことによってスライドショウのページが全滅になっている。これは止むを得ないことであり想定の範囲内であったが、これの修復作業に日々励んでいる。それと共に他のページの見直しをし、リニューアルをしているところです。





2016.3.1〜3  多治見から美濃へ
 名古屋で中央線に乗り換えて30分余で着いた所が多治見。江戸時代に中山道と名古屋を結ぶ脇往還の宿場だった多治見は焼き物で栄えた町である。現在は美濃焼の一つである「織部」によった作風の陶器が作られていて、その通りはオリベストリートと呼ばれている。 この日は多治見からJR太多線で美濃太田まで行って駅前のホテルに泊まる。
 翌日、長良川鉄道で美濃市まで行き、ユネスコの無形文化遺産に登録された美濃和紙の産地の町並みを見てまわる。和紙の美しさもさることながら、うだつが上がった町家の町並みがとても良い。
 この日も前日に泊まった美濃太田駅前のホテルに連泊。そして、翌日高山線で岐阜に出てから東海道線で帰ってきた2泊3日の岐阜県への旅でありました。


詳細は ⇒ 多治見 美 濃





2016.2.14  運転免許証を返納
 自分ではそうとは思っていないが、世間で言われる高齢者という歳になり、車の運転免許証を返納した。
 高齢者がブレーキとアクセルペダルを踏み間違えたり、高速道路を逆走したりといった事故が、しばしばニュースになっている。年を重ねると、判断力や反射神経が鈍ってくることは否めない。
そこで、思い切って車の運転を卒業することにし、免許証の返納ということになったわけです。それとともに、長年愛用した高齢の車も手放した。
 車も免許証もなくなってしまったが、都会に住んでいる分にはあまり不便は感じていない。でも、車での旅が出来なくなってしまったことがちょっと寂しい。
 振り返ってみると、会社を定年退職してからのこの10年間、北は宗谷岬から南は九州佐多岬まで日本列島をあちこち車で旅をした。長いときは2〜3ヶ月間の旅、いろんなことがあったけれど面白かったなぁ〜〜。
 生意気な若い警察官をいじめたこと、シーカヤックで日本一周中の若者とのふれ合い、キタキツネを轢いてしまったこと、屯田兵の子孫・アイヌのお婆さんとの会話。数え上げたらキリがない。

 車がなくなった今は、時どき、鉄道・バスでのわずか数日間の旅となったが、これはこれで、車での旅では味わえない違う楽しさがある。造り酒屋の蔵元を訪れて試飲をしたり、列車の車窓からの風景を眺めながらその土地の地酒を飲んだり、楽しみは尽きません




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