( 岐阜県 平成28年3月1日〜3日 )
今回の旅は「青春18きっぷ」での旅です。これまでのこの切符での旅では最遠の地です。 |
早朝の東海道線沼津行は通勤客で結構な混みようである。でも、乗客は皆直ぐに乗り降りするので座席の心配をすることはない。 沼津で乗り継いだ東海道線の車窓の右手には富士山そして左手には駿河湾が眺められる。静岡・浜松・豊橋で東海道線を乗り継いで名古屋の一駅前の金山で中央線の快速に乗って多治見に着いた。ここまで電車を6本乗り継いで約6時間かかったが、いずれも電車は接続していて乗り換えも同じホームであった。 |
多治見は明治初期から昭和初期にかけて建てられた商家や蔵が残っていて、美濃の文化に培われた多治見の歴史を色濃く残している。 江戸時代に中山道と名古屋城下を結んだ脇往還である下街道(したかいどう)は、善光寺道、名古屋道とも呼ばれていた。多治見は下街道が通っていて、常夜灯が本町の町角に立っていて昔の名残を留めています。 |
本町は現在オリベストリートと呼ばれていて、美濃焼の一つである「織部」で有名な吉田織部が茶の湯に新風を巻き起こした自由で斬新な精神を活かした街づくりが進められている。 明治から昭和初期にかけて美濃焼の陶磁器問屋が軒を連ね、多治見の商業の中心として栄えた通りであり、美濃焼を全国に運ぶ大八車が行き交ったそうです。 |
多治見駅へ戻って、JR太田線に乗って美濃太田へ向かった。沿線の風景は長閑である。美濃太田駅は地方都市としてはしゃれた駅舎であるが、人の通りは少ない。 この日は駅前の美濃加茂ステーションホテルにチェックインしてこの日の行程を終えた。 |
2日目は美濃太田駅から長良川鉄道に乗って30分美濃市駅で下車。なんとも長閑な駅前の光景である。美濃市駅を名乗っていてここが美濃市の中心街かと思っていたが、美濃市の中心街は駅から大分離れた旧市街地の辺りとのことだ。 |
駅からほんのわずか行った所に古い駅舎と電車が展示されている。 長良川鉄道の前身は美濃電気軌道であり、明治44年に神田町から上有知駅間の美濃町線が開業し大正12年にこの美濃駅が開設された。その後平成11年に美濃町線は廃業した。しかし、当時の名残りの駅舎・車両が現在の美濃市駅のすぐ近くに保存されている。 |
美濃市駅から徒歩20分ほどで着いた美濃町は、慶長年間(1596〜1614)に金森長蔵が城下町を築いたことに始まり、江戸時代には和紙を基幹産業とした経済活動で栄えた。 伝統的な建物が軒を連ねていて、建物の両側に建ち上がった卯建、卯建の軒先の化粧瓦、多彩な格子や虫小窓など豊かな意匠や造形にある。また、正面の下屋庇上の辻堂風または箱型の防火神も付いている。 |
ひと通り美濃の町並みを見学してから美濃市駅へ戻って長良川鉄道で美濃太田に戻り、前日と同じホテルにチェックインして2日目の行程を終えた。 |
3日目は美濃太田からJR高山本線で岐阜に出て、東海道線への乗り継ぎ時間に駅前に出てみた。さすが県庁所在地であり駅前はきれいに整備されている。 |
岐阜からは東海道線を乗り継いで帰るだけであるが、浜松で途中下車して駅近くの老舗のうなぎ屋に入ってうな丼を食べた。さすがウナギの本場でありとても美味しかった。 そして、最後の乗り継ぎは熱海駅であり、ここからはグリーン車に乗って川崎に帰り着いた2泊3日の岐阜への旅でありました。 |