橿原 今井町



 奈良盆地南部に位置する橿原市今井町は、中世末期に寺内町として成立し、江戸時代中期までに南大和地方における商業の中心地として発展した。旧環堀に囲まれた地区には中世末期の寺内町成立から近世の財郷町へと発展する市街地形態が残っていて、近世から近代の優れた意匠の町家が多く建ち並んでいる。
 ( 奈良県橿原市  平成28年10月30日 )












今井町の成立は、戦国の世 天文年間(1530年代)に一向宗本願寺の坊主 今井兵部がこの地に寺内町を築いたことに始まる。今井氏は大阪や堺などとも交流し、江戸時代には南大和地方最大の都市になり大いに栄えた。













今井は、江戸時代に「大和の金は今井に七分」と言われるほどに隆盛を極めた。
国の伝統的建造物群保存地区の中でも最も伝統的な建物が多い地区で、東西600メートル、南北300メートルの町内に建ち並ぶ民家の8割以上の500軒が江戸時代に建てられたものである。
















江戸時代、町家の造りには町掟で厳しい規制があった。切妻造り、平入り、本瓦葺き叉は桟瓦葺きが基本だが、町民たちは屋根の煙出しや壁面の紋所、2階の虫籠窓、格子などに意匠を凝らし、見応えのある町並みになった。



















古い街並みINDEXへ