奈 良 井 宿

 中山道の木曽十一宿のひとつ、鳥居峠を控えた宿場町だが、塗櫛や曲物による産業町でもあり、最盛期には「奈良井千軒」とも呼ばれた。上・中・下の3町からなり、南北1キロメートルにも及ぶ。街道に面しては、もと板葺きで2階に手摺りを持つ旅籠屋形式の町家が並んでいる。勾配の緩い屋根は庇より大きく軒先を出し、深い軒が街路を包み込んでいる。

長野県塩尻市奈良井  平成28年10月16日











 慶長7年(1602)徳川家康によって中山道の宿駅が定められ、奈良井も宿駅として参勤交代の大名や旅人の宿や人馬を供するなどした。
 また、近世には檜物細工、塗物、塗櫛などの木工等によって多くの収入を得ていた。








 奈良井宿の南はずれの鎮神社(しずめじんじゃ)から見下ろした宿場の光景 わずかに石置き屋根の家が残っている。






 奈良井は、近代以降大火がなかったことから、江戸末期に形成された町家が多く残っている。中村邸(右のイラスト図)の移築問題を契機に住民の町並みに対する関心が高まり、この熱意と宿場町の特色が認められて昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
(余談だが、昭和40年代の終わり頃に、中村邸は川崎市の民家園に移築するとの計画があった。)







町家の大部分は、街道に並んで敷地の間口いっぱいに建っている。平面としては、片側を土間として間口の広さに応じて居室を表から裏に一列に並べるものと、二列に並べるものが一般的である。幕末の宿絵図によれば、旅籠屋、茶屋、米屋、酒屋、塗師屋、櫛屋などがあったそうである。







大部分の主屋が、切妻・平入、中二階建で、低い二階の前面を張り出して縁としている。この張り出した部分の造りをこの地域では出梁(だしばり)造りといい、大きな特徴となっている。屋根は、勾配をゆるく前面に出していて、深い軒となっている。




もともとは板葺石置屋根だったが、近年はほとんどが鉄板葺に変わっている。さらに、小屋根や袖壁をもつものもあり、軒高の低さや間口の大小、中二階前面の構えも多様である。





伊勢屋 文政元年(1818)に建てられた旅籠で現在も旅館を営んでいるが、元々は下問屋を努めていた家で、江戸時代には建物の中に馬を繋ぐ場があったようである。千本格子が美しくみせさきに置かれた常夜灯が昔の風情を醸し出している。





徳利屋(とくりや) 塩尻市指定の文化財
天保年間の建築で昭和15年頃まで旅籠を営んでいたが、現在はそば屋を営んでいる。
元々高さの高い建物であったが、棟の位置を一間後方に移したことにより、より高くなっている。内部は吹き抜けているため力強い梁組みがよく見えて、ここで食べたおそばと五平餅は美味しかった。



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