妻 籠 宿

 江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから、木曽街道とも呼ばれていた。中山道69次のうち江戸から数えて42番目の妻籠宿は、中山道と伊奈街道が交差する交通の要衝として古くから賑わっていた。

長野県木曽郡南木曽町  平成28年10月15〜16日







 全長800mの宿場には古い建物が往時のままに残っていて、トチやケヤキのろくろ細工、漆器、五平餅などの木曽名物を売っている。










 竪繁(たてしげ)と呼ばれる細かい格子と出桁(だしげた)造りの2階家、侵入を阻むために直角に曲がった枡形の街道など江戸後期の様子をよく保っていて、中山道の宿場の中でも最も保存がよいといわれている。






妻籠宿本陣は代々島崎氏が務めていた。明治20年代に最後の当主(島崎藤村の実兄)が東京に出て建物は取り壊された。その後、跡地は営林署などに利用されていたが、平成7年に江戸時代後期の図をもとに復元された。
 











陽が落ちて、宿場に灯りが灯り始めた







そして、夜が明けた宿場の光景 未だ観光客は来ていない



 妻籠宿は、文化庁が選定する「重要伝統的建造物群保存地区」に、昭和51年にその第1号として選定されている。



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