北陸への旅


( 平成29年5月15〜17日 )

北陸への旅と題したが、訪れたのは金沢と富山県高岡だけであった。
今回の旅は古い町並みを観るものであり、
 JRの「北陸フリーきっぷ」を使っての3日間の旅でありました。



第 1 日 目



金 沢 駅
 40数年前に大学時代の同級生の結婚式に呼ばれて以来の金沢行きである。この時は夜行列車で8時間余をかけて行ったが、東京を発った新幹線「かがやき」は大宮・長野・富山に停まっただけで2時間半で金沢に着いた。まさに隔世の感がある。
 
 金沢は紛れもなく観光都市である。駅構内の観光案内所は10ヶ所ほどのカウンターが設けてあり、お客がいないカウンターへ行ったらそこは外国人観光客専用のものであった。事前にネットで一通りの観光情報は入手していたが、入手出来なかった地図をもらってからバスターミナルで東町茶屋街行きのバスに乗車したら、バスのアナウンスは英語・中国語・ハングルであった。

金沢駅





東町茶屋街
 ひがし茶屋街は観光客で溢れていて、とりわけ中国人観光客が目立つ。彼らは辺りかまわず大きな声で喋りまくっている。国民性なのだろう。
 ここは小さな旗を持ったバスガイドに連れられた日本人観顧客も多い。ガイドが「ここが茶屋街のメーンストリートです」と言うと、彼らは一斉にカメラを構える。これが延々と続き人の途切れがない。やっと人並みが途切れたところで撮ったのがこの写真で、シャッターを押した後には次の一団が押し寄せて来た。


 茶屋街のはずれにある客席が10ばかりのちょっと小ぎれいな食事処に入った。ママさんは「北陸新幹線が開通してから一気に観光客が増えたが、以前はもっと静かだった」。そして、「中国人はうちの店には入ってきてくれない」とも言っていた。
 
 和服を着た女の子が観光している。少し歩いて行ったら、今度は着流しの若い男が巾着袋を手に歩いている。観光客に和服をレンタルするお店があるそうだ。



詳細 ⇒ ひがし茶屋街





卯辰山山麓寺院群
 喧噪のひがし茶屋街から西へ少し行った所に、小高い丘の卯辰山の山麓に50余りのお寺が点在している。数年前に青森県弘前の寺院街を散策したことがあり、33軒のお寺が道を挟んで整然と並んでいたが、ここは50軒のお寺が丘の中腹に点在している。
 そんなお寺街を外人のカップルが散策している。どこから来たかと、たどたどしい英語で訊いてみたらアメリカから来たと言っていた。彼らにこの寺院群がどのように映ったのか分からないが、"wonderful" と言っていた。彼らにはこの先3〜4回出会うことになった。


 緩やかではあったものの坂道を上がったり下ったりしてお寺を探すのは結構疲れる。全てのお寺を巡ることは諦めて、30余りのお寺を巡ったところで切り上げることにした。そして、次の目的地 主計町茶屋街へ向かった。


詳細 ⇒ 卯辰山寺院群





主計町茶屋街
 主計町茶屋街はその規模は東町茶屋街には及ばないが、犀川に沿って建ち並んでいてなかなかに良い雰囲気である。そんな町並みの犀川縁を人力車が観光客を乗せて通り過ぎて行った。





 茶屋街の路地を入って行ったら、細い路地にも茶屋街の雰囲気が漂っている。ここには「暗やみ坂」と「あかり坂」と呼ばれる2っの石段の道がある。2っの道は並行していて、暗やみ坂はずっと昔からあった名前であるが、あかり坂は以前は名前がなかった。金沢にゆかりのある作家 五木寛之に市から依頼があり、平成20年に五木寛之が名付けた名前があかり坂。
 あかり坂の入り口に五木寛之が書いた由緒書きがあり、そこには次のようにかかれていた。
   
暗い世の中にあかりを灯すような、美しい作品を書いた泉鏡花を偲んで、
   あかり坂と名付けた。

 
 
 そして、この界隈は文豪 室生犀星が子供の頃に学校帰りに通っていた道でもある。 

  


  ここで、カメラの具合が良くないことに気がついた。数枚シャッター切ると次が写せなくなってしまう。バッテリーが劣化しているようだ。バッテリーを温めたりして急場を凌ぐことになってしまった。


詳細 ⇒ 主計町茶屋街






近江町市場から香林坊
 主計町から15分ほどの金沢の台所とも言われている近江町市場へ行ってみた。むさし交差点(武蔵ヶ辻)の南東側にあって、約170店の商店・飲食店が軒を連ねている。石川県特産の加賀野菜や海産物を扱う店が多く、金沢市民の台所としてだけでなく、最近は観光名所としても知られている。
 
 金沢一の繁華街の香林坊のホテルへ行く時に、シックな服装の外国人から声をかけられた。一瞬分からなかったが、卯辰山の寺院街で言葉を交わしたアメリカ人のカップルだった。知らない町で声をかけられるのは嬉しいものだ。
 この日は香林坊のホテルに泊まった。早速、カメラのバッテリーの充電にかかったことは言うまでもない。





第 2 日 目



長町武家屋敷
 香林坊のホテルから10分ほどの所に、藩政時代に下級武士が暮らしていた武家屋敷がある。細い路地や土塀、長屋門は往時の姿を留めている。
 観光都市金沢にあって、ここは地味な所であり、朝早かったこともあって観光客があまり訪れていないので、ボランティアガイドの説明を聞きながらゆっくり散策した。
 いたし方のないことだが、香林坊の高層ビルが写真に写りこんでしまう。



大野庄用水にかかる長町二の橋





 このあたり一帯は平士(へいし)と呼ばれる加賀藩では中位の藩士が多く、馬廻役・小姓組・普請奉行・門番役などの多くの職種の藩士が居住していた。



加賀藩1,200石の野村家





 加賀藩では、知行高によって拝領する宅地の面積が決められていて、100石〜200石は200坪、300石〜400石は300坪、・・・・1,500石〜1,900石は600坪の広さであった。
 屋敷の周囲には土塀をめぐらし、高禄になると長屋門・物見などを設けられていた。






大野庄用水沿いの土塀



 ここでは観光ボランティアガイド「まいどさん」にガイドをお願いした。一緒にガイドしてもらったのは横浜から一人で観光に来た若い女の子。彼女は、私のことを「おじさま」「おじさま」と声をかける。
 ガイドが終わってから次なる目的地「にし茶屋街」へ向かったが、彼女は寺町の忍者寺と呼ばれる妙立寺を見学予約していると言う。途中まで一緒に歩き、別れるとき彼女は「おじさま、さようなら」と言って妙立寺へ向かって行った。





にし茶屋街
 長町武家屋敷から西町茶屋街は近かった。
 東町茶屋街に比べると、ここは観光客が少ない。辺り構わず大きな声で喋り捲っている中国人の団体がいないのが良い。おかげでゆっくり写真を撮ることが出来た。
 茶屋街の一画に「西町茶屋資料館」が建っている。


 この資料館は、かって吉米楼(よしよねろう)という茶屋であったが、金沢市が譲り受けて整備し茶屋資料館として公開している。1階には大正時代の作家 島田清次郎に関する資料が展示してあり、2階には金屏風や漆塗りの装飾品、長火鉢などを配したお座敷に三味線や太鼓、そして芸妓には欠かせない扇子やなども置かれていてお茶屋らしさが溢れている。
 
 吉米楼は、島田清次郎の母方の祖父が営んでいて、清次郎自身も母親と一緒に住んでいた。島田清次郎は31歳でなくなったが大正時代に多くの作品を残している。その代表作は「地上」であり、吉米楼はその舞台になっている。


詳細 ⇒ にし茶屋街





寺町寺院群
 にし茶屋街からほんの少し行った所にお寺が建っている。その数が物凄い。卯辰山寺院群は50だったが、こちらは70ものお寺が建っている。朝晩にはこれらのお寺が一斉に鐘を鳴らし、あちこちから鐘の音が鳴り響いていて、日本の音風景100選に選ばれている。
 
 そんな寺の一っに妙立寺(みょうりゅうじ)というお寺がある。この寺は「忍者寺」とも呼ばれていて観光客に人気があり、お寺の本堂を参拝(見物)するには事前に申込みをしなければならない。長町武家屋敷で出会った横浜の女の子はこの申込みをしていた。
 なんで人気があるかというと、お寺らしからぬ頑丈な建物であり外観は2階建てだが、内部は4階建て7層になっている。入り口の賽銭箱風の箱が仕掛け賽銭箱であり、階段は落とし穴階段になっていて、本堂の屋根の突端部分はギヤマン(ガラス)張りの見張り台になっていて加賀平野を遠望し敵の動きを知ることが出来るようになっていた。その他諸々いろんな仕掛けがあるお寺である。

妙立寺(忍者寺)


詳細 ⇒ 寺町寺院群





兼六園
 寺町寺院群から兼六園へは、犀川の桜橋を渡って「金沢21世紀美術館」を左に見て15分ほどだった。
 日本三名園に数えられている大兼六園はとても広。いくつかある入園口の一っ真弓坂口から入って行った。有料なのだが65歳以上は身分証明書を提示すると無料になった。ここまできて急に空腹を感じたので、食事処が7〜8軒も軒を連ねていてそのうちの一軒に入ったらビールがある。喉が渇いていたので喉を潤してからの昼食でありました。
 
 兼六園と言えば微軫灯籠(ことじとうろう)である。灯籠の前は観光客でごった返している。ここでも中国人観光客が大きな声で喋り捲っている。一団が去った僅かな隙を狙って撮った写真はまあこんなもんです。



 兼六園を後にして、次の目的地 富山県高岡へ向かうためバスで金沢駅へ向かった。金沢からは分割民営化した「IRいしかわ鉄道」で高岡へ行き、駅近くのホテルにチェックインして、北陸への旅の2日目の行程を終えた。





第 3 日 目



金屋町
 高岡駅の構内に観光案内所があるので行ってみたら未だ開店していない。開店準備中の女性と目が合ったら出てきてくれてパンフレットを出してくれバスの案内もしてくれた。丁度、発車時刻がせまっていてうまい具合に発車に間に合った。お陰で20分余を歩かずに済んだ。
 
 金屋町は今日の高岡の地場産業の基礎を築いた鋳物発祥の地である。現在は鋳物産業に関わる企業は郊外に移ったが、金屋町には昔の面影を残す千本格子の家が軒を連ねていて、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 そんな町並みの一画に「大寺幸八郎商店」の看板を掲げたお店がある。万延元年創業のこの店は元々は鋳物の店だったが、現在はアンティークの商品を商っていて片隅に珈琲を飲むコーナーがある。江戸時代にタイムスリップしたような弁柄の壁に数寄屋天井の部屋でクラシック音楽を聴きながらコーヒーを飲むのも良いものだ。 



詳細 ⇒ 金屋町





山町筋
 金屋町から10数分行くと土蔵造りの旧家が軒を連ねている。ここは山町筋(やまちょうすじ)と呼ばれる地区で、明治時代後期の大火後に建てられた旧家が42棟も建ち並んでいる。
 この中の菅野家は国の重要文化財に指定されている。菅野家は、明治初頭に5代の伝右衛門が北海道との通商で財を築いた。明治22年に高岡銀行を設立し一方で政界にも進出して、高岡政財界の中心的存在として活躍した。
 主屋は明治33年の大火の後に建築された土蔵造り、2階建て平入りの町家で、黒漆喰仕上げの重厚な外観と正面庇の天井飾り、軒を支える鋳物の柱などにも鮮やかな装飾が施されていて、重要文化財に指定されている。(この建物は現在でも菅野家の住居として生活の場になっている。)


詳細 ⇒ 山町筋





ます寿司
 高岡駅近くの食事処に入り「ます寿司」を食べた。ます寿司は、富山県の郷土料理であり、木製の曲物(わっぱ)の底に笹を放射上に敷き、味付けをした鱒の切り身をその上に並べる。そこに酢めしを押しながら詰め、笹を折り曲げて包み込んである。
 ひょっと見たら富山の地酒が並んでいる。この旅も今日でお終いなので旅の打ち上げにお酒を少しだけ飲んでみた。ます寿司も富山の地酒も美味しかった。
 
 この後、「あいの風とやま鉄道」で富山駅へ行き、富山からは2時間ちょっとで東京へ帰ってきた2泊3日の北陸への旅でありました。




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