ひがし茶屋街

 金沢は加賀の一向宗徒が1516年に金沢金堂と呼ばれる寺院を建立したことに始まる。その後、1583年に前田利家が金沢城に入城し城下町金沢の基礎が築かれた。

( 金沢市  平成29年5月15日 )



 金沢には3っの茶屋街が残っているが、その中で東山茶屋街は最も規模が大きな茶屋街で、石畳の道の両側に紅殻格子(べんがらこうし)のお茶屋が並んでいて江戸時代の雰囲気を残していて国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っている。この街は金沢の主要な観光地の一つになっている。



茶屋街のメーンストリート












紅殻格子のお茶屋



中 屋  文政3年(1820)に建てられた茶屋建築で、外部の格子は目の細かい木虫籠で腰には越前石が用いられ2階の雨戸、玄関の大戸を含む全てが紅殻仕上げになっている。
 内部も往時の間取りを忠実に残し優雅なお茶屋の造りになっている。前2階及び広間の座敷は赤い紅殻、はなれは鮮やかな群青の壁である。また、造作材は拭き漆仕上げでお茶屋特有の粋を感じさせる建物である。









紅殻格子のお茶屋




柳と紅殻格子のお茶屋の大戸




小路にも石畳が施されている












和服姿の女の子がポーズをとってくれた


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