徒 然 な る ま ま に   1 6

つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ





2015.2.15  谷中 ブリキ店
 谷根千と言う語を知らなかった。何のことはない。東京の下町、「谷中・根津・千駄木」のことだった。寒さも緩み風も吹かず暖かそうなので、妻の案内で谷中へ行ってみた。
 お寺がやたらと多く、昨年行った弘前の寺町・禅林街を思い出した。禅林街は33軒のお寺が整然と並んでいたが、ここはあちこちに散らばっている。
 そんな一画に常夜灯を模した看板を掲げたいかにも古い店構えの店がある。ガラス戸には「錻力店」と書かれている。とっさには読めなかったが、ブリキ店のことだった。子どもの頃遊んだおもちゃやバケツはみんなブリキ製だった。最近はあまり見かけないのに、今でもこういう商売が成り立つんだと妙に感心しました。
 






2015.1.29  佃 島
 シニアネットの仲間と佃島へ行ってきました。
 佃島は、昔徳川家康が大阪へ向かうときに、舟がなくて困っていた家康に漁船を差し出したのが、摂津の国(現大阪市西淀川区佃町)の漁民だった。
 後に、家康が江戸幕府を開き佃村の漁民を江戸に呼び寄せ、石川島に近い島を居住地として与えた。漁民はここで白魚などの漁をしながら江戸城内の台所を賄っていたた。そして、漁民は後に佃煮を作り出した。
 天保8年創業の佃煮や「天安」は、今も健在で創業以来170年の味を引き継いでいます。 ここで買った佃煮は美味しかったです。
 






2015.1.17  勝鬨橋(かちどきばし)
 隅田川は東京・埼玉境の岩淵水門で荒川と分かれて東京湾まで約24キロを流れ下る。隅田川には26の橋が架かっていてその一番河口部に架かっているのが勝鬨橋。この橋の袂に「かちどき・橋の資料館」が建っている。
 資料館では勝鬨橋の仕組みや歴史が模型や映像で展示されている。勝鬨(かちどき)の名は明治38年の日露戦争の勝利を記念して築地と対岸の月島の間に新たに設けられた渡し「かちどきの渡し」に由来している。
 勝鬨橋は昭和15年に完成し最盛時には一日5回開閉していたが、徐々に回数が減り、船が通る間は晴海通りが約20分間交通止めになること、隅田川を航行する船の減少等から昭和45年に役目を終えてその後は開閉しなくなった。
 
2つの塔屋の間が開閉する

 

晴海通りの車の通行は多い  開閉の接合部分





2015.1.11  鶴見七福神
 七福神信仰は、室町時代末に京都で始まり、江戸時代中期には七福神めぐりが全国的に流行し、庶民文化として定着した。横浜の鶴見でも、平成23年の曹洞宗大本山総持寺鶴見移転100年を記念して、鶴見区内の社寺に祀られている神々による「鶴見七福神」が誕生した。
 この七福神を自転車で巡ってみた。全行程18キロの今年初めてのスタンプラリーのポタリングでありました。









2015.1.7〜8  東海道53次 赤坂宿・旅籠大橋屋
 東海道五十三次 江戸から数えて36番目の宿場「赤坂宿」。ここに1649年創業、1705年に建築された築300年の旅籠「大橋屋」が今なお旅館を営業している。
 名鉄御油駅で電車を降りて御油宿の街並み御油の松並木を通り、赤坂宿までの旧東海道を歩いて30分余、赤坂宿の中心部に目指す大橋屋が建っている。お世辞にもきれいとは言えないうらぶれた佇まいだが歴史を感じる建物だ。主夫婦は高齢でこの3月で旅館を廃業し、その後は歴史史料館になるそうだ。
 大橋屋に一晩泊まり、翌日は名鉄電車で有松へ。有松宿は街道筋は電柱も地中化され江戸期の建物が保存されていて観光客も多かったです。




赤坂宿     有松宿





2015.1.4  武蔵野太鼓
 ドーン ドーン地に響くような大太鼓の音、トン トン トン軽快な小太鼓の音、そして笛と鐘。。正月恒例の武蔵野太鼓保存会の演奏会が川崎駅近くのラ・チッタ・デラで、昨年に引き続いて開かれた。新春を祝う和太鼓の演奏を聴いて(観て)いる観衆の姿に正月の風情はないが、和太鼓の音色はお正月らしく心に響くものがある。
 知人の女性もバチさばきもあざやかに太鼓を叩いていました。








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