徒然なるままに 15

つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ





2014.12.24  横浜みなとみらい
 クリスマスイブの横浜みなとみらいは、若者たちのカップルで大賑わい。そして、これらカップルとは縁遠いオジサン、オバサンが大きな三脚に、これまたいかにも高価なカメラを構えて夜景の撮影に忙しい。かく言う私もそんな一人でありました。







2014.12.14〜16  信越への旅
 松本を発った篠ノ井線の電車が聖高原にさしかかる辺りから雪景色になった。でも、雪は降ってなく薄日が射している。JRの車窓からの風景3選にも数えられている姨捨駅で電車を降りる。眼下の雪を被った棚田がきれいで、姨捨観光会館で食べた新そばが美味しい。
 再び篠ノ井線で長野へ行き、ここからは長野電鉄で今日の宿小布施の温泉に着く頃には日が落ちていた。
 夜半から降り出した雪で朝起きたときには一面の銀世界だ。幸にも宿を発つ頃には小雪が舞う程度になっている。歩いて20分程の小布施の観光スポット「栗の小径」の辺りは既に観光バスのツアー客が散策している。雪は完全に上がり所どころ青空が見える。
 小布施から今夜の宿 長岡のホテルへ行くために信越線に乗車し、直江津で長岡行きに乗り換える予定だったが、この電車が雪のために運休になった。2時間後の17:30に次便が出るとのことだが、これも運休になるかもしれないとの駅員の説明。
 やむなく長岡の摂田屋の観光は諦めて、直江津駅前のホテルにチェックイン。翌朝、どこに寄ることもせずに帰宅の途へ。車窓はずーっと雪だったが、笹子トンネルを過ぎると雨になっていた。
  姨 捨   小布施







2014.12.12  上野公園の紅葉
 久しぶりに上野公園を歩いてみた。12月上旬の紅葉の盛りは過ぎている。でも、銀杏の落ち葉がかさこそと舞っていてきれいでした。
 ほんの10年か20年前、東京の紅葉は11月下旬だった。地球温暖化のためだろう。温室効果ガスの排出量が今のペースで増え続けると、2050年の東京の紅葉の見ごろは12月下旬クリスマスの頃になるらしい。







2014.11.30  二宮小学校
 神奈川県西部の二宮小学校を卒業して60年になってしまった。
 還暦を迎えた頃に始まった6年生時のクラス会は3〜4年に一度だったが、古稀を迎えてこの先皆が元気な姿で集まれるのは何回あるのだろうか。クラス全員で56人、他界した者が7人もいる。そこでクラス会を毎年やろうということになった。昨年に引き続いての今年は20人が集まった。皆いい歳のおじいさん、おばあさんになている。
 木造2階建ての校舎は鉄筋コンクリート4階建てになっていたが、二宮金次郎の銅像は昔のままの本を読みながらの姿で立っている。
 




昭和31年3月卒業記念





2014.11.29  リベンジ 工場夜景
 先日の工場夜景の写真は悔しいことに失敗だった。このままでは情けないので、再度工場夜景巡りのツアーに参加した。
 今回は動き易いようにカメラを軽量のミラーレスにして、レンズも望遠ズームを装着しクロススクリーンのフィルターも持参した。クロススクリーンの使い方に慣れていないので戸惑ったが、まあこんなものかなと思っている。









2014.11.15  工場夜景
 このところ工場夜景の写真撮影がマニアの間でブームになっている。川崎に住んでいる者にとってはこれは見逃すわけにはいかない。
 そんなことから、市の外郭団体が企画した工場夜景巡りのツアーに参加した。夕方4時に川崎駅前を発つバスに乗ったのは15人だった。皆それぞれ三脚を持ったいかにもマニアといった人たちだ。
 初めての参加で望遠レンズを持参しなかったのが悔やまれる。そんな訳で満足できる写真を撮ることが出来なかった。これでは再度出かけなければならない。
 


羽田空港を飛び立った飛行機の光跡





2014.11.6  栃木
 この秋、3回目の栃木行き。今回はシニアネットの仲間10人と一緒であり、晴男、晴女が多いのだろうかやっと青空が見える天気になった。
 天明元年(1781)創業、230年以上の伝統ある味噌醸造の老舗。明治期に建てられた木造の店舗や味噌蔵が今も使われています。
 






2014.10.31  町田の里山
 東京新宿から小田急で40分、バス15分の地に、人口40万人の町田市とは思えないような里山が広がっている。
里山と谷戸の自然は古き佳き日本の原風景とでもいうような風景だ。赤い前垂れの六地蔵ならぬ七地蔵もなにかしら心安らぐ。
 戦後すぐの子どもの頃にこんな光景の中で育ったので、イナゴを獲ったりドジョウをすくったのがとても懐かしい。
 





2014.10.17  會芳亭
 横浜 中華街関帝廟通りに小さな公園「山下町公園」(山下公園ではない)がある。この公園にあずまやが建っている。
 明治時代初頭、中華街こ會芳楼という名のシアターレストランがあった。横浜開港以来さまざまの国から人が流れ込んできて、その人たちが娯楽を求めた。その一つとして會芳楼は演奏会や芝居が演じられていたようです。
 今、ここには會芳楼があったことを記念して會芳亭というあずまやが建っている。






2014.10.12  品川富士
 京浜急行北品川駅の直ぐ近くに富士山がある。富士山と言っても品川神社の境内に造られた塚山である。
 この塚山は、富士山信仰の富士講の人々が、富士山の遥拝場所として、あるいは実際の登山に代わる山として造った築山である。
 江戸後期には民間信仰としての富士講が盛んで、北品川宿の講中の人々によって造られたものだそうである。
 富士登山道の標石が立っている道から上って行くと、10分ほどで着いた山頂には若者が一人もの思いに耽って座っていました。



  



2014.9.30  裂き織り
 知人が加入しているグループで「裂き織り」の展覧会を開いているので行ってみた。初めて聞く言葉であった。
 「さきおり」とは、古い布を細かく裂いて麻糸などと共に織り上げるもので、地域によってはサクオリ、サッコリ、ツヅレなどの呼び名があるそうだ。
 江戸時代、寒冷な気候のため綿や絹などの繊維製品が貴重だった東北地方にその端緒がみられ、使い古した布を素材にして仕事着、帯などを織り、それは農閑期の女性の手仕事でもありました
 
  





2014.9.21  切り絵展
 朝の新聞に横浜で切り絵の個展をやっているとの記事が載っていた。
 関内駅近くの馬車道の小さななギャラリーで開かれていた個展には、50点の切り絵が展示されている。どれもシャープな線と独特な視点で表現されている。
 作者は軽度の知的障害のある21歳の若者だ。中学校の授業で切り絵に出会い、高校生のときに美術教諭にその才能を見い出されて、本格的に切り絵作品の創作を始めたそうです。裸の大将ー画家の山下清を思い出しました。



2014.9.15  登山靴
 前日に弘前禅林街を見て弘前駅近くのホテルに泊まり、この朝一番のバスで岩木山へ向かった。私は既に登っているので今回は妻のお伴である。
 久しぶりに履いた登山靴はかなりくたびれている。前日、弘前市街を歩き回ったときから靴底(ビブラム)が剥がれかかっていたので、針金で縛り付けてバスに乗った。
 八合目登山口で登山靴をチェックするとかなり危うい。私は登山口のレストハウスで待つことにして、妻は一人で山頂目指して登って行った。
 この靴は随分活躍してくれた。キリマンジャロに登ったのもこの靴だった。愛着がある。帰宅したら、修理するか買い換えるか考えたい。






2014.9.10  青春18きっぷ
 元々車の運転が下手であり、加えて歳と共に反射神経も鈍ってきている。そこで思い切って車の運転を止めることにして車を処分した。これからの旅行は汽車やバスの旅となってしまった。
 ツアー会社のツアー旅行はあなたまかせで楽なのだが面白みに欠ける。そこで、この夏は青春18きっぷでの旅となった。この歳だから「老人68きっぷ」になるのだろうか。
 かくして、この夏はこの切符で、山形県米沢、新潟県越後下関宿、山梨県下部温泉そして栃木の蔵造りの街並みを観てきたが、交通費はしめて11,850円の旅でありました。




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