姨  捨

長野県人だったら誰もが歌える歌に、「信濃の国」という県歌がある。
  
信濃の国は十州に境連ぬる国にして
  聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
  松本・伊那・佐久・善光寺 四っの平は肥沃(ひよく)の地
  海こそなけれ もの沢に万(よろず)足らわぬ事ぞなき

 
  
松本を発った篠ノ井線の電車が高度を上げて、松本平と善光寺平の国境いのトンネルを抜けると視界が開け、車窓に善光寺平の雪景色が広がった。
     (平成26年12月14日訪れる)

 
 

 姨捨(おばすて)駅の手前で、電車は停まり、今度は進行方向を変えて進み、ほどなく姨捨駅に停車した。この折り返し運転はスイッチバックと呼ばれるもので、急勾配の途中にある駅を水平に設置するための工夫である。姨捨駅に入るには25バーミルもの急勾配が立ちはだかっているため。(25バーミルは勾配を表す単位で、水平距離1,000mで25mの高低差があることを示している。)
 近年は車輌の性能が向上し、勾配の途中からでも出発出来る電車が増えたので、このスイッチバックを使わずに発着出来るように改装された駅が多くなった。でも、この駅ではスイッチバックを使っていて、日本三大車窓とも言われる眺望を楽しめる。
 



 眼下には雪を被った棚田が広がっている。この棚田は月の夜に千曲川を挟んだ対岸の鏡台山から上る月がいくつもの田に映ることから「田毎の月」と呼ばれている。

 
 
 
 
姨捨山のお話し
 昔、信濃の国に年寄りが大嫌いな殿様がいた。彼は60歳になった老人を山に捨ててくるようにとのおふれを出した。一人の若者が年老いた母親を背負って山に登って行った。しかし、若者は母親を捨てることが出来ずにそのまま背負って山を下り、こっそり家の床下に穴を掘って母親をかくまった。
 そのころ、殿様のもとへ隣国の殿様から「灰で縄をなえ、九曲りの玉に糸を通せ、さもなくば国を攻める」との無理難題を持ちかけられた。困った殿様はおふれを出してこの難題を解ける知恵者を探し求めた。これを知った若者が床下の母親に尋ねると「塩水にひたしたワラでなった縄を焼けばよいこと、玉の一方に蜜をぬりその反対側から糸をくわえたアリを通せばよいこと」を教えた。
 若者はこの方法を殿様に知らせたところ、殿様は喜び「褒美をとらせるのでなんなりと申すがよい」。若者はこの知恵を授けてくれたのは私の母親ですと述べた。
 国難を救ったのが老婆の知恵であることを知った殿様は、このとき初めて老人を大切にするべきことを悟った。
 
この昔ばなしを基に、作家深沢七郎が書いた小説が楢山節考であり、後に昭和35年に田中絹代主演で、昭和58年に緒方拳主演で映画化もされている。
 
 
 
姨捨の昔ばなし ゆかりの寺 長楽寺
本堂に「姨捨山」の文字が〜〜
   
  

   



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