三陸・津軽への旅


( 平成27年7月4日〜6日 )

 JR大人の休日倶楽部のJR東日本全線を4日間乗り放題15,000円のパスを使って、三陸・津軽3日間の旅をした。このパスを使うのは初めてだったが、大変割安で充実の3日間でありました。    


第 1 日

 東京駅を発った新幹線「はやぶさ」は速かった。上野・大宮・仙台に停まっただけで2時間15分で着いた。学生時代に夜行列車で8時間程かかって行ったことを考えると夢のようなことである。
 盛岡で山田線 快速「さんりくトレイン宮古」に乗り換えて宮古へ。東京〜盛岡間535Km、盛岡〜宮古間102Km、ほぼ同じ2時間余だった。さんりくトレインは一応快速と冠されているが、新幹線と比べてなんとものんびりした走りである。単線なので、途中で上下線の待ち合わせががあってしばらく駅に停車する。盛岡を発ってしばらくすると山間地になり、都会では見られない山間の光景を眺めるのも良いものだ。
  
さんりくトレイン宮古


 2時間ちょっとで宮古に着いて、駅前からバスに乗って浄土ヶ浜に着いた。浄土ヶ浜は昔坊さんが「さながら浄土のごとき光景」と呟いたことがその名の起こりと言われている。遊覧船に乗ろうかと思ったが、青の洞窟を巡るサッパ舟という小さな舟に乗った。


青の洞窟

 青の洞窟と言えば、イタリア カプリ島の洞窟が有名だが、規模は小さいが浄土ヶ浜にもこの洞窟がある。乗客4人の小さなサッパ舟に乗るときに救命胴衣、ヘルメットを被せられた。何でヘルメットを被るのか不思議だったが、これは後になって分かった。
 洞窟に入ると、水は真っ青で天井の岩が突出している。

 

 

 



 サッパ舟を降りて浄土が浜を散策してから宮古へ戻り、三陸鉄道北リアス線で田老へ向かった。気動車は一両編成で宮古を出ると三陸海岸を眺めながら走る。いたる所に津波のつめ跡を復旧する工事がすすめられている。しかし、その後はトンネルが続いてまるで地下鉄に乗っているようだ。
 田老駅で下車すると、そこは駅舎がなくホームに通じる地下通路に駅名が書いてあるだけであり、そして、駅前は建物がない草っ原で町がない。
  



 今日の宿「グリーンピア三陸みやこ」の送迎車が田老駅まで迎えにきてくれた。運転手は津波の跡を少しだけ説明してくれてから山王岩で車を停めてくれた。山王岩は津波で崩れたのではないかと心配されたがこの岩は崩れずに健在だった。
 田老の町の高台にあるグリーンピアは津波の被害に遭わず健在だった。この敷地の隣には仮説住宅が建っている。
  
山 王 岩                        グリーンピア三陸みやこ



第 2 日


 グリーンピアの送迎車で田老駅まで送ってもらい、駅前で宮古観光協会の「学ぶ防災」スタッフと落ち合った。この日の客は私と妻の二人だけだったので、スタッフは軽自動車でやってきた。

田  老

 2011年3月 三陸は東日本大震災で大きな被害を受けた。宮古市田老町も死者181人、被災建物1,691戸、漁船の流失855隻、街が無くなってしまった。
 宮古観光協会では田老町の現状、津波の災禍を後世への教訓とするため、「学ぶ防災」という名のガイドを行っている。スタッフが軽自動車で津波の爪痕を案内してくれ、その後、旧田老町役場の会議室で津波発生時の生々しいDVDを上映してくれた。この画像はあまりにも生々しいためマスコミでの公開はされていない。     
 
津波で壊れた防潮堤 右手の建物は仮設の漁業施設 田老観光ホテル 3階まで水に浸かった


より詳しい記事は  ⇒ 田 老 



 田老からバスで宮古に戻り、駅から近い所にある宮古魚菜市場へ行ってみた。魚だけでなく農産物も並んでいて値段も安いようだ。この市場の中に食堂が何軒かあり、その中のまんぷく食堂という店に入ってさんま刺身定食を食べたらとても美味しかった。
    


 この後、JR山田線に乗って盛岡に向かった。明日用事があるので帰宅する妻を盛岡駅で見送って、新幹線で青森へ向かい、この夜は青森駅前のホテルにチェックインして2日目の行程を終えた。




第 3 日


 青森のホテルをチェックアウトしてJR奥羽本線で弘前へ行き、弘前からは弘南鉄道弘南線で黒石へ行く。電車の待ち時間に弘前在住の広崎さん(仮名)に電話してみた。広崎さんは九州へ旅行したときに大分や熊本で何回も出会った夫婦で、同年代で同じような旅行をしていたのでそれ以降お互いにメールのやり取りをしている人です。 これから支度をして黒石へ車で出向いてくれると言う。



電車を待つ女子高校生



黒石 こみせ通り



 青森県黒石市中町の小店が連なる町並みは、全国的にも貴重なものとして国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
 町並みの写真を撮っていたら広崎さんが夫婦で現れ、観光パンフレットには書かれていないことをあれこれ説明してくれた。知人がいるので黒石へは度々来ているそうで案内が詳しい。



より詳しい記事は  ⇒ 黒石 こみせ通り



 この後、広崎さんは田んぼアートがちょうどよい時期になっているので、それを案内すると言って田舎館村へと車を走らせてくれた。  


田んぼアート

 津軽平野の南部 田舎館村は農業が盛んな人口8,000人余の小さな村です。
 田んぼアートは1990年代に村おこしの一っとして村役場裏手の田んぼで始められたもので、その後、全国に広まり現在では全国田んぼアートサミットも開催されているそうです。   
 田んぼアートが描かれる場所は役場の東側の1.5haの水田である。毎年新しい絵が描かれ、次第に観光客が増えて第2会場も設けられた。そして、弘南鉄道弘南線は2013年に新駅「田んぼアート駅」を開業してしまった。村おこしは大成功です。


今年の田んぼアートは「風と共に去りぬ」






 田んぼアートは田んぼをキャンパスに見立て、色の異なる稲を植えることで巨大な絵を作っている。斜め上から見る前提で図案を設計し、これに基づいて遠近を考慮して稲を植えている。
 使用されている稲は主に現代の食用に栽培されている稲と、もち米や観賞用品種の稲。そして古代に栽培されていた古代米である。これらの葉や穂の色によって緑色、黄緑色、濃い紫、黄色、白色などの色が作られている。    







 田んぼアートを見た後には広崎さんの地元弘前市に向かったが、車窓にはずっと岩木山が見えている。だが、山頂部は残念ながら雲がかかっているがその下は一面のリンゴ畑が広がっている。そんな光景を見ながら弘前の市街地に入った。


弘前 仲町

 春には桜の花見客数10万人で賑わう弘前城のすぐ近くに、生垣と黒板塀が連なる景観が広がっている。伝統的建造物の武家屋敷が残っていて、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。    




より詳しい記事は  ⇒ 弘前 仲町




 その後、広崎さんが行きつけのお蕎麦屋さんでおそばをご馳走になり、誘われるままに広崎さんの自宅にお邪魔することになった。ミルで引いたコーヒーをご馳走になりながら、旅行の話で時間の経つのも忘れて話が弾んだ。
 電車の時間が迫ったのでおいとまするすることにして、弘前駅まで車で送ってもらって弘前を後にした。青森で新幹線に乗り継いで東京に帰ってきた楽しかった3日間の旅を終えた。



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