徒然なるままに (8)


つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ


 
 
2011.9.21  こころ旅
 
腰痛で出かけることができないのでテレビをよく見るようになった。そんな中で、NHK・BSで「こころ旅」という番組の再放送をやっていることを知った。
 「こころ旅」は視聴者の手紙に書かれた「こころの風景」を求めて、俳優の火野正平が自転車で日本列島を縦断する番組。送り主の手紙につづられた思い出の地へ手紙と地図をたよりに、自転車で走って行く。今、再放送しているのはこの春に京都から北海道まで走った「春の旅」であり、9/26からは兵庫県から鹿児島まで行く「秋の旅」が始まる。
 火野正平と言えば一時期浮き名を流した男だが、こんなことをやるなんてちょっと見直してしまった。
こころ旅

 
 
2011.9.17  残暑が厳しい
 
9月も中旬になってお彼岸が近いのに残暑が厳しいです。このところ好天が続いていて空が真っ青できれいだ。大黒ふ頭からは横浜港越しに富士山がきれいに見えそうなので行ってみたいのだが、それは腰が痛くて無理なので、自宅2階ベランダから雲の写真を撮ってみた。

 
 
2011.9.14  圧迫骨折その後
 痛み止め薬が効いているのか痛みは和らいでいるが、MRI検査を行った。検査の結果は手術を行うほどの骨折ではなかったので、より腰部にフィットするコルセットを作ることになり体型の採寸をし、1週間ほどで出来るそうだ。
 この際なので、ネットで腰椎について調べてみた。ごく簡単に書くと腰椎の部位は次のようなものだ。
 いわゆる背骨は、上から頸椎・胸椎・腰椎・仙椎から形成されていて、腰椎は下から2番目腰の骨である。腰椎はさらに5っの部分から成っていて、私の骨折は第1腰椎であった。椎骨の空洞部分には脊髄などの神経が通っているので、これが強烈な痛みを発しているようだ。
@:第1腰椎(L1)
 
A:第2腰椎(L2)
 
B:第3腰椎(L3)
 
C:第4腰椎(L4)
 
D:第5腰椎(L5)
 
E:仙椎
 
 
2011.9.9  圧迫骨折
 一昨日夕方、椅子から立ち上がったときに腰に激痛がはしった。その痛さは尋常ではなく、やっと寝室まで行ってふとんに横になったが、寝返りも出来ない。翌朝一番で整形外科へ行ってレントゲンを撮ったところ「腰椎圧迫骨折」との診断で、湿布薬・痛み止め薬・コルセットをもらって帰ってきた。しばらくの間安静にしているようにとのことなので、家でじっとしていなければならない。
 痛み止め薬の効果なのか、ひと頃の堪えられない痛さは薄らいだが、腰が辛いので横になっている方が楽だ。しかし、起き上がるときに猛烈な痛みがはしる。あと数日この痛みに耐えなければならないかと思うと憂鬱である。
 
 
2011.9.2  映画「人間の条件」
 五味川純平の同名小説を映画化した「人間の条件」は、全6部構成で、昭和34年から36年にかけて公開された映画である。。主人公の梶を通して戦争における人間性を描いた全6部の総上映時間は9時間半に及ぶ長編である。
 この映画がNHK・BSで6夜連続で放送されたので録画しておき、一日で一気に観た。あらためて戦争の悲惨さ・酷さを感じる映画である。主人公梶を演じた仲代達矢・新珠三千代・佐田啓二・高峰秀子などが出ていて懐かしい。そして、避難民の少女を演じた中村玉緒がかわいらしい。
 実は、この映画を観るのは3回目である。1回目は封切りされた直後で高校生のときであり、2回目は昭和60年頃に全6部を映画館で朝から晩までまる一日かけて観たことがある。
 
 


 
 
2011.8.29  震災ボランティアの礼状
 今年3月に起きた1000年に一度とも言われる東日本大震災。まもなく発災から半年になるが、発災から丁度1ヶ月後の4月11日に宮城県多賀城へボランティアに出かけた。マスコミで報道された気仙沼や大船渡のような物凄さはなかったが、多賀城も目を覆うような惨状だった。
 その多賀城市社会福祉協議会からお礼状が届いた。まだ復興半ばであるが、いつか機会があったら多賀城を訪れてみたいと思っている。

 
 
2011.8.24  レンゲショウマ
 2年ぶりに奥多摩御岳へレンゲショウマを見に行ったが、花の盛りなのでバスもケーブルカーも超満員。そして、レンゲショウマの群生地は老老男女でたいへんな賑わいでカメラの三脚を立てるのにも一苦労。
 今年のレンゲショウマ祭りは9月11日までだそうで、まだ蕾がたくさん付いている。

 
 
2011.8.17  横浜港の花火
 毎年横浜で開催されている「神奈川新聞花火大会」が、今年は「横浜から元気を!!東日本大震復興災祈念」として開催された。被災地の花火師による打ち上げや、被災地産の花火玉を使用するなど、震災復興の一助となることを目指していて、協賛金の一部を義援金にするとのことです。
 「みなとみらい21」沖の海上から打ち上げられた6000発の花火は見応えがありました。


 

 
 
2011.8.7  ジグソーパズル
 我が家の居間に大きなジグソーパズルが飾ってある。20年前息子たちが未だ中学生だった頃に親子4人で寄ってたかって半年がかりで完成させた77×105cm、2014ピースの大物である。その息子たちも今ではそれぞれ2人の子どもの親になっている。
 その息子たちが今年6月父の日にプレゼントにジグソーパズルを贈ってくれた。このパズルは球体の地球儀である。ピースは240と少ないのだが一つ一つが細かくて湾曲しているので、とても扱いにくい。時々思いだしたように取り出してやっているのだが、なかなか進まない。これも半年がかりかな。

 
 


 
 
2011.7.22〜31  霧ケ峰
 去年の夏は涼しい北海道で3カ月余を過ごしたが、今年の夏は近場で我慢することにして、カメラとパソコンそして文庫本数冊を持って信州霧ケ峰高原へ出かけた。
 初めの3〜4日間は晴れ間も見えてまあまあの天気だった。しかし、その後は霧ケ峰の名のとおり連日朝は霧か霧雨。日中も小雨か曇り空で時折り薄日が射す天気だった。ラジオでは気象予報士が「戻り梅雨」などと言っていて、天気が悪かったのはここだけではないようだ。
 でも、朝は鳥の鳴き声で目覚め、日がな一日CDラジカセで音楽を聴きながら本を読んだりパソコンをやるのは日常にはないことなのでそれなりにリラックス出来た10日間でありました。

 
 
2011.7.18  なでしこジャパン
 人に語るほどのサッカーファンではない(なにしろオフサイド・ルールの正確なところを知らない)のだが、朝3時過ぎに起きて女子ワールドカップの決勝戦をテレビで観た。追いついて追いついて、ついにPK戦に持ち込んだ。この頃になって、やっと起き出してきた妻はこの試合の一番いいところを観ている。
 誰が名付けたか知らないが、「なでしこジャパン」っていいネーミングだ。花言葉は「純愛」「大胆」「勇敢」だそうだが、まさに大和撫子が勇敢に戦いアメリカを破って優勝してくれた。震災で打ちひしがれている日本に勇気を与えてくれる優勝だった。
 数年前に、北アルプス白馬岳で撮ったタカネナデシコは可憐でした。

 タカネナデシコ
 
 
2011.7.11  小川の辺
 久しぶりに映画を観に行った。藤沢周平の短編「小川の辺」の映画化。
 海坂藩士・戌井朔之助は、藩から上意討ちの命を受ける。相手である佐久間は親友で、その上、妹・田鶴の夫でもあった。民を思って藩のずさんな政治を批判し、藩主の怒りを買った佐久間は、脱藩し夫婦で姿を消していた。剣の使い手である朔之助は、佐久間と田鶴を探しに旅立つ。気がかりなのは、自らも剣術の使い手である田鶴が、武士の妻として手向かってくることだった…。
 劇中に「武士というものは真に難しいものだ」というセリフがある。体面主義の武家社会を真っ向から批判することができない主人公の苦しい胸の内をよく表している言葉だ。本来戦いたくない相手にやむを得ず刀を向けるという構図は、藤沢文学にしばしば登場するパターンだ。
 ラストに決闘シーンがあるが、その舞台が兄妹が幼い頃に遊んだ小川によく似た、すこぶる平和な場所である。組織の歯車である下級武士の悲哀を描きながらも、最後にはスッと風が通り抜けるような印象の映画だった

 
 
2011.7.1  浄蓮の滝
 4日間の伊豆旅行の最終日、10数年ぶりに浄蓮の滝へ行ってみた。観光地へ行くとよくある光景だが、滝の入り口の土産物屋の店先で石川さゆりが唄っている。
   「隠しきれない移り香が〜〜〜寝乱れて隠れ宿 九十九折り 浄蓮の滝」
 ひとしきり滝の写真を撮ってからベンチに腰を下ろしてレンズ交換をしているところへ、カメラを持った老老男女の一団がやってきた。私の横に腰かけた老婦人が言うには、千葉県佐倉から10人でマイクロバスを仕立てて撮影旅行にやってきたとのこと。それにしても、皆さん立派なカメラや三脚を持っていて自分のカメラを横に置くのが恥ずかしくなるくらいだ。

 
 
 


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