徒然なるままに (7)


つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ

 

 
2011.6.30  波勝崎の野猿
 伊豆半島最西端の波勝崎 野猿の波勝崎苑に立ち寄った。ここは20数年前に訪れた時は猿が出ている海岸まで駐車場から歩いて行ったのだが、すっかり様変わりしていてわずかな距離なのにマイクロバスで送り迎えするようになっている。
 昭和30年頃から餌付けを始めて一帯に生息していた野生の猿の餌付けに成功し、現在では約300匹が棲息している。猿は2年に1回子を産むが、4月〜7月がその時期で、この日も今年生まれたばかりの子猿が何匹か母猿と一緒に餌を食べていた。
 以前、ここで猿に帽子を盗られてしまったことがある。なかにはメガネだけを盗るのが好きな猿もいたそうだが、そんな習性をもつ猿は駆除しているので、今ではそのような猿はいないそうだ
 よく見ると、猿はかわいい目をしている。飽かずに眺めていました。

 



2011.6.28〜7.1  伊豆
 これまで伊豆へは何回も行っている。特にサイクリングをせっせとやっていた20〜30代には西伊豆を走るために伊豆急で下田まで行って駅前で自転車を組み立てて走り出し、逆に下田まで走ってきて自転車を分解して電車に乗ったものだ。 そんなわけで下田の市街地のなまこ壁をじっくり見たことがなかった。
 そこで、今回は東海岸から下田・石廊崎・中伊豆を車で走ってきた。下田に一晩泊まりなまこ壁や伊豆石が施された建物をじっくり見て回り写真に撮った。日本最初の開港地である下田は開国時の歴史的風情がたくさん残っていてなかなかに良い街であった。

  
  
2011.6.19  講演会
 横浜市鶴見区に創立110年を迎えたとても歴史のある小学校がある。往年の清純派女優「桑野みゆき」はこの小学校の卒業生だそうな。
 この学校の卒業生やPTAで組織されているグループから講演会に招かれた。演題は「震災ボランティアと北海道の車旅」。与えられた時間は1時間で、4月に宮城県へ震災ボランティアに行ったことと昨年夏の北海道旅行のことを話した。テーマを欲張りすぎたので時間が足りなかったが、みなさん熱心に耳を傾けてくれた。この日の聴衆はほとんどが60歳代以上の50人で、最高齢は昭和11年にこの学校を卒業した人。
 
  
  
2011.6.9  横須賀しょうぶ園
 横須賀しょうぶ園の花菖蒲が見頃を迎えているというので観に行ってきた。奇しくも前回行ったのは2年前の同じ6月9日だった。
 江戸系・肥後系・伊勢系・米国系などに分類された400種、14万株と全国屈指の規模だそうです。
 「しょうぶまつり」が開かれている6月は汐入駅から直行バスが動いていて、平日でも大勢の人で賑わっている。

 
 
2011.6.4  三崎のマグロ
 最近テレビの旅番組で、三崎のマグロがよく放送されている。そのマグロを食べに三崎へ行ってきた。
 行ったのは「みさき魚市場」と呼ばれている「三浦市三崎水産物地方卸売市場」。マグロの競りが行われる市場の2階にある食堂は市場の関係者用なのだが一般の人も利用できるようになっている。飾り気も何にもない店なのだが、水揚げしたばかりの脂ののったマグロ丼は舌が落ちるように美味しかった。

 
 
 
2011.6.3  ユリノキ
 家の近くのバス通りに植えられている街路樹の葉っぱが面白い形をしていて、前々から気になっていた。葉は薄くて硬く淡緑色平滑で、葉の先端が大きく凹の形になっている。
 ネットで調べてみたら「ユリノキ」という名の樹で、北アメリカ中部原産、日本へは明治時代初期に渡来したそうである。





 
  
2011.5.30  ジョン・マン 波塘編
 久しぶりに山本一力の本を読んだ。わずか14歳 寺子屋にも満足に通えなかった貧しい漁師見習い万次郎が、鳥島でアメリカの捕鯨船と出会うまでを書いた波濤編。この本は昨年末に発行されたばかりで続編はまだ刊行されていない。山本一力は今続編を一生懸命書いているらしい。
 子どもの頃にジョン万次郎のことを書いた本を読んだことがある。鎖国日本から身ひとつで漂流し、初めて西洋文明(アメリカ)の中で暮らした日本人。その後、アメリカの高等教育を受けた日本人として帰国を果たした。帰国から2年後、あのペリー艦隊がやってくる。
 続編を早く読みたい。一力さん 早く書きあげてくださいヨ・・・・・
  
 
2011.5.25  東郷神社
 現展の美術展を見てから、いっしょに出かけたS、Yの両氏と共に表参道のレストランでほんの少しだけワインを飲んで昼食。その後、表参道の目抜き通りを散策したが、平日だというのに表参道は大勢の人で賑わっている。雑踏を避けて東郷神社へ行ってみた。御神体に日露戦争の日本海大海戦でロシアバルチック艦隊を殲滅した連合艦隊司令長官 東郷平八郎を祀ってある神社だが、本殿に向かってまっすぐ敷かれた赤い絨毯が印象的だ。
 神社を出たところで2匹の犬を連れた女の子に出会った。この犬の足が折れてしまうんではないかと思うぐらいにものすごく細い。訊いてみたら、イタリアのグレー・ハウンドという犬で、細身の筋肉質、無駄な肉がなく、スピード感に溢れた犬である。犬名の由来はグレイト(偉大)であると言う説、グリーク・ハウンド(ギリシャの犬)が転訛したとの説があるそうだ
東郷神社 グレー・ハウンド
 
 
2011.5.25  「現展」展覧会
 東京六本木の国立新美術館で開かれている現代美術家協会主催の第67回展覧会へ行ってきた。昭和23年に結成されたこの協会は大変長い歴史を持つ美術家の集団であり、出品作品は絵画・版画・写真・工芸と幅広い。
 現役で会社勤めをしていたときの同僚T君が今年も写真を出品した。「雪花」と題したモノトーンの写真は雪が舞う冬の高原に立つ一本の木を撮ったもの。今年2月に信州美が原高原で寒さに耐えながら撮ったものだそうである。
 
 
 
2011.5.22  羽田 大鳥居
 多摩川が河口に近くなって羽田から飛び立つ飛行機が見えるようになってくると、もはや海と呼んでもいいような感じになる。空が大きく広がり船が波に揺れ、カモメが飛んでいる。そんな所に大きな赤い鳥居が立っている。弁天橋を渡ると神社などないが柵に囲まれて、鳥居だけが風を受けて立っている。
 この鳥居 いろんな変遷を経て空港ターミナル前に建っていた。移動や撤去の話は何度も出たが、祟りを恐れて誰も手を下そうとしなかったといわれている。その鳥居が空港の拡張のためついにその地を動かなければならなくなった時は大きな話題になった。
 週に何回か、この鳥居まで我が家から40分余の自転車散歩です。

 
 
 
2011.5.15  浦賀の渡
 横須賀市の浦賀は、浦賀湾が奥深く入り込んでいるので 湾の東西を行き来するには湾をぐるーっと遠回りしなければならない。 そこで便利なのがこの「浦賀の渡し」という渡し舟。 地元では「浦賀海道」と呼ばれていて、正式には横須賀市の「市道2073号」なのだそうです。
 乗船場所は湾の東と西に1箇所ずつ、舟がいないときは舟乗り場のブザーを押すと対岸から舟がやって来るといったなんとも風情がある。対岸は肉眼でも見えるので乗ってしまうと5分であっという間に対岸に着いてしまいます。因みに船賃は大人150円・子ども50円、そして自転車は50円です。

  
  
 
2011.5.13  工作船
 横浜港赤レンガ倉庫のすぐ近くに、「工作船展示館」と大きく表示された海上保安庁の資料館がある。平成13年12月九州南西海域で発生した北朝鮮による工作船事件で沈没した工作船が展示されている。漁船に仕立てられた全長約30mの工作船にはロケットランチャー・軽機関銃・自動小銃など多数の武器や弾薬が積まれていた。それらの装備が船体とともに海中から引き揚げられて展示されている。
 拉致問題をはじめとして、北朝鮮ついてはいろいろ報道されているが、まさかこんな船が日本の周りをうろちょろしているなんて恐ろしいことだ。北朝鮮はいったい何を考えているのだろうか。

 
 
 
2011.5.9  山手イタリア山庭園
 横浜みなとみらい21地区や関内周辺の住宅地区を一望するイタリア山庭園へ行ってみた。
 この庭園はイタリアの庭園様式を模した水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園で、明治時代にイタリア領事館があったことから「イタリア山」と呼ばれるようになったそうです。ここには明治末から大正にかけて建築された2棟の洋館が移築復元されて公開されている。
 「ブラフ18番館」はカトリック山手教会の司祭館として大正時代に建てられた建物であり、「外交官の家」は明治政府の外交官の邸としてアメリカ人建築家が明治時代末に建てたものです。

 ブラフ18番館



外交官の家
 
 
 


前のページ  次のページ