徒然なるままに (6)


つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ

  
 

2011.4.30  等覚院の躑躅
 等覚院は川崎市宮前区神木(しぼく)に建つ天台宗の寺院であるが、つつじの寺として知られている。仁王門から本堂にかけての石段の両脇、そして本堂の周囲に丸く刈り込まれた100株近くのつつじが赤や桃色・白色 色とりどりに美しく咲いていました。

 
 
2011.4.26  多摩川の水位観測所
 多摩川の左岸 東京側のサイクリング道路を上流に向かって走って行くと、田園調布水位観測所がある。堰には「計画洪水位AP+10.22m」との表示があり、堤防が耐えられる水位を示しているのだろうか? そして、その下部には過去の洪水の水位を表示してある。一番高い水位は昭和13年9月1日に記録した +8.85m 。 この水位を見ると今回の三陸の津波がいかに凄かったか・・・・・・・
 なお、左側の鉄橋は東急東横線で、その奥は武蔵小杉駅近辺のビルである。
@ 昭和13/9/1  +8.85m
 
A 平成19/9/7  +8.60m
 
A 昭和22/9/15 +8.60m  
 
C 昭和57/8/2  +8.50m
 
D 昭和3/8/1   +8.13m 

 
2011.4.22  五月人形
 久しぶりに自転車で羽田空港国際線ターミナルへ行ってみた。展望デッキに昇るエスカレーター脇には端午の節句が近いので大きな五月人形が飾ってあり、外国人旅行客が物珍しそうに写真を撮っています。

 
 
2011.4.17  しらす丼
 しらす丼を食べに片瀬海岸へ行ってきた。しらす丼は白飯を盛った丼の上にシラスを乗せ、タレや醤油ををかけただけの簡単なものであるが、とても美味しかった。カタクチイワシの稚魚であるシラスは、首都圏では片瀬海岸や茅ヶ崎など湘南海岸周辺の漁場で獲れるものが有名である。
 しらす丼を堪能した後は、極楽寺・長谷観音に立ち寄り鎌倉駅まで1万5千歩のウォーキングに付き合わされてしまいました。

 
  
2011.4.11〜13  震災ボランティア
 3月11日に発生した東日本大震災は、マグニチュード9.0を記録し、地震と津波で多くの犠牲者が出ている。さらに、追い打ちをかけるように福島の原発事故が起こり、被災地は大きな被害に見舞われた。
 地震発生からちょうど1カ月経った4月11日から3日間、宮城県多賀城市へボランティアに行ってきました。実際に目にした光景は目を覆うばかりであり、まさに自然の力の前には人間は無力であることを思い知らされる光景です。幹線道路は車の通行に支障を来たす瓦礫を撤去してあるが、それでもいたる所で交互通行になっているし、生活道路は未だ瓦礫の撤去が進んでいない。

 
  
2011.4.6  お祭りの中止
 震災や計画停電の影響で各地で祭りの中止や縮小が報じられている。浅草の三社祭、隅田川の花火、上野の夜桜。こんな時世だからこそ世の中を元気付けるためにも、お祭りをやった方がよいという声もあるが、被災者の気持ちを考えればやはり自粛した方がよいように思っている。
 我が町の神社でも5月の例大祭が中止になる旨の立て札が立った。
 「日枝大神社では5月14・15日に例大祭の斉行を予定していましたが、東日本大震災に伴う現状の社会的・地域的情勢を鑑み、これを中止することといたしました。・・・・・・・この度の大震災により犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災された皆々様に心よりお見舞い申し上げます。 日枝大神社 宮司 氏子総代」
  
  
2011.4.2  ZANGIRI
 「ザンギリ頭をたたいてみれば 文明開化の音がする」
 「安政の開港とともに、生活様式の洋風化が進むなか、政府の「断髪令」に先がけ、明治2年横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業された。欧米風「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなった。」と、モニュメントの説明が書いてあった。
 妻と共にサイクリングで出かけた横浜港山下公園の一画で見たモニュメントです。









2011.3.31  ポタリング
 肥満対策のため2月上旬からやっている自転車でのポタリング、週2〜3回のペースで羽田空港まで行っている。多摩川のサイクリングコースを走って往復約20キロ、累計で350キロになった。東海道だったら名古屋まで走ったことになる。国際線ターミナルの展望デッキでジュースやコーヒーを飲みながら飛行機を眺めながら休憩するので2時間ほどの朝の日課である。
 自転車で時速20kで1時間走ると消費カロリーは240kcalだと言われているので、かなりのカロリーを消化していることになる。そして、効果はというと未だ際立った数値は現われていないが、体重も体脂肪も減ったように思っている。
 国際線ターミナル近くの駐輪スペースには通勤だろうと思われる自転車がいつも停められているが、土・日にはいわゆるサイクリング車が何台も停まっている。

 
 
 
2011.3.23  旅行の中止
 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」という格言がある。お彼岸が過ぎて温かくなったら九州路を旅する予定で準備をしていたが、このご時世に呑気に旅行などして遊び呆けているのも憚られるので、九州への旅を断念することにした。
 そこで、不要になった旅行費用の一部をこの度の震災の義援金に充てることにして、区役所の赤十字の窓口へ行ってきた。義援金はほんの僅かだがちょっとだけ社会貢献したような気になっている。

 
 
 
2011.3.18  原発 計画停電
 原発が大変なことになっている。被爆の危険の中で作業中の原発関係者の苦労は大変なのだろうが、東電のトップがなかなか出てこない。時折り出てくるのは副社長で社長は何をしてるんだろうか。自殺したんじゃないかなどとネットで囁かれているのを見たが・・・・まさかそんなことはないだろう。
 初めて聞く語だが計画停電が始まった。大規模な停電を防ぐためのことだから仕方がないが、今更ながらに電気に頼った生活をしていることを思い知らされている。
 山登りを盛んにやっていた頃に、テントの中で使っていたガスランタンを灯した。80Wほどの照度があるかなり優れ物のガスランタンである。

 
 
 
2011.3.15  東日本大震災
 地震発生から5日目になった。連日新聞やTVは被災の模様を報道していて、今更ながら津波の恐ろしさを思い知らされている。そして、津波を撮影していた人たちの多いのにもびっくりだけれど、その威力をまざまざと見せつけられている。日を追うごとに犠牲者の数が増えていて、この分ではまだまだ増えるのだろうか。自然は恐ろしいものだ。3年ほど前に岩手県を旅行した際に、三陸の山田湾で防潮堤を背にして老漁師さんと言葉を交わしたことがあるが、あの漁師は無事だったのかなーーーー。
 この震災 気象庁は「東北関東大震災」と名付けたので国やNHKはこれを使っているが、民放や新聞は「東日本大震災」という語を使っている。だが、読売だけは「東日本巨大地震」を使い読売巨人軍の「巨」を入れたいのだろうか。セ・リーグの開幕日をめぐってのジャイアンツの横暴を見ていると、そう思いたくもなり、ますますアンチ・ジャイアンツになりそうだ。



2011.3.11  南房総からの帰宅
 白浜に着いて自転車を車にしまい込み、ラジオを点けたら地震発生を伝えていて、信号機はすでに点灯していない。(15:00)
 金谷の道の駅でトイレ休憩し情報収集しようとしたが、電気・電話が不通でアクアラインやフェリーのことが不明。そのうちに消防車がサイレンを鳴らし、引き波が現われているので高台へ行くようにとアナウンス。途中コンビニでトイレと食べ物を買おうとしたが、おにぎりやパンは売切れで、トイレも使用不能。
 君津に着くと、信号機が点灯していてコンビニに灯りが灯っているがトイレや公衆電話は延々長蛇の列。ここもおにぎり等は売切れで肉まん4個と御茶を購入して走り出したのが19:00。
 木更津を過ぎるころから、ほんの数メートル走って停まるの連続で市原の石油コンビナート火災の影響もあってかものすごい渋滞。途中運転手のいない車が何台かあったが、ガソリンエンコか?幕張で早めの給油をしようとガソリンスタンドへ行くと10リットルしか売ってもらえない。
 結局、東京湾をぐるっと回って家に辿り着いたのは翌日の正午12:00。21時間の苦行でありました。
 
コンビニのトイレは延々長蛇の列 パンなど腹の足しになるものは売切れ



2011.3.11  南房総サイクリング
 アクアライン・館山自動車道を走って2時間ほどで道の駅「南房パラダイス」に着き、車から2台の自転車を取り出して妻を伴ってのサイクリング。
 ウィークデイなので交通量が少なく右手に南房総の穏やかな海を眺めながら、のんびりとペダルを踏んで1時間余。白浜の野島崎灯台は青空の下綺麗だ。白浜からは左手に露地のお花畑を見ながら千倉へ。ウィークデイだが花つみをしている人もちらほらいる。
 千倉へ着くころから急に風が強くなってきたので往路を引き返すことにする。白浜に自転車をデポしてタクシーで南房パラダイスに戻り、車で白浜に戻る時に激しい揺れが起こった。

 
 
 
2011.3.7  資源ごみの分別収集
 私が住んでいる市でも今月からごみの分別収集が始まった。普通ゴミとは別に駐車場の一画に所有者が資源ごみの集積場所を提供してくれている。週に4日も資源ごみの回収があるので、市は収集日の広報をしているのだが、なかには収集日を間違えて出す人がいる。そこで、集積場に貼るポスターを作ったが、我ながらよく出来たと自画自賛している。




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