徒然なるままに (5)


つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ


   
2011.2.25  雛人形
 羽田国際線ターミナルの江戸小路は、修学旅行生やバスツアーと思しき団体で相変わらずのにぎわいです。桃の節句が近いので、展望デッキに昇るエスカレーターの脇には「雛人形」が飾ってあります。

 
 
 
2011.2.21  妻とのポタリング
 週2〜3回やっている自転車でのポタリング この日は妻を伴って走った。この折りたたみ自転車は、車で旅行に行ったときに街中を散策する目的で昨年春に買ったものであるのだが、サドルやハンドルの高さを妻に合わせて調整してのポタリングである。
 いつものとおり羽田国際線ターミナルまでの往復約20キロである。いつもの駐輪スペースに自転車を停めて、今日はターミナル間連絡バスに乗って国内線ターミナルへ行ってみた。いつもとは違う光景が広がっている。
 妻はこの自転車を気に入ったようで軽快に走り、「私用のものを・・」などと言っている。

 
 
 
2011.2.17  PCのトラブル
 PCのトラブルと書いたが、正確に書けばホームページのスライドショウが機能しなくなってしまった。サムネール写真は表示されるが、拡大表示されなくなってしまった。一つのページだけではなく5〜60あるスライドショウのページすべてがである。いろいろ本を読んだりしたが修復の手立てが分からない。
 そこで、加入している川崎シニアネット・サークルのメーリングリストに「教えてください」とメールを送ったところ、すぐに5〜6人の方からアドバイスのメールが送られてきた。
 それらのアドバイスを基に修復作業を行って、スライドショウは復活して事なきを得た。シニアネットにはPCの操作に長けた人が大勢いるので、これまでにも何回か困ったときに助けてもらっています。
川崎シニアネット → http://kawasaki-snet.com/index.htm

 
2011.2.12  老人会合同慰霊法要
 私自身はまだ老人会に加入していないが、老人会主催の会員物故者合同慰霊法要に行ってきた。概ね5年ごとに行われているもので、前回法要後に亡くなった会員の遺族が町内のお寺で法要を行うものである。私の父は平成20年に他界していて、今回の法要ではこの5年間に亡くなった50人の法要が行われたが、昭和44年から続いている老人会主催の行事である。

  
  
2011.2.8  おかま
 羽田空港入口の大きな鳥居の近く、多摩川の畔に「五十間鼻無縁仏堂」という小さな堂がある。関東大震災や東京大空襲で亡くなった無縁仏を祀ってある仏堂である。
 ここで、とんでもない人に出会ってしまった。なんとも派手な衣装だ。目が合ってしまったので、「こんにちわ」と言ったら野太い声で「こんにちわ」と返ってきた。世の中いろんな人がいるものだ。日本は平和である。

 
 
2011.2.4  肥満対策
 会社を定年退職した時の体重は53キロ体脂肪13%で、特に体脂肪13はちょっとばかり自慢であった。それが退職後7年経ったら62キロ25%になっている。トレーニングセンターやウォーキングをやってみたが、いずれも長続きしなかった。
 そこで、昔やっていた杵柄でサイクリングを始めることにした。この自転車はちょっとした代物で、街中を走っている所謂ママチャリだったら2〜30台は買えるという代物。
 この自転車で家から10キロ余の羽田空港国際線ターミナルまで走って行った。正規の自転車置き場ではないようだが、ちょっとしたスペースがあって2〜30台の自転車が停められている。長いエスカレーターに乗って行くと、そこは国際線のターミナルだった。さらにエスカレーターを2っ乗り継いだ展望デッキでコーヒーを飲みながら飽かずに飛行機の離発着を眺めていました。

 
 
 





2011.1.31  木村屋敷
 伊豆半島河津町峰に 「木村屋敷」と名付けられた立派な旧家がある。 庭を含めた約9,200平方メートルのこの屋敷は昭和初期に旧三菱財閥の重鎮・木村久寿弥太の伊豆の別邸として造られたもので、皇族を迎えられるように屋敷全体が茶室のある迎賓館的な造りになっている。一つ一つ高価な材料が用いられ手の込んだ造りになっていて、玄関扉、床、天井なども大変丁寧に仕上げられています。そして、屋根は古田織部の陶器で出来ていて緑の瓦が美しいです。
 弟妹夫婦らと8人で南熱海の温泉で湯に浸かり、ちょっと足を延ばして見学したものでありました。

 
 
 
2011.1.28  終わらざる夏
 玉音放送の3日後に千島列島の先端の島で実際に起きた日ソ両軍の戦争を軸に、戦争に巻き込まれて翻弄された人々の物語り。45歳になり、もう召集はないと考えていた翻訳編集者、高い志を持つ医学生、金鵄勲章に輝く歴戦の英雄。終戦間際に、千島列島の最先端の占守島に向かうことになったこの3人を軸に、彼らの家族や、動員計画を立てる参謀、赤紙を配る役場職員、疎開中の子供や教師、そしてソ連兵の物語を描いている。・・・・・・
 浅田次郎が著したこの本を図書館に貸出予約をしたのは、昨年8月下旬だったのにまだ140人待ちである。私よりもちょうど1カ月早く予約してやっと順番が回ってきてこの本を読み終えた友人から、返却期限まで未だ間があるからとのことで借りて読んだものである。



2011.1.18  吾妻山の菜の花
 シニアネットのグループで二宮の吾妻山へ行ってきました。寒い日が続いていたのに、ここは温暖の地で菜の花やスイセンがきれいに咲いていて、絵描きさんのグループが何人も富士山を見ながら絵筆を動かしています。
 二宮は小学校時代に住んでいた地で、懐かしい町です。その頃の吾妻山はただの雑木の山で、こんなに様変わりするとは、その頃には想像もできませんでした。


 

 
 
 
2011.1.10  よみうりランド ジュエルミネーション
 よみうりランドで、7色のジュエリーカラーを基調とするLEDを使ったイルミネーションが点灯されている。ジュエリーロードは25万球の宝石色のLEDに包まれ、とてもロマンチックなビュースポットであり、100mの桜並木はまるで宝石箱の中にいるような感じです。
 でも、ここは高台にあるので、とても寒かったです。

 
 
 
2011.1.8  川崎大師
 遅まきながら川崎大師へ初詣に行ってきました。七草を過ぎたというのに大勢の参拝客で賑わっています。我が家から大師までは5キロ弱、ウォーキングだと言って、今年も妻に歩かされてしまいました。

 

 
 
2011.1.3  箱根駅伝
 箱根駅伝を毎年観に行っている。場所はいつも決まっていて、往路は鶴見中継所まで500mの地点、復路は鶴見中継所まで500mの鶴見川の橋の上。
 復路は白熱していてギリギリまでテレビを見ていて、自転車で駆け付けたらトップの早稲田は通り過ぎて2位の東洋大学が走り去るところだった。
 昨年シード権を取れず、秋に行われた予選会でも出場権を得られなかった我が母校は今年は出場していない。この秋に行われる予選会で出場権を得て来年は母校の雄姿を見てみたいものだ。


 


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