徒然なるままに (9)


つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ


 
 
2011.12.27  山仲間の忘年会
 腰痛を患ったり巻き爪が痛かったりしたので、今年は遂に一度も登山靴を履くことがなかった。それでも恒例の山仲間との横浜中華街での忘年会に参加した。中華料理を食べながら紹興酒を飲んで山の話で盛り上がった。でも、みんな歳をとって山行回数は随分少なくなっているようだ。
 二次会はみなとみらい線元町・中華街駅近くのJAZZダイニングバー「491 HOUSE」で生のJAZZライブを聴きながら、バーボンウイスキーを飲んだ。古き良き横浜のバーって感じで、どこかレトロでノスタルジックな横浜らしい雰囲気でありました。
 
 
2011.12.16  ちょっと田舎で暮らしてみたら
 NHKの「ラジオ深夜便」で面白そうな本を紹介していたので、早速図書館で借りてきて一気に読んだ。
 海外でのロングステイはよく話題になるが、著者は会社を定年退職した後の過ごし方として、妻と一緒に国内での1ヶ月程度の長期滞在をして田舎暮らしを楽しんでいる。沖縄、中国山地、小笠原、山形の温泉、そして五島列島。3年間の間にそれぞれ1ヶ月限定で古民家や湯治宿に泊まり、現地の人に溶け込んで楽しんでいる。少しばかり憧れるものがある。

 
 
2011.12.13  江の島
 藤沢へ行く用事があったので、ちょっと足を延ばして久しぶりに江の島へ行ってきました。12月中旬なのに冬とは思えないような温かい日で、富士山を眺めながら釣りをする人やウィンドサーフィンをする人がいて、みんな楽しそうです。東京世田谷から毎週来ていると言うシニアはイナダやタコを釣り上げていました。砂浜に上がってきたサーファーは70歳を過ぎた白髪のサーファーでした。老人がみんな元気です。

 

 
 
2011.12.5  横浜港本牧埠頭
 以前より気になっていた本牧埠頭に建っている横浜港シンボルタワーに行ってみた。この塔は本牧埠頭D突堤の広大な緑地に建っていて、タワーの高さは59mあり、横浜港に出入りする客船や貨物船が安全に航行できるよう、階下にある本牧船舶通航信号所より情報や信号を送っている。
 朝の自転車散歩は山下公園辺りまでの往復25kがこれまでの定番だが、この日は40kも走ってしまった。朝の散歩にしてはちょっと走りすぎかな。

 
 



 
 
2011.11.25  白内障
 この夏の初めに目が霞むことがるので、眼科へ行ったら白内障との診断だった。医師は年齢を重ねれば誰もがなるもので、手術した方が良いと言う。昔に比べると、医療機器や技術などが進歩しているので心配はいりません。とは言うものの、目の手術は怖い。
 手術後数日間入浴の制限があるので、秋になって涼しくなってからにしようと思っていたら腰痛を患ってしまった。そのため11月になってから手術をした。日帰りの手術はまず右目そして1週間後に左目を行った。数日間は風呂の制限、目薬3種類を1日に8回もの点眼が煩わしかったが、術後視力は大分回復した。でも、老眼は元に戻らないので、目の状態が落ち着いたら改めてメガネを新調することになるそうだ。
 
  
  
2011.11.16  バッテリーが上がった
 早朝に出かける妻を駅まで送るため、車を動かそうとしたらエンジンがかからない。止むなく妻は自転車で出かけたが、車はバッテリーが上がっていた。考えてみたら、この2ヶ月間で車を走らせたのはほんの数100メートルだけだった。
 隣家の車とブースターケーブルで繋いでエンジンを始動させてからディーラーへ行ったら、「1〜2週間に一回ぐらいは車に乗るように」と言われてしまいました。

北海道稚内の道道510号線で


2011.11.13  七五三
 次男の息子の七五三参りがあった。息子の家族は二宮に住んでいるので、地元の川包神社へお参りに行った。
 この神社の創建は、大和朝廷がこの地を師長(しなが)国とした時代、第11代垂仁天皇の勅命を奉じて創られたと伝えられている。そして、「延喜式」(927年)にも記載されていて、このあたりを開拓した級津彦命(しなつひこのみこと)を主神として祀られている。 神社入口の左右には、曽我十郎・五郎の力石と伝えられる大石があります。
 神社でお参りの後、大磯プリンスホテルへ移動して食事をしたが、息子が言うにはこれが二宮での七五三参りの定番コースだそうである。
 
 
2011.11.7  ガス灯発祥の地
 横浜は1859年に港が開かれて以来西洋文化の玄関口となり、横浜から全国に広がったものが横浜には数多くあります。朝の自転車散歩の折りにそれらのものを訪ねてみることにした。
 ガス灯は、明治5年(1872年)に、馬車道・本町通り等に設置・点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部はイギリスから輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われている。
 当時の型をモデルとしたガス灯が、馬車道通りの横浜市市民文化会館(関内ホール)の脇に2基復元されている。

 
 
2011.11.3  ブルーインパルス
 毎年20万人を超える観客で賑わう入間航空祭が、今年も自衛隊入間基地で開催された。
 最寄り駅である稲荷山公園駅に午前8時に到着。ところがものすごい人で、入間基地に入るまでに1時間もかかってしまった。飛行機の地上展示やジープに乗った振袖姿の女子自衛官10数人のパレードがあったりして、あまりの人の多さにビックリ。
 晴れの特異日であるはずの文化の日なのに、残念ながら曇り。そうなるとブルーインパルスのスモークが青空に映えないのがちょっと寂しい。
 来年はしっかりと晴れてもらいたいーーー

 ブルーインパルス
 
 
空挺団の落下傘地上降下
 
 


 
 
2011.10.30  旧近衛師団司令部庁舎
 
久しぶりに妻といっしょに東京都内散策に出かけた。有楽町から霞ヶ関の官庁街・国会議事堂前の大通り、平日には車の通りが激しい道路も閑散としている。だが、内堀通りの歩道は皇居ランナーがひっきりなしに走っている。昼食はイギリス大使館脇のホテルのレストランで摂ったがここも閑散としている。
 内堀通りから北の丸公園に行くと重厚な建物が目に入った。今では東京国立近代美術館工芸館として生まれかわったこの建物は旧近衛師団司令部庁舎。
 明治43年(1910)に完成した赤レンガ造り・2階建て・スレート葺・ゴシック風の建物で、明治洋風建築としては代表的な存在となっています。 関東大震災や弟二次大戦をくぐりぬけ、ほぼ完全な姿をとどめている。昭和20年8月15日、終戦に反対する将校が近衛師団長を殺害し、玉音放送の録音盤を奪おうとしたクーデター「宮城事件」の舞台にもなった場所です。
 この後、平川門から皇居東御苑に入って天守閣跡を通って大手門から東京駅に出て散策を終えた。

 
近衛師団司令部庁舎の外壁のレンガはイギリス積みで積まれている。この積み方はレンガを長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式であり、フランス積みに比べると、丈夫(強度が高い)で 経済的(使う煉瓦が少なくて済む)といわれている。右の写真は、昨年夏撮った網走刑務所の塀である。

 
2011.10.26  裏磐梯五色沼
 
北海道摩周湖近くに住んでいる従兄弟夫婦が今年も紅葉前線とともに鹿児島へキャンピングカーで旅立っている。今年は福島県郡山の従兄の家に立ち寄るので郡山へ出かける。この日の夜は郡山近辺に住んでいる従兄弟が6人集まって夜遅くまで話が弾んだ。
 翌日、北海道の従兄夫婦は鹿児島へ向かって旅立って行った。そして、私は郡山の従兄夫婦といっしょに裏磐梯へ向かった。折りしも裏磐梯は紅葉の盛りであったが、従兄がが言うには「いつもの年に比べると今年は人出が少ないようだ」。やはり原発の影響で福島は敬遠されているのだろうか。 

 
 
2011.10.12  インド水塔
 
この夏の猛暑そして秋口に患った腰痛のため、ここ3ヶ月間朝の自転車散歩が出来なかった。久しぶりに横浜山下公園まで走ってみたが、腰痛をあまり気にせずに走れる。
 山下公園の一画に「インド水塔」と名付けられたドームのようなものがある。関東大震災の際に横浜市がインド商人をはじめとする外国商人の救済措置を積極的に講じた返礼としてインド商組合から寄贈されたものである。華麗なモザイク模様のドームはイスラーム文化の意匠が施されている。
 山下公園は関東大震災で出た瓦礫で海岸を埋め立て、その上に深さ1mの土で覆われているそうだ。

 
 
2011.10.4  秋です
 
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、あんなに暑かったのが懐かしいくらいに涼しくなり、ときには朝晩は肌寒さを感じる季節になりました。
 腰痛が未だ完治していないので出かけることができない。2階ベランダから雲の写真を撮ってみました。雲はまさに秋の雲であり、テレビのアンテナが魚の骨のようです。