徒然なるままに 20

つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ




2017.4.13  慈雲寺のさくら
 今回もさくら撮りの旅です。南武線・中央線あずさを乗り継いで塩山駅、さらに小一時間歩いて着いた所が甲州市塩山中萩原の慈雲寺。バスの便はあるが、早朝6時半、次の便が13時なのです。(車の運転免許証を返納してしまったことが悔やまれる。)
 うわさに違わぬ見事なシダレザクラであり、花見客やカメラマンが大勢訪れている。境内には三脚の使用禁止の立て札が立っているのに三脚を立てている輩がいる。危うく三脚の足に蹴つまづいてしまいそうになったが、ルールを守らない輩はどこにもいるものだ。
 
 さくらの写真をたくさん撮り、帰りに塩山駅の近くで食べた「ほうとう」がとても美味しかった一日でありました。


慈雲寺 糸桜





2017.4.10  白泉寺のさくら
 伊勢原市大山の山中に自生する樹齢400年のオオヤマザクラを見に山道を登って行ったが、残念ながら上の桜も下の桜も未だつぼみであった。
 やむなく小田急電車・バスを乗り継いで秦野市大倉の白泉寺へ行ってみた。こちらは樹齢130年のエドヒガンの紅枝垂れ桜が見ごろを迎えている。桜は樹の種類や標高、気候にによって花の咲き具合が随分違う。境内にたまたま住職が出ていて、「今が一番良い時期ですよ」と言って、日ごろの手入れのことなどを話してくれました。






2017.4.7  六義園
 朝方は小雨が降っていたが、午後になって天気は急に回復し晴れ間が見えてきた。急いで支度をして文京区の六義園へ出かけてみた。
 六義園の有名な一本さくらは花の盛りを過ぎていた。つい4日前にテレビに映ったときは満開だったのに、花の命は短いとはよく言ったものだ。
 和服を着た女性からカメラのシャッターを押してくれと頼まれ、ついでにモデルになってもらった。






2017.4.4〜5  静岡への旅
 前々から気になっていた遠州横須賀へ、今週も青春切符の旅です。
 新幹線だと東京か新横浜へ行かなければならないが、東海道線は同じホームでの電車の乗り継ぎがあるものの川崎から袋井まで一本で運んでくれる。
 袋井から乗ったバスは乗客3人で、これで採算が合うのかと要らぬ心配をしてしまうが、地方のバスは大方こんなものだ。
 昔、横須賀城があり賑わっていた遠州横須賀街道は人の通りがなくシャッターを下ろした店が目立つ。やっと見つけたお店で食事をしていたら、老人会の役員が入ってきた。この町も若い人は都会へ出て行ってしまい戻ってこないので人口は減るい一方だそうだ。  この日はJR掛川駅近くのホテルに泊まり、翌日、掛川城へ行ってみた。
 掛川城は戦国時代に築かれたお城だが明治2年の廃城令により取り壊された。その後、平成の時代になって篤志家の5億円の寄付、それに呼応した市民や企業の寄付で再建された。我が国で初めての本格的木造天守閣の復元であり、他の復元された鉄筋コンクリート造のお城に比べると、柱や壁、床板の造りなど趣きが違う。やはり、いいものだ。

掛 川 城





2017.3.28〜29  長野への旅
 春は"青春18きっぷ"のシーズンです。妻は"老人70きっぷ"だと揶揄するが、気分は青春なんです。
 早朝に川崎を発って南武線・中央線・篠ノ井線を乗り継いで長野駅に着いたのが12時だった。これで料金は2,000円余だった。年金暮らしで暇を持て余している者には打ってつけの切符だ。
 車窓から、未だ雪を被っているいる南アルプスや八ヶ岳の山並み、篠ノ井線では北アルプスの山並み。とりわけ雪の常念岳が印象的だった。
 長野駅からバスで30分の松代は、落ち着いた雰囲気の町並みが続いている。町のはずれにある戦時中の松代大本営の地下壕にも行ってみたが、地下壕はわずか500m程しか見学できず、ただの素掘りの洞窟といったところで、期待が大きかっただけに期待外れの感を否めない。この日は長野駅近くのホテルに泊まった。
 翌日は、長野駅から篠ノ井線に20分ほど乗って、今回の旅の主たる目的地の稲荷山へ向かった。明治時代に商家町として栄えた稲荷山の町並みは、そこかしこに往時の繁栄ぶりを偲ばせる建物が残っている。

稲荷山の町並み





2017.3.19  赤山地下壕
 この朝、大井町駅で人身事故があり東海道線・京浜東北線が運休になっていた。そんなことは知らなかったが、房総舘山へ行くのに横須賀線に乗ったのが正解だった。でも、その影響で横須賀線から続く内房線もダイヤが乱れていた。
 舘山駅でレンタサイクルを借りたら電動アシストの自転車だった。この自転車に乗るのは初めてだったが、なるほど楽で坂道をスイスイ上って行ける。
 舘山駅から自転車で20分ほど走った所に戦時中の舘山海軍航空隊の地下壕があり、赤山地下壕として一般公開されている。壕は合計した長さが1.6Kmもあり全国的にみても国内最大級の素掘りの地下壕である。
 こういった戦争遺跡を見ていつも思うことだが、平和な時代に暮らしている我々は幸せだ。






2017.3.16  三島から沼津へ
 三島駅の観光案内所でレンタル自転車を借りて、先ず三島大社へ行く。伊豆国一宮の三島大社は源頼朝にゆかりのある神社で立派であり、平日なのに参拝客が多くお宮参りの着飾った親子もいる。
 本殿で二礼二拍手一礼の参拝をしてから、再び自転車で柿田川へ向かう。日本三清流ともいわれる柿田川の流れは澄んでいる。流れの中に梅花藻の小さな花が咲いている。この花の盛りは5月頃からであり、今は未だちらほら咲いているだけで残念だ。
 自転車を三島駅の観光案内所に返して、今度は電車で沼津へ。駅前からバスで沼津港へ行き、市場の寿司屋でお寿司の昼食。とりわけウニとイクラの握りが美味でした。

三島大社の宮司と巫女さん





2017.3.7  愛新覚羅浩(あいしんかくら・ひろ)
 千葉市稲毛の愛新覚羅溥傑仮寓を見学したら、床の間に古い写真が掲げられている。写っているのは愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)と浩(ひろ)の二人である。 ボランティアガイドは次のように説明してくれた。
 溥傑は清朝最後の皇帝 愛新覚羅溥儀の弟であり、浩は溥傑の妻であった。浩は嵯峨侯爵の娘であり、昭和天皇とは父親同士が母系のまたいとこにあたる。明らかに政略結婚である二人は結婚当初稲毛のこの邸で暮らしていたが、仲睦まじかったそうだ。その後、溥傑の軍関係の転属等で満州と日本を行ったり来たりして、太平洋戦争の終戦を迎えた。その間、夫婦は二人の娘をもうけていた。
 戦後、溥傑はソ連軍に拘束されたり、八路軍に連行されたりした。それに伴って妻 浩も流転の日々を送っていた。そして、溥傑は平成6年に、浩は昭和62年に亡くなり、波乱の生涯を閉じた。
 二人の娘のうち、 次女は昭和32年に学習院大学在学中に交際していた同級生と伊豆 天城山でピストル自殺し、当時、「天城山心中」、「天国に結ぶ恋」と言われていた。
 一方、長女はその後関西の実業家と結婚し、現在も健在で兵庫県西宮で娘(溥傑・浩夫婦の孫)と住んでいる。






2017.1.27  大磯ー湘南発祥の地の碑
 小学校時代の6年間を湘南 二宮に住んでいた。大磯の照ヶ崎海水浴場や湘南平(当時は高麗山と呼んでいた)へ行く時は大磯駅を利用していた。その後は、大磯駅近くを車で通り過ぎることは度々あったが、大磯駅へ行くことはなかった。だから大磯駅に降り立ったのは実に60数年振りのことだった。
 駅前には「湘南発祥の地」の稗が建っている。江戸時代に大磯で草庵を結んだ崇雪が、標石に残した「著盡湘南清絶地」という碑文が湘南のルーツであるという説にちなんで建てられた碑である。
 
 この後、バスで大磯城山(じょうやま)公園へ行き、旧吉田茂邸や旧三井別邸を見学した一日でありました。






2017.1.13  下谷七福神
 江戸時代に広まった正月の風習に七福神巡りがある。松の内と呼ばれる1月15日まで寺社に七福神の神様がいると伝えられていて、この期間に寺社にお参りすると災いを逃れ幸福をもたらされると言われている。
 七福神巡りは全国各地にあるが東京にも多くの七福神がある。そんな中で東京台東区の下谷七福神を巡ってみた。するーっと回れば1時間半ほどだが途中で食事をしたり寄り道したので3時間もかかった正月松の内の散歩でありました。








2017.1.7  初詣ー川崎大師
 新年になって7日だというのに川崎大師は大変な人出である。山門に入るまでに長蛇の列であり、山門を入ってからも更に入場制限があり本堂までの間に何人もの警備員が立ち並んでいる。お参りするのはほんの1〜2分なのに〜〜
 毎年、全国の社寺の正月3が日の参拝客の人出が発表になるが、川崎大師は今年も明治神宮・成田山新勝寺に次いで全国3位の300万人であった。
 みんな何をお参りしているのだろうか、つい1週間前にはクリスマスを祝っていたのに、年が明けたら仏様にお願いをする仏教徒になっている。








2017.1.3  箱根駅伝
 箱根駅伝は、今や正月の国民的行事になった感がある。駅伝コースが近いので毎年コース上で観戦している。選手はあっという間に目の前を駆け抜けて行く。レースをくまなく見られるテレビの方が良いのだが、沿道での雰囲気はテレビでは味わえないものがある。
 我が母校は過去76回も出場している古豪であるが、ずーっと昔に往路・復路各1回優勝しているものの総合順位は3位が最高である。そして、ここ数年は10位前後でシード権の圏内に入れるかどうかと低迷している。
 昨年シード圏内に入れなかった母校は、今年も予選会で出場権を得ての出場である。今年は往路8位で芦ノ湖にゴールして翌日に期待を持たせてくれた。復路もがんばってくれ6〜8位をキープし大手町のゴールにはなんとか10位以内で入った。これで、来年は予選会をやることなく出場権を得た。新年早々めでたし!めでたし!

この写真は母校ではない(母校は撮れなかった)



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