1 | 2 | 3 |
第21日目 9月19日(金) 晴 | 286q 3657q |
納沙布岬〜釧路〜弟子屈町 |
第22日目 9月20日(火) 晴 | 152q 3809q |
弟子屈町〜摩周湖〜美幌〜阿寒湖 |
「霧の摩周湖」と歌に歌われている摩周湖 これまでに何回か来ているが、こんなに晴れて 島がはっきり見えるのは初めてだ。5日ほど前に登った斜里岳もよく見える。湖を見下ろす台地で餌付けされているらしい蝦夷リスがなにか木の実を食べにやって来ている。
阿寒湖畔のホテルで温泉に浸かってから、明日登る雄阿寒岳の登山口 滝口へ移動して車中泊。隣に停まった車は奈良県からの登山者だった。 |
第23日目 9月21日(水) 晴 | 26q 3835q |
雄阿寒岳登山〜雌阿寒岳登山口 |
滝口の登山口から阿寒湖沿いに少し行くと太郎湖・次郎湖があり、次郎湖の脇の針葉樹林帯の道を登って行く。歩きやすい林間の道であるが、ちょっとした岩場や急斜面を何度か繰り返して5合目に出た。5合目は高さで区切れば8号目に相当する標高1200mで、阿寒湖を眼下にして雌阿寒・阿寒富士を一望できる見晴らしのよい所だ。 5合目からはハイマツ帯の道になり小さな鞍部の上り下りを繰り返しながら次第に高度を上げて山頂直下の鞍部9合目に着いた。ここからちょっと歩きにくい小尾根をひと登りするとそこが山頂だった。 山頂からの眺めは素晴らしく阿寒湖や雌阿寒岳はもちろん、周囲の原生林に囲まれてペンケトー・パンケトーが見える。また、遠方に目をやると大雪山や斜里岳・知床連山が影絵のように見える。 往路を戻って下山してから雌阿寒岳登山口の雌阿寒温泉へ移動。
|
第24日目 9月22日(木) 曇り後雨 | 118q 3953q |
雌阿寒岳登山〜音更町 |
朝起きて温度計を見たら気温9度、9月も中旬を過ぎるとめっきり冷え込んで朝晩は寒い。大雪山山頂ではもう初雪が降ったようだ。内地の人はそろそろ帰りなさいと言われているようだ。 雌阿寒岳への登り始めは針葉樹林帯の木の根が露出している歩きにくい道だった。3合目に着くころからハイマツ帯になって視界が開けたが、キリのため見通しは利かない。高度を上げるにしたがい登山路は急になり、次第に火山礫の裸地になった。北海道に来て9っ目の山登りで疲れがたまってきたのか、どんどん追い越される。気にしないで一歩一歩前にすすんで行く。 やがて火口壁の外輪に着くとジェット機の噴射音のような轟音が聞こえてきて、さらに火口の縁の奇岩や巨岩が立ち並んでいる縁を通ってわずかに行くとそこが広い山頂だった。深いキリで何も見えないし、寒い。 当初の予定では、阿寒富士を経てオンネトーに下る周回コースを通るつもりだったが、キリがさらに深くなってきたので、往路を下ってから雌阿寒温泉に浸かった。
当初の予定では、この後日高で幌尻岳に登るはずだったが、残念ながら今回は断念することにした。幌尻岳は15回ぐらい渡渉をしなければならないのだが、2〜3日前に雨が続き沢の水量が多くなっていること、9月末になって沢の水温が低くなっているためだった。(なお、幌尻岳は2007年7月に登った。) |
第25日目 9月23日(金) 曇り一時雨 | 232q 4185q |
音更町〜帯広〜襟裳岬〜三石町 |
帯広から襟裳岬に向かって1時間ほど走った所が大樹町。40年前にこの町の農家に泊めてもらったことがある。それ以来のお付き合いだが、毎年秋になるとジャガイモなどの農産物を送ってもらっている。 突然にこの農家に寄ってみた。とても70歳を過ぎたとは思えない夫婦は、その当時小学生だった息子夫婦と一緒に広大な農場を経営している。ちょうどごぼうの出荷時期で忙しそうだったが、歓待してもらい長芋やごぼうをたくさんお土産にもらった。
昔 島倉千代子が「風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ・・」と唄っていた襟裳岬は、歌のとおおり風の強い岬である。灯台のすぐ近くに半地下式で造られている「風の館」で強風を体験を体験してみた。風速25mはまっすぐ立っていられないようなものすごい強風だった。 岬の展望台に立ってみると、どんよりとしたくもり空ではあったが、はるか彼方に水平線が見えて地球が丸いことを実感する。 岬に近い台地では酪農が営まれていて、この風を利用した風力発電が盛んに行われている。 |
えりも灯台 | 襟裳岬 | 岬の突端 | 酪農地 | 風力発電 |
第26日目 9月24日(土) 晴 | 261q 4446q |
三石町〜夕張〜長沼町 |
北海道はどこへ行っても昆布漁をやっているが、特に日高は盛んである。浜辺には昆布の干し場が広がっている。漁師の夫婦と話を交わしているうちに作業小屋に案内されてお茶をご馳走になり、出荷前の日高昆布を格安で譲ってもらった。
日高は競走馬の産地であり、なだらかな丘陵地で草を食む馬がなんとも牧歌的である。三冠馬ナリタブライアンやオグリキャップもここで生まれたそうだ。新冠の駅前にはハイセイコーのブロンズ像が建っている。ハイセイコーは昭和40年代後半に活躍した国民的ヒーロー馬で、「さらばハイセイコー」と歌にも歌われていた。騎手 増沢末夫は歌手 増沢末夫になって毎日のようにテレビやラジオに登場していた。
近年、夕張は破産した町としてマスコミに取り上げられているが、この旅を続けている時(2005年)は今ほどの取り上げられ方はしていなかった。商店街にシャッターを閉めた店が多かったが、石炭の歴史村や映画の街の博物館もやっていた。でも、人が少なくてこれで営業が成り立つのかなと思っていた。そんな中で、黄色いハンカチ広場だけは、高倉健と倍賞千恵子が出た映画を思い出し懐かしかった。
|
第27日目 9月25日(日) 晴 | 206q 4652q |
長沼町〜支笏湖〜洞爺湖 |
支笏湖の北側に恵庭岳がそびえている。恵庭岳の裾野が支笏湖に落ち込む所にある野趣豊かな一軒宿の丸駒温泉に浸かった。温泉に浸かると目の高さに支笏湖が広がっている。 北海道での最後の夜は洞爺湖畔のキャンプ場。湖を見下ろす樹林の中の芝生のキャンプ場は、申し分ないキャンプ場だったが、キャンプシーズンが終わったためか炊事場の水が出ない。やむなく道路を挟んだ所の民家へ水をもらいにいくことになってしまった。
|
第28日目 9月26日(月) 晴 | 128q 4780q |
洞爺湖〜登別温泉〜苫小牧(フェリー) |
昭和新山は今も噴煙を上げていて登ることは出来ないが、直ぐ近くにある有珠山は山頂近くまでロープウェイで行くことが出来る。からりと晴れた良い天気で、眼下に昭和新山、洞爺湖の後方には3週間ほど前に登った羊蹄山がくっきりと見える。北海道に入って初めての山であえぎながら登ったことが思い出される。
夕方7時に苫小牧を出港する商船三井の「さんふらわあ号」に乗船。船内のレストランで夕陽が沈むのを眺めながら、1ヶ月間の旅を振り返りつつ飲んだお酒が美味しかった。 |
第29日目 9月27日(火) 晴 | 174q 4954q |
大洗〜川崎 |
「さんるらわあ」は正午過ぎ定刻どおりに茨城県大洗港に入港した。20時間の船の旅だったが、こんなに長い船旅は学生時代に高松から小倉までの船旅以来であった。船上から海に上がる日の出を見たかったのだが、あいにくの曇り空でそれは叶わなかった。 この後、常磐道・首都高速湾岸線を走って夕方帰宅した。 山にいっぱい登り、温泉にたくさん浸かり、美味しい海鮮もたくさん食べた。そして、いろんな人と出会い、いろんなハプニングがあった1ヶ月間であった。こんな旅に快く送り出してくれた妻に感謝。 3日間だけ家でゆっくりくつろいで、10月からは再び非常勤の勤めが待っている。 |
旅の総括 |
全走行距離 4954q (道内3822q) |
山登り 羊蹄・大雪・十勝・トムラウシ・利尻・斜里・羅臼・阿寒 |
温泉24 (うち無料露天6) |
車中泊18 テント4 旅館4 従兄弟宅1 フェリー1 |
1 | 2 | 3 |