徒然なるままに 24

徒然なるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ




2018.11.27  羽田空港国際線ターミナル  
川崎からバスで羽田空港まで40分ほどだった。国際線ターミナル2F到着ロビーはカートにおみやげを積んだ日本人が、3F出発ロビーはこれ又日本のお土産を持った外国人が大勢たむろしている。今年は海外からの日本への観光客が過去最高だと新聞に書いてあった。まさに日本は観光立国になった感がある。
5F展望デッキに行くとANAがまさに飛び出そうとしているところだ。どこへ飛んでいくのだろうか。








2018.11.20  旧新橋停車場
JR新橋駅のすぐ近くに趣のある古い建物が建っている。この建物は明治5年に開業した日本最初の鉄道の新橋停車場の駅舎を当時と同じ場所に忠実に再建したものです。
 日本の鉄道はこの場所から横浜に向かって約1時間で走ったことによって始まった。館内には鉄道発祥時の資料が展示されているがこれらは撮影禁止になっている。だが、館外には創業時の線路が再現されている。線路の奥には「0哩(ゼロマイル)標識も再現されていて、東京駅が開業されるまではここが東海道本線の起点であった。この「0哩標識」の本物は今は東京駅にあるそうです。
 この辺りでひときわ目を引くのが、汐留のランドマーク的存在「日テレタワー」。ここは地下2階から地上2階が解放されていて生放送のスタジオも見学できます。




 
再現された当時の線路                     0哩標識





2018.11.16  横浜中華街  
中華街はいつ行っても賑わっている。今日も修学旅行の中学生や高校生、シニアの仲間連れ、外国人が中華料理店の前を行き交っていて、まさに雑踏である。そんな中華街の中ほどに小さな公園 山下町公園(山下公園ではない)がある。公園の一画に東屋のような会芳亭が建っていてなにやら音が聞こえてくる。会芳亭で女性が二人で琵琶と二胡を演奏していてよい音色である。
きれいな音色の演奏を聴いた後中華料理のお店に入って広東の家庭料理のランチを食べてから、山下公園へ行って外国船を眺めた一日でありました。。

朝陽門

 
会芳亭                      琵琶と二胡の演奏


広東の家庭料理


氷川丸とマリンタワー





2018.11.8  ガラホ
このところ、10年間使ったガラケイの調子がよくない。そこでケイタイを買い替えることにしてドコモショップに行ったら、世の中スマホ流行りでスマホを勧められた。通話と携帯メールが使えれば良いのでガラケイをと言ったら、いわゆるガラケイは生産終了になっていて今はガラホになっているとのことだ。ガラホは従来のガラケイにスマホの機能の一部を組み入れてあるとのことで、通信料はガラケイとあまり変わらないとのことなのでこれにすることにした。
ガラホは折り畳み式で外形はガラケイと同じで機能もガラケイと同じなのだが、使い勝手が随分違う。慣れるまでの間暫くの間悪戦苦闘することになりそうだ。






2018.11.7  浮島町公園
川崎市の最東端・浮島町へ行ってみた。ここは多摩川が東京湾に合する所で、市民健康の森と名付けられた浮島町公園がある。公園には名ばかりの森があり3基の風力発電の風車が回っている。
そんなことより、多摩川を挟んだ対岸は羽田空港であり、空港に離発着する飛行機を間近かに見られるので飛行機見物のちょっとしたスポットになっている。この日も何人か長い交換レンズを付けたカメラマニアが飛行機の写真を撮っている。










2018.10.30  猿 島
横須賀 三笠桟橋から船に乗って15分で着いた所が猿島。
猿島は東京湾に浮かぶ東西200m南北450mの無人の島であり、明治45年から昭和20年まで民間人の立ち入りが出来なかった旧日本軍の要塞の島です。今は夏には海水浴やバーベキューで結構な賑わいの島になっているが、この時期は要塞見物の中高年の夫婦やおばちゃんグループが大勢訪れている。要塞の跡を見るといつも思うことだが戦争とはなんとも無駄なことをしているものだ。平和な時代に生きていることを幸せに思う。








2018.10.26  川崎マリエン
本ばかり読んでいるのも生活に変化がないので出かけることにした。
川崎市の一番東 扇島の川崎マリエンへしばらくぶりに行ってみた。以前は車で行っていたが、免許証を返納してしまっているのでバスで行くしかない。
しばらくぶりのマリエンは平日なので閑散としているし、以前にはあったレストランは店仕舞いしている。少し足を延ばして行った東扇島公園も閑散としている。でも、ここからは東京湾アクアラインのトンネルの換気施設「風の塔」が間近に見える。折りしも羽田空港への飛行機が着陸態勢に入って高度を下げている。








2018.10.18  読書の秋
今年の夏の猛暑が過ぎ去りめっきり秋らしくなってきた。秋と言えば読書です。
手始めに数十年前に読んだ松本清張の「点と線」を図書館で借りて読んでみた。それを皮切りに「ゼロの焦点」など20数冊を手当たり次第に借りてきた。一度読んだ本であるが、新鮮な気持ちで読んだ。
続いて読んだのが山本一力の「ジョン・マン」。ジョン万次郎の半生を書いたものだが、これも3年前に読んでいるがこの時は未だ第4巻以降が発刊されてなくて3巻までしか読んでいない。今は第6巻まで発刊されているので全6巻を借りて読んだ。第7巻は今執筆中らしくて未だ発刊されていない。
笹本稜平は山岳小説とサスペンスものを書いているが、「春を背負って」は奥秩父の山を舞台にした山の物語である。妻は笹本のサスペンスものが好きでよく読んでいるが、春を背負ってを読み終えたら次はサスペンスものを読みたいと思っている。
    





2018.9.17  浦 賀
ずーっと昔、若かった頃は三浦半島のこの辺りはサイクリングでよく出かけたものだった。足が弱くなった今ではそんなことはとても叶わぬ夢のようなことだ。
久しぶりに妻と共に浦賀へ行ってみた。川崎から京浜急行快速特急に乗ると1時間で浦賀に着いた。駅から観音崎通りを20分余り歩くと東叶神社に着いた。ここには二つの叶神社があり湾を挟んだ所には西叶神社がある。前日に神社のお祭りがあったそうで町の人が祭りの後片付けをしている。本殿横では神輿殿に神社神輿を仕舞っていて忙しそうだ。
東西の浦賀の町を結ぶ渡船に乗って西側の浦賀には西叶神社がある。寺の縁起によれば、平家物語に登場する文覚上人が源氏の再興が叶えられるようにと願って建てられたと言い伝えられている。
この後、浦賀ドッグの跡地を見て浦賀駅に帰った1時間半の散歩でありました。








2018.8.23  高齢者フリーパス
以前は月に何回か往復2〜30キロを自転車で羽田空港や横浜港へ朝のポタリング(散歩)をしていたのだが、1年前に転倒して鎖骨を骨折してからは自転車に乗っておらず朝の散歩はもっぱらウォーキングであったが〜〜
久しぶりにバスで羽田空港へ行ってみた。川崎市には高齢者の外出を支援するものとして、月額1,000円で「高齢者フリーパス」というパスがある。このパスは川崎市内のバスを自由に何回も乗り降りすることが出来る。そして、川崎市内から乗ったバスが市外まで行く場合も終点まで乗ることが出来るので、羽田空港へもこのパスで行かれる。しかも、市外で乗ったバスでも川崎市内で降車する場合は利用出来るので、帰路もこのパスを利用したので無料で乗車出来て羽田空港へは往復無料であった。調べてみたら東京五反田まで行くものがあるようだ。今度はこのバスに乗ってみよう。
しばらくぶりの羽田国際線ターミナルは外国人も行き交っていて、ロビーでは獅子舞いをやっていたり相撲のコーナーでは懐かしい写真が展示されている。






2018.7.31  再び前橋へ
昨年12月に群馬県前橋の臨江閣へ行ったが生憎休館日で見学出来なかった。そこで再度の前橋行きとなった。前回は上級名物"赤城おろし"が吹く寒い日だったが、今回は暑い日だった。前橋は10日ほど前に最高気温39℃を記録していたが、この日の気温は35℃だった。でも、行き帰りの電車・バスは冷房が効き、臨江閣も冷房が完備していたが、一歩外に出るとものすごい熱気でした。
臨江閣は、当時の群馬県令(現在の県知事)の発案により、利根川の畔、遠くに赤城山を望む地に群馬県の迎賓館として明治17年に建てられました。






2018.7.12  高麗郷古民家
昨日まで夏本番の33℃の気温が続いていたが、今日は久しぶりに最高気温30℃との予報なので出かけることにした。僅か3℃の違いだが、陽が出てないので随分涼しく感じる。
武蔵小杉駅で乗った東横線は西武池袋線に乗り入れて、途中同じホームで乗り継ぎがあったが1時間半程で飯能に着いた。飯能で西武秩父線に乗り換えて2駅で高麗(こま)駅に着いた。
高麗駅から15分ほど歩いて着いた所が高麗郷古民家・旧新井家。江戸時代末期に建築された豪農の家を日高市が維持管理していて公開しているものだが、地元の老人会が何人か見学しているだけで閑散としている。
この屋敷のすぐ前に曼殊沙華で有名になった巾着田が広がっていて、ヒガンバナの咲く時期には一日に1,000人以上の人がこの屋敷にも見学に訪れると古民家の管理人は言っていました。

客殿(左)と母屋(右)





2018.6.29  東京ジャーミイ
東京ジャーミイは小田急線代々木上原駅から近かった。金曜日は集団礼拝の日なので見学は午後2時からとのことなので、食事を摂ってから喫茶店でコーヒーを飲んで2時間ほど時間を潰すことになった。
ジャーミイとはトルコ語でモスクのことであり、イスラム教の祈りの場所のことです。モスクは日本国内に80余ヶ所あり、そのうち東京ジャーミイは最大規模のものだそうです。


ミナレットと呼ばれる塔


2階の礼拝堂(ステンドグラスが美しい)

暑い一日だった。帰宅してテレビを見たら、関東地方がこの日梅雨明けしたそうで、観測を始めてから6月の梅雨明け宣言は初めてのことだと報じていた。





2018.6.22  称名寺&弘明寺観音
梅雨の晴れ間をぬって出かけた。
称名寺は京急電鉄金沢文庫駅から近かった。近くへは何回か来たことがあるが、称名寺の山門を潜るのは初めてである。
称名寺は金沢北条氏の菩提寺であり、鎌倉幕府の要人・北条実時が六浦荘金沢の屋敷内に建てた持仏堂が起源とされている。  広い境内には復元された池と反り橋の浄土庭園が広がっている。




その後、京急電鉄金沢文庫駅から再び京浜急行に乗って弘明寺駅へ向かった。
弘明寺観音を訪れたのは久しぶりであり、前回は50年前に坂東33観音巡りで訪れたものであった。
弘明寺は寛徳元年(1044)にされ本堂が建立された。現在の本堂は昭和3年に再建されたものであるが、寛徳元年に建立された時の古材である手斧削りの床板等が使用されている。








2018.6.7  鳩山会館&護国寺
関東地方は梅雨入り宣言が出たのに青空が広がっているので久しぶりに都心へ出かけた。
鳩山会館は地下鉄有楽町線・護国寺駅から数分の音羽通りのビル群から少しだけ離れた丘の上に建っている。都心とは思えない空気が流れています。





鳩山会館からほんの数分で護国寺に着いた。
護国寺は5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の発願によって天和元年(1861)に創建された歴史のあるお寺です。関東大震災、戦災に襲われた都心にありながら江戸の面影を今に伝えている。

山門の石段


多宝塔

   
   御朱印





2018.5.25  大國魂神社
しばらくぶりに旧知の仲間と一杯飲ることになり登戸まで出かけた。 待ち合わせ時間に間があったので、3駅ほど先の大國魂神社へ行ってみた。JR南武線・府中本町駅のすぐ近くの山門の鳥居を潜るとケヤキの並木が本殿に続いている。
大國魂神社は大國魂大神を護り神として祀ってある神社です。出雲の国の神と同じ神で、武蔵野国を開き人民に衣食住の道を教えた神様です。この神社の創立は景行天皇41年(111)と古く、武蔵野国府がこの地に置かれた際に武蔵野国中の神社を一か所に集めてお参りするようになりました。これが「武蔵野国総社」といわれる由縁であると言われています。
さすが武蔵野国総社であり、境内は広く本殿は立派で参拝客も多く、御朱印も立派でありました。

随 神 門



本 殿


御 朱 印





2018.5.15〜19  検査入院
半月ほど前に血便が続いたことがあって、かかりつけ病院の先生は念のため入院して検査をということになり、5日間程入院して検査をした。MRI検査等を行ったが特に今すぐにどうかという所見はないが、さらに念のためにPET検査をということで新横浜のクリニックでの検査の予約してくれた。
PET検査は通常のレントゲン撮影などでは発見しづらかった初期のガン細胞を発見できるそうで、この検査は県内では限られた病院だけで行っているそうである。
因みに「PET検査」とは陽電子放射断層撮影」という意味で、ポジトロン・エミッション・トモグラフィー(Positoron Emission Tomography)の略です。
21日に新横浜のゆうあいクリニックでこの検査を受けたが、がん細胞は発見されなかったとの診断であった。




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