徒然なるままに (2)



つれづれなるまゝに 日くらし
PCにむかひて 心にうつりゆくよしなしことを
そこはかとなく キーを叩きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ


 

2010.2.25  松田の桜
 松田の早咲きの河津桜が見ごろを迎えているとTVで放送していたので出かけた。松田駅からさくら祭り会場へのシャトルバスは延々長蛇の列であった。この桜はソメイヨシノのようにパーっと咲いてパーっと散る花ではなく、開花から一カ月位かけて満開になる濃いピンク色の桜です。


 

 


2010.2.23  等々力陸上競技場
 
友人 隼さんが川崎市主催の写真展に出展したので、等々力緑地の市民ミュウジアムで開催されている展覧会へ行った。隼さんが出展した「駆け抜けた日々・・・」と題されたおばあさんのモノクロームの写真は、なかなか味わい深い写真であった。
 写真展を見てから、緑地内にある陸上競技場へ入ってみた。ここはJリーグ 川崎フロンターレのホームスタジアムでもある。サッカー開催日でない競技場は閑散としていて、若者がトラックでランニングのトレーニングをしており、コーチと思しき人がストップウォッチを手にして何か盛んに声をかけている。


 
 
 
2010.2.21  三浦の桜
 
三浦半島の三浦海岸駅周辺の京急線沿線で、早咲きの河津桜が見ごろを迎えたというのを聞いて、カメラを持って出かけた。
 桜は、本家の静岡県河津町から10年前に河津桜の苗木を購入して育てたもので、駅から小松ケ池公園までの約1キロの桜並木は満開だった。並木の下に植えられた黄色い菜の花も満開で、桜のピンク色との対比が美しかった。

 
 
 

2010.2.16  インビクタス
 熱狂的なラグビーファンの友人に教えてもらい、今話題の映画「インビクタス」を見に行ってきた。
 27年間を監獄で過ごしたネルソン・マンデラは、釈放後に南アフリカ共和国初の黒人大統領となる。だが彼は、国民の間に人種差別と経済格差がいまだに残されていることを痛感する。そんな中、スポーツという世界共通言語で国民の意識を変えることができると信じるマンデラは、弱小だった南アフリカ代表ラグビーチームの再建を決意。翌年に自国で開催するラグビー・ワールドカップに向け、マンデラとチームのキャプテンは、互いに協力し、ついにニュージーランドを破って優勝し国民の心が一つになるといった映画。
 前記ラグビー狂の友人は、自身はラグビーをやったことがないらしいが、観戦が好きでラグビーシーズンの冬場はあちこちの競技場に寒さに耐えて通っている。数年前にオーストラリアで開かれたワールドカップにはラグビー観戦のためだけに遠征しているラグビーファンである。さらにラグビー観戦記を主体にしたホームページを立ち上げたほどのラグビー好きである。


 
 
 
2010.2.12  老人科
 ウォーキングの途中で見かけた医院の診療科目の案内です。小児科は昔からあったが、最近は「老人科」を掲げる医院が多くなったらしいです。


 
 
 
2010.2.10  確定申告
 還付申告は2月16日以前でも受け付けてもらえるので、国税庁のホームページで申告書を作成して、税務署へ確定申告に行ってきた。作成の相談をする受付窓口は長蛇の列だったが、提出のみの窓口
は空いていた。
 会社を定年退職してからは、年金と非常勤の勤めの給料の乏しい収入を正直に申告しているが、母親から毎月1,500万円も「おこずかい」をもらっているどこかの国の首相がうらやましい。


 
 
 
2010.2.7  札幌雪まつり
 孫を連れて札幌雪まつりに行ってきました。学校を休ませるわけにもいかないので1泊2日だったが、孫は充分に満足したようでした。
 この日の札幌は氷点下5度で午後から大雪になった。降りしきる雪が雪像に積もらないように、係の人が降る雪を取り除いている。夕暮れ近くになって雪像に光が当てられてきれいだったが、夜のライトアップはもっと幻想的らしい。
 丘珠空港近くの「つどーむ会場」では雪の中で遊ぶ乗り物などがあり、ラフティングボートをスノーモービルが引っ張る「スノーラフト」は1時間待ちの盛況であった。
 また、降りしきる雪のなかで、北海道新聞の女性記者から取材を受けるハプニングがあったが、記事にはならなかったようだ。


 

 
 
 取材を受ける孫と妻 右が記者
 
 
2010.2.2  初 雪
 今年も一カ月があっという間に過ぎてしまった。
 昨日夕方から降り始めた雪は深夜には止んでしまったようだが、朝起きたら庭はうっすらと白くなっていた。
直植えのハボタンには帽子を被っているかのように雪が着いているし、植木の枝には雪解けの雫が光っている。






 
 
  

 
 
2010.1.25  白梅
 毎日寒い日が続いていますが、庭の梅の木にやっと花が開きました。


 
 
 
2010.1.19  箱根駅伝の碑
 大寒の一日前だというのに、風もなく温かい日なのでカメラを持ってウォーキングに出かけることにし、前々から気になっていた正月2〜3日に行われる箱根駅伝の鶴見中継所へ行ってみた。
 ここは東京大手町をスタートした1区から2区への中継所である。2区は「花の2区」とも言われ、各大学のエースがしのぎを削るコースで、今年もエースランナーが揃った。ここには襷渡しの模様をモチーフにした「明日へ走る」と題された銅像が建っている。
 当日はものすごい人出だったが、今は閑散としている。

 
 
 
 
2010.1.16  大山阿夫利神社
 毎年1月に山仲間と初詣山行と称して大山へ登っている。今年は、午前中に用事があったためバス・ケーブルカーを
乗り継いで阿夫利神社下社まで行った。本殿前に飾ってある茅の輪をくぐってからお参りをする。山頂(1252m)の上社まで行っている5人を茶店でストーブに当たりながら温かい飲み物を飲んで待つことにする。
 2時過ぎに5人が下山してきたが、山頂は2日前に降った雪で真っ白であり、下りはアイゼンを装着して下りてきたとのこと。
 この後、小田急で町田へ移動し、毎年行くお店で馬刺しやすき焼きを食べながらの新年会になった。私は5回目の参加だが、こんな大山詣でを10年も続けている。


 
 
 
2010.1.11  忍野八海
 連休に次男夫婦といっしょに忍野八海へ行ってきました。富士山に降り積もった雪解け水が、80年の歳月をかけて湧き出ているといわれる
八つの湧水池の水は透き通るように透明できれいです。忍野は真冬の一番寒い時期なのに観光客で賑わっていて、富士山もよく見える。
 この日は山中湖を見下ろすホテルに泊まり、翌日は富士急ハイランドに行った。3歳半になった孫は気温0℃の寒い中、観覧車、メリーゴーランドやゴーカートなど子ども用乗り物を飛び回っていた。

忍野八海からの富士山
 

雪けむりの富士山頂
 
 

 
2010.1.7  富士山
 年が明けてからずっと晴天が続いている。富士山がよく見えるだろうと思い、久しぶりにベイブリッジへ行ってみた。
 
スカイウォークのラウンジでコーヒーを飲みながら飽かずに富士山を眺める。つい1か月前に片山右京グループの遭難事故があった富士山は、そんなことがなかったように真白な姿を見せてくれている。

 
 


2010.1.4  初 詣
 遅まきながら川崎大師へ初詣に出かけた。風もなく穏やかな天気なので我が家から1時間ほどの道を妻といっしょに運動がてら歩いて行った。
 三が日が過ぎたというのに、境内は結構な人出であり、本堂前は入場規制をやっている。さすが全国第3位の参詣者といわれるお寺である。


 
 
2010.1.3  箱根駅伝
 毎年箱年駅伝を見に行っているが、今年も2日朝自転車を走らせて往路を見に行った。予選会を通過して出場権を得た我が母校は後方で頑張っている。

 この日は我が家の新年会であり20人近くが集まったが、母校が出ている弟や息子・姪たちとTVを観ながらそれぞれの母校を勝手に応援していた。お酒を飲みながら話がはずんでいるうちに、気が付いたらトップ校は箱根にゴールしていた。
 復路は朝から真剣にテレビ観戦。我が母校は相変わらず下位を低迷しているが、上位校の接戦が熾烈をきわめていて面白くテレビに釘付けになってしまった。
 第1区から下位を低迷していた我が母校は今年もシード圏内に残ることが出来ず、来年はまた予選会から出場権を目指すことになってしまった。(写真は友人Y氏から)

 
 


2010.1.2  新しい年
 新しい年が明けた。
父母が健在だった頃からの習わしだが、我が家では毎年正月2日に兄弟で新年会をやっている。両親が他界し弟妹もそれぞれ正月の過ごし方があるだろうから、もう止めようかと思っていた。でも、弟妹から今年もやろうと電話がかかってくると、妻はつい張り切ってしまう。
 弟妹夫婦に甥姪夫婦その子供と結構な人数になる。今年は名古屋に住んでいる姪夫婦が正月も出勤なので来れなかったが、静岡の弟夫婦が一番遠方からだった。
 お年玉が目当てだった息子や甥姪も孫の世代にお年玉をあげる年代になっている。ひととおりの儀式が終えると、後は他愛のない話を交わしながらの宴会になる。
 
 


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