横浜散策 2

横浜は異国情緒が漂い、レトロな雰囲気がそこかしこに残っています。
そんな街を自転車でぶらりぶらり散策しています。

 吉田橋関門跡  横浜指路教会  エリスマン邸  戦没者慰霊塔   横溝屋敷
 神奈川台場跡  高札場  本覚寺  厳島神社  横浜開港資料館
 横浜海岸教会  伊勢山皇大神宮  赤レンガ倉庫  掃部山公園  ブラフ18番館





吉田橋関門跡

 関内駅のすぐ近く吉田橋に関門跡の碑が立っている。
 横浜が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の使節の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことより、「吉田橋」と呼ばれました。吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まりました。
 関内・関外という呼び名はこの時以来で、関内は馬車道側、関外は伊勢佐木町側を指したが、関門は明治4年に廃止された。 ( '12.6.撮 )



横浜指路教会

 根岸線関内駅からほど近い所に建っている横浜指路教会は、ヘボンゆかりの我が国最初期のプロテスタント教会の一つである。パリのノートルダム大聖堂に似たフランス初期ゴシック風。ただし、片方の塔を欠いているのは、先代のロマネスク風教会堂にならったものといわれている。
 関東大震災で倒壊し大正時代に再建したこの教会は、昭和20年に横浜大空襲で内部が全焼した。その後、改修工事が行われて現在に至っている。 ( '12.6.撮 )



エリスマン邸

 エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍したスイス生まれのフリッツ・エリスマンの邸宅として、大正14(1925)年に建てられました。当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。
 昭和57年にマンション建築のため解体されたが、平成2年に元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあります。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料が展示してあります。



横浜市戦没者慰霊

 1953(昭和28)年3月、市民の募金により三ツ沢公園の一画に完成した戦没者慰霊塔です。
 西南戦争から第2次世界大戦までの地元出身の戦争犠牲者21898柱が祀られていて、左の塔は先の大戦で払った大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は新生日本が将来に向かって発展する姿を表しているそうです。



横溝屋敷

 鶴見区獅子ヶ谷町にある「旧横溝家住宅」は表門(長屋門)、主屋などの門構えが江戸時代の農村生活の原風景を残している。横溝家は、16世紀末の慶長年間から獅子ヶ谷村の名主をつとめてきた家です。昭和61年に表門、主屋、蚕小屋、文庫蔵、穀蔵の5棟の建物が横浜市に寄贈され、横浜市では建物の修復工事を行って一般公開している。
長屋門 主屋 蚕小屋 穀蔵 主屋



神奈川台場跡

 安政6年(1859年)幕府は伊予松山藩に命じ勝海舟の設計で海防砲台を構築した。当時の台場は総面積8千坪の海に突き出た扇形で、7万両の費用と工期1年を要して竣工した。明治32年に廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正10年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみになった。  ( '12.2撮 )



高札場

 JR東神奈川駅近くの神奈川地区センター前に神奈川宿の「高札場」が当時の寸法どおりに復元されている。高札場は幕府の法度や掟などを庶民に徹底させるための施設で、宿場には不可欠のものであった。大小5枚の高札には高札場についての説明が詳しく記されているが、あまりにも達筆で・・・・  ( '12.2撮 )



本覚寺

 本覚寺は京浜急行の神奈川駅から青木橋を挟んだ高台にあります。横浜開港期当初にアメリカ領事館として使われていたことでよく知られている。領事館を置く場所として本覚寺を選んだのはアメリカ総領事タウンゼント・ハリス自身であったといわれている。今では本覚寺の眼下にはビルが林立する市街地が広がっているが、横浜開港の頃には袖ヶ浦と呼ばれる入江とその向こうの開港場が一望できたらしく、その立地が理由であったと言われている。
 また、境内には開国論の中心的存在として活躍した岩瀬肥後守忠震顕彰碑が建っている。ハリスと交渉して条約締結に臨み、日米修好通商条約に署名。ハリスの要求した江戸・品川・大坂などの開港希望地をしりぞけ、アメリカの意向を無視し横浜の開港を唱えました。  ( '12.2撮 )



厳島神社

 関内駅のすぐ近くビルが林立する羽衣町の一角に真っ赤な鳥居が建っている。厳島神社といえば安芸の宮島がよく知られているが、海の神を祀ってある厳島神社は日本中いたる所にあって、横浜にもここ羽衣町のほかに元町にも同名の神社がある。
 この羽衣町の厳島神社は元々入江の砂州上の寒村であった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称していた。浜辺の松林で覆われた境内は対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つにも数えられるほどの景勝地であった。その後、明治2年に街区整理のため、現在地の羽衣町に移転して厳島神社と改称したと宮司が説明してくれました。  ( '12.1撮 )



横浜開港資料館

 開港記念広場の脇に建つ横浜開港資料館はかって英国総領事館だった。本格的な英国建築であり、長く領事館として使われていたが、1972年に東京の英国大使館へ業務を移管したことに伴い横浜市が建物を買い取って「横浜開港資料館」として開港当時の資料を展示している。中庭には、日本最初の近代水道となった横浜水道の「獅子頭供用栓」と道路の側溝である「ブラフ溝」が展示してある。  ( '12.1撮 )



横浜海岸教会

開港記念広場の隣に建っている教会は、日本人のために建てられた日本で最初のプロテスタント教会です。
1868年、この地にアメリカ宣教師が石造小会堂を建て、在留外国人の礼拝所となり、1872年に「日本基督公会」と呼ばれ、日本で

最初の日本人のためのプロテスタント教会になりました。この教会堂は関東大震災で倒壊し、現在の会堂は昭和8年に建てられたものです。 全体は、モダン・ゴシック風に造られていて、平成元年に横浜市の歴史的建造物の認定を受けています。  ( '12.1撮 )



伊勢山皇大神宮

紅葉坂を上がった高台にある伊勢山皇大神宮は天照皇大神を祭神とする神社で、 横浜の総鎮守とされ、「関東のお伊勢さん」として知られている。
七五三が終わったばかりなので可愛らしい絵馬がたくさん納められていました。  ( '12.1撮 )



赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫は、横浜港にある歴史的建築物の愛称であり、正式名称は新港埠頭保税倉庫である。2号館は明治44年、1号館は大正2年に竣工。保税倉庫としての役割は平成元年までに終え、しばらく放置されていた。その後平成14年に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、みなとみらい21地区の代表的な観光ポイントになっている。




掃部山公園

桜木町駅から紅葉坂の急坂を上った所にある掃部山公園(かもんやまこうえん)は、横浜みなとみらい21を見下ろす高台にある公園です。公園入口の石段を登ると広場があり、横浜開港に関わった井伊直弼の像が建っている。井伊直弼は幕末の開港期における重要な人物で、「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの歴史上の出来事などでもその名を知られる人物だ。海側に目をやるとランドマークタワーが目の前に大きく見えます。  ( '12.1撮 )



ブラフ18番館

山手イタリア山庭園の一郭に建つブラフ18番館は、関東大震災後に建てられた外国人住宅です。 建物は木造2階建てで中廊下型の平面構成で、フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、関東大震災前の外国人住宅の特徴を残しながら、 外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています。 館内は震災復興期(大正末期〜昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、元町で製作されていた当時の横浜家具を復元展示し、平成5(1993)年から一般公開されています。



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