第40日 11月10日 曇 走行105km 累計3,167km |
栗林公園 (泊)道の駅「第九の里」(鳴門市) |
86志度寺 87長尾寺 88大窪寺 |
第86番志度寺の本堂前で母子3人が、ちゃんとした発声でお経をあげていました。母親は「今日は学校がお休みなので3人で来ました」と言っている。 次男は小学校5年生で白衣を着てお兄ちゃんに負けないようなしっかりした口調で読経していました。 |
第88番大窪寺は四国八十八か所結願(けちがん)のお寺。長かった88のお寺巡りを振り返って、ゆっくり感慨に耽ろうかと思っていたのだがこれは大きな誤算だった。
このお寺は山の上にあるので今が紅葉の盛り。徳島や高松からも近く国道に面しているので大変な人出で駐車場所を確保するのに一苦労する。 |
いろんなことがあった四国八十八か所お遍路の旅をなんとか終えることができました。合掌
四国巡礼を終えたら高野山へお礼参りに行くのが、慣わしだと途中で教えてもらったので、明日フェリーで和歌山へ渡り、高野山へお礼参りに行きます。 |
第41日 11月11日 雨 走行78km 累計3,245km |
(泊)高野山宿坊「不動院」(和歌山県高野町) |
@霊山寺 |
88番札所大窪寺に参ったらこれで結願(けちがん)で、当初の予定では徳島港からフェリーで帰るつもりでいた。ところが、途中で出会った何人もの人から、88番まで行ったらその後1番の寺へ行って納経することによって、八十八か所が輪になるのだと教わったので、再度1番の霊山寺へ行って納経。そして、最後に弘法大師の聖地 高野山へお礼参りするのだとも教わった。 そんな訳で、徳島からのフェリーで和歌山への今回初めての2時間の船旅。この日は海が荒れていて船酔いの人があちこちにいるが、船に強い私は高野山のパンフレットで宿坊を物色。 |
目出度く四国八十八か所お遍路の旅を終えたので、思い切って格式の高い上等な宿坊に泊まることにした。不動院の宿坊は善通寺の宿坊とは大違いで、夕食は精進料理で動物性の食材は一切使っていない。
精進料理とは、魚や肉を一切使わずに調理された食事のことで、「精進」と言う言葉には仏道の修行を行うという意味があり、昔からお寺の修行僧の食事として作られてきた。お膳に並んだのは吸い物・高野豆腐・煮物・天麩羅・胡麻和え・酢の物・その他 般若湯(はんにゃとう)と呼ばれるお酒が紀州の銘酒で、これがとても美味しくて3本も飲んでしまいました。 |
不動院
不動院
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精進料理 |
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般若湯 |
第42日 11月12日 曇 走行209km 累計3,454km |
高野山(お礼参り) (泊)伊勢自動車道SA「亀山」(三重県亀山市) |
朝6時半少し前に若い修行僧が迎えに来て本堂に案内された。6時半ちょうどから朝のお勤めが始まったが、この朝の勤行には若いカップルが一組と、それぞれ一人でこの宿坊に泊まった若い女の子が6人ほど。住職と修行僧がお経を詠んだのち、あらかじめ手渡されたお経〜般若心経(仮名がふってある)〜を住職の声に合わせて詠んで全てが終えるまでに45分ほどかかった。
その後、朝食になり、通された部屋は天井の高い畳を敷いた広い和室で、それぞれ毎に衝立てが立っている。朝食ももちろん精進料理だった。 |
高野山は、およそ1200年前に弘法大師によって開かれた真言密教の修行道場であり、全国にある高野山真言宗の総本山です。 四国八十八か所を巡り終えたら、最後に高野山奥の院に参拝する。それは高野山こそ弘法大師空海の入定の地であり、今も弘法大師がその地に生きていると信じられているからです。 奥の院では写真撮影・飲食・たばこが禁じられているので、遠くの方からしか撮れませんでした。 |
そして、高野山金剛峯寺で納経帳の最後のページにに墨痕鮮やかに書いてもらい朱印を押してもらった。これで高野山にお礼参りが済み、四国八十八ヶ所お遍路の結願(けちがん)ということになりました。 |
納経を終えてから境内を散策していると、お礼参りにきた四国遍路の歩きお遍路さんと会ったので、彼の金剛杖を借りて写真を撮ってもらっていたら、ピンマイクを首に掛けている外国人女性が近寄って来た。
彼女はイスラエルのラジオ局のリポーターで、流暢な日本語を話し四国遍路のこともよく知っている。かくして、お遍路について取材を受けることになってしまいました。 |
イスラエルのラジオのリポーターと
第43日 11月13日 晴 走行403km 累計3,857km |
帰 宅 |
長かった四国遍路の旅を終えて1ヶ月半ぶりの帰宅であり、途中どこにも寄らずに伊勢道・東名高速道をひたすらハンドルを握って帰りました。 |
東名高速道富士川サービスエリアから眺めた富士山
全走行距離 3,857キロ 自転車 179km
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