第33日 11月3日 晴 走行69km 累計2,681km |
大山祗神社 村上水軍 (泊)道の駅「いまばり」(今治市) |
大山祗(おおやまつみ)神社は、伊予の豪族越智玉純の建立とされる伊予一の宮。古くから山と海と武人の神として朝廷・武士の信仰を集めた。
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御神木の乎知命(おちのみこと)御手植とされる楠は、樹齢2,600年と言われている。
戦国時代に芸予諸島を支配していた村上水軍博物館へ行った。甲冑や陣羽織など館内の展示物はそのほとんどが撮影禁止で、館外に復元された小舟と石像を撮るだけだった。 博物館の屋上の展望デッキからは、水軍が本拠地としていた能島が一望できました。
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この後、今治市内に戻って、3日前に損傷した車の床下を応急処置してもらったディーラーへ行って、車の補修部分のチェック。 3日前と同じメカニックに車をリフトで上げて補修部分を見てもらったところ、補修個所は完全に接着しているので水漏れの心配はないとのことで、まずは一安心です。
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第34日 11月4日 晴 走行72km 累計2,753km |
(泊)道の駅「別子」(新居浜市) |
60横峰寺 61香園寺 62宝寿寺 63吉祥寺 64前神寺寺 |
石鎚山(1928m)は西日本の最高峰で山岳信仰の聖地である。60番横峰寺は、その山の中腹にあり、曲がりくねった細い林道を上がっていくと、杉の老樹に覆われた堂宇が現われた。 この寺へは歩き遍路にとっては最難所の「遍路転がし」であった。30年ほど前に林道(有料道路)が通じたので車遍路は楽だが、それでも都会の道路ばかりを走っている者にとっては気の抜けない難路であった
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お遍路さんの正装
第35日 11月5日 曇一時雨 走行21km 累計2,774km |
別子銅山 (泊)道の駅「別子」(新居浜市) |
別子銅山は、日本三大銅山の一つでかって世界一の産銅量を誇っていた。元禄4年(1691年)に開鉱して昭和48年に閉山するまで住友によって経営されていた。 新居浜の市街地から約20キロ、標高600mの東平(とうなる)地区に3,600人もの人が住み、学校、病院、映画館まであったが、今は無人の地になっている。 観光ボランティアが丁寧に説明してくれました。 最初の採鉱は海抜1,000m以上の険しい山中であったが、時代と共にその中心は新居浜市側へ移り、それにつれて山の様相も変化していった。坑道は全長700km、また最深部は海抜マイナス1,000mにもおよび、日本で人間が到達した最深部である。 閉山後の今は植林事業の成果もあり緑深い自然の山へと戻って、夢の跡のような産業遺跡がひっそりと佇んでいる。
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貯鉱庫
採掘のためのトンネル
トロッコ
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