四国遍路 第4週1






 第22日 10月23日  雨後晴        走行69km 累計1,907km
 浜田の泊り屋         (泊)道の駅「みしょう」(愛媛県愛南町)
  39延光寺 40観自在寺


 高知県は、「土佐国修行の道場」で、札所間の距離が長く歩き遍路には心も体も鍛えられる、まさに修行の道場。遂に高知では自転車遍路をすることは叶わなかった。
 高知県最後の札所は、宿毛市の39番延光寺。昨夕から降り出した雨は未だしとしと降っている。だが、歩きお遍路は雨具を着て歩き読経している。

39番 延光寺

 愛媛県に入ると「伊予国菩提の道場」。愛媛県最初のお寺は、愛南町の40番観自在寺。宿毛の道の駅でおじさんが言っていたとおりに、昼過ぎには雨が上がり青空が見えてきた。

40番 観自在寺


40番 観自在寺

 観自在寺で横浜青葉区から来て歩き遍路をやっている60代のお遍路さんに会った。この人は夏にも歩いたことがあり、「夏はキツカッタです」と言い、宿坊に泊まることを勧めてくれた。私も一度泊ってみたかったので興味深く聞きました。
 
 彼は「歩き遍路は、暇と体力がないと出来ないですよ」と言う。そのとおりで、さらにお金もないと出来ないだろう。宿に泊まり諸経費をいれると一日当たり10,000円はかかることになり、これを4〜50日かけて歩くのだから、海外旅行に行くより費用がかかる。私の場合はほとんど車中泊だから宿代はかからないが・・・・


浜田の泊り屋
 幕末から大正時代にかけて高知県西部の各地にあったが、現在では宿毛市郊外の芳名地区など4ヶ所だけを残すのみになっている。
 泊り屋には、未婚の若者たちが泊り込み、夜間警備、祭りや地方の風俗を継承、集落の行事や運営への協力などが行われていた。 (この泊り屋は国の重要民族資料の指定を受けている)
  
 前夜、宿毛の道の駅で会ったおじさんは、「大昔は、ここで夜這いの情報交換をやっていたらしいヨ」と、言っていました。





 第23日 10月24日  晴          走行68km 累計1,975km
 紫電改 石垣の里 岩松の町並み   (泊)道の駅「うわじま」(宇和島市)


 愛南町の市街地から車で15分ほど、小高い丘の上に紫電改が展示されている。
 紫電改はゼロ戦に代わる新鋭機として太平洋戦争末期に開発された海軍の優秀な戦闘機であったと言われている。昭和54年に海底から引き揚げられ、終焉の海「久良湾」に機首を向けて保存されている。





 愛南町の宇和海に突き出た半島の北西部 外泊は、狭い山の斜面にがっしりと石垣に守られた家が建ち並ぶ素朴な風景が広がっている。
 
 外泊地区は、隣接する中泊地区の人口が増加した幕末、当時の集落の指導者が次男三男を対象に分家移住を発案し、山の石で石垣を築いて全50戸が入居したのが明治20年頃だった。
 独特の屋並みを形成する家々の周囲に高々と積み巡らされた石垣は、海からの強風や塩害から家屋を守るために造られたものであり、その景観から「石垣の里」として知られている。









 宇和島市南部の岩松地区は、獅子文六の娯楽小説「てんやわんや」の舞台になっている。昔ながらの港町の面影を残す町並みが残っていて、明治から大正にかけての旅館や商家が建ち並んでいます。
 



 第24日 10月25日  晴        走行109km 累計2,084km
 遊子水荷浦の段畑 宇和島闘牛場  (泊)道の駅「しろかわ」(西予市)
  41龍光寺 42仏木寺 43明石寺


 どこの札所へ行ってもお遍路さんに必ず出会う。41番龍光寺で出会ったのは、先達(せんだつ)に連れられてマイクロバスで巡っている年配の一行。手水で口、手を清めてから鐘をつき本堂の前で読経。ここのお寺ではお接待のみかんが並んでいました。




 


 宇和島の市街地から車で40分、遊子(ゆす)の水荷浦(みずがうら)は豊後水道に向かって延びる三浦半島の北岸から、さらに宇和海に向かって分岐する岬のうちの小さな集落である。
 岬の東南側斜面には、等高線に沿って小さな石を積み上げて形成された壮大な雛壇状の畑地が展開し、水荷浦をはじめ宇和島周辺では「段畑(だんばた)」と呼ばれている。雑穀、ジャガイモなどを栽培している段々畑は宇和海沿岸の風土とも調和し、国の重要文化的景観に指定されている。
 幅1m高さ1〜2mの畑が50段近くも続いていて、ペルーのマチュピチュに勝るとも劣らない景観である。石垣の補修をしていたお爺さんは「浜風で石がゆるむので時々補修しなければならないし、雑草も除かなければならない」







石垣の補修をしている

 段々畑を下りてきて周辺を散策していたら、この辺りでは見かけないような雰囲気の女性に出会った。化粧っ気はないが美顔のこの女性は上品な口調で、「夫の定年退職を機に神戸からIターンして来たんですよ」。「あちらこちら探したんですけど、終の棲家としてここが一番気に入ったんです。気候が温暖だし、遊ぶ子と書いて「ゆす」、地名もいいですよね」
 訊けば、夫の海外赴任で10年間ほどドイツで暮らしていたとも言っていました。



 宇和島城へ寄ってから宇和島闘牛場へ行ってみた。この日は闘牛の開催日ではなかったが、自由に中へ入ることが出来ました。


 




 第25日 10月24日  曇一時晴        走行79km 累計2,163km
 大洲                (泊)道の駅「伊方」(愛媛県伊方町)


 大洲は、伊予大洲六万石の城下町として栄えた町。
 赤レンガ館は、明治34年に大洲商業銀行として建築されたイギリス積みのレンガ造りで和瓦を葺いた屋根の和洋折衷の様式。
 昭和41年に放送されたNHKの朝ドラマのロケ地になった「おはなはん通り」は、藩政時代宇和島街道に通じる道として大変賑わった城下町の中心地。街道と交わる東の端には番所が設けられていて、巾7mの通りは当時のままに残っている。

赤レンガ館


おはなはん通り


 この旅の知恵袋であるY君が、大洲の珍しいものをメールで知らせてくれた。頼りになる人です。
 ポポーは大洲にしかない果物だが、時期が合わなかったのでこれを食べることは出来なかった。
 もう一つはちゃんぽん。長崎のチャンポンと違って、こちらはそば飯。焼そばにたくさんのエビ、野菜、焼き飯が入っていてとても美味しかった。 店主が言うには「大洲では2軒、松山に1軒、神戸にもある。」そうです。



 ちゃんぽんのお店を探して地図を見ていたら、70歳代のおじさんが寄って来てそのお店を教えてくれた。ちゃんぽんを食べてから街中を写真を撮りながら散策していたら、先ほどのおじさんに又出会った。
 
 おじさんは「ちょっと行こう」と言う。私「お酒はダメですよ」と言ったら、「それじゃーコーヒーを」と言って、とあるお店に連れていってくれた。そこは昔旅館「油屋」をやっていた料理屋で大洲では名の知れた老舗のお店。かって、作家司馬遼太郎が逗留して執筆したこともあるそうだ。
 おじさんはお酒を飲み、私はコーヒーを飲みながらアユの塩焼きという妙な取り合わせになった。おじさんは「運転代行があるから」と言って盛んにお酒を勧める。本当は飲みたかったけれど、じっと我慢、これは酒好きにとってはとっても辛いことです。
 若主人が、昔川崎の多摩区菅に住んでいたことがあって話が弾んだし、若女将がとってもきれいな女性でした。
老舗料理屋の入口 店内とアユを焼いているところ


あゆの塩焼き




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