四国遍路 第2週1





 第8日 10月9日  晴      走行59km 累計1,059km 自転車11km
 阿波人形浄瑠璃        (泊)道の駅「かつうら」 (徳島県勝浦町)
  Q恩山寺 R立江寺 S鶴林寺


 阿波人形浄瑠璃は義太夫節の浄瑠璃と太棹の三味線、3人の人形遣いの三者によって演じられる人形芝居です。
 阿波十郎兵衛屋敷でこの日演じられたのは、傾城阿波の鳴門「巡礼歌の段」。誰もが知っているあの有名な「ととさんの名は阿波の十郎兵衛、かかさんの名はお弓と申します」のくだりを30分にわたって観た。一体の人形をまるで生きているかのように操るのは、3人の人形遣いの呼吸が合わないと出来ないことなのだろう。







 徳島では、阿波踊り会館で本場の阿波踊りを観たかったが、開演までに3時間も待たなければならないので、これはパスしてお遍路の寺へ。
 
 18番恩山寺の駐車場に車を停めてここからは自転車遍路です。これまでに自転車で巡っている人に1人だけ出会ったが、彼は千葉県から電車で四国入りししてからは全行程を自転車で巡るとのことだ。53歳だと言っていたが2ヶ月間ぐらいかかると言っている。若者が自転車で四国路を走っているのは何人か見かけたが、彼らはお遍路には興味がないようだ。
 19番立江寺を参拝してから恩山寺に戻り、ここからは再び車遍路です。20番鶴林寺は標高550mの山の上にあり、延々と続く急坂だった。ここからは私の脚力で自転車ではとても無理です。

18番 恩山寺


19番 立江寺


20番 鶴林寺  (珍しく若い女性が・・・)



 第9日 10月10日  曇夕雨      走行55km 累計1,114km
                 (泊)道の駅「日和佐」 (徳島県美波町)
  21太龍寺 22平等寺 23薬王寺


 20番太龍寺は標高470mの山の上に建っている。細い道を走るのを嫌って太龍寺ロープウェイの駐車場に車を停めてロープウェイに乗る。ロープウェイはわずか10分で標高差420mを上ってくれた。
 本堂は昨年7月の台風で大屋根が壊れ現在修復中である。すぐ傍に仮本堂が造ってあるが、これがものすごいバラック建てだ。仮本堂の看板がなければ見過ごすかもしれない。それでも、皆ちゃんとお参りしている。
 弘法大師は、この山の上にある太龍寺で修行して「空」を、室戸岬の24番最御崎寺で修行して「海」を得て、「空海」を名乗ったのだそうです。

修復中の21番太龍寺本堂


仮本堂


 前夜、道の駅かつうらで一緒だった人に偶然出会った。
彼は新潟県から軽自動車でお遍路をやっている67歳。白装束に白い足袋、菅笠。仮本堂の前で数珠を持ちチンを鳴らし見事なお経を詠んでいる。あまりの見事さに僧職の方ですかと尋ねたら「新潟のぐうたら爺ですよ」と笑った。
菅笠を脱いだ頭はまさに僧侶だった。


 太龍寺から車で22番平等寺へ行くと又新潟の67歳に出会った。彼はお接待所でもらったみかんを私にくれた。これって「お接待」だろうか。
 日和佐の23番薬王寺に着くころから雨が降り出した。早々に納経所で朱印を押してもらってから、すぐ傍にある薬王寺温泉に入った。辺りが暗くなったら薬王寺本堂の上に建っている瑜祇塔がライトアップされてきれいでした。

22番 平等寺


23番 薬王寺本堂


薬王寺瑜祇塔夜景



 第10日 10月11日  晴      走行44km 累計1,158km
 ウミガメ博物館 牟岐漁村  (泊)道の駅「宍喰温泉」 (徳島県海陽町)


 今日は、お遍路の旅はお休みです。
 日和佐の大浜海岸は海亀の産卵地として知られている。ここに上陸してくるのはアカウミガメという種類で、大きなものは甲羅の長さ1m、体重100kgぐらいある。毎年5月中旬頃になるとこの海岸に現れ、8月の終わり頃になると姿を見せなくなる。
 上陸した海亀は障害物のない広い砂浜を選んで産卵する。上陸する時間は日没から夜明けまでの時間で日中には見られない。海亀の卵は直径4pぐらいの球形で柔軟性があり、40分から1時間ぐらいの間に60個から100個ぐらいが産み落とされる。産卵が終わると海亀は産み落とした穴の上に砂をかぶせ、また海へ戻っていく。
 産卵された卵は50日から65日で自然ふ化し、海へ帰っていく。

ウミガメが産卵する大浜海岸の砂浜


日和佐ウミガメ博物館で撮った海亀





 日和佐から国道55号土佐浜街道を嫌って、県道南阿波サンラインを牟岐町へ向けて走り、牟岐の漁港に立ち寄ってみた。
 朝の漁を終えた漁船が浮かんでいる。すぐ傍でかなりの年配の漁師がとても器用な手つきで漁網の補修をしている。これからの時期はアオリイカの漁が最盛期を迎えると言っていました。
 


 日和佐の道の駅で自転車の若者に出会った。
東京の大学生で、学校を休学してこの春に東京を発って東日本・北海道を周って来たと言い、「休学してでもこれをやる価値はありますよ」とも言う。なんとも頼もしい限りだ。50年前の私自身を彷彿させてくれる。
 翌朝、顔を合わせたらパンク修理で苦戦している。訊けば初めてのパンクだとのことで、まさに苦戦している。そこで、パンク修理のお手伝いということになった。




 第11日 10月12日  晴       走行66km 累計1,224km
 仏頂造りの家 高岡石垣集落     (泊)道の駅「キラメッセ室戸岬」
  24最御崎寺 25津照寺 26金剛頂寺


 四国八十八ヶ所は4っの道場から成っている。阿波国「発心の道場」 土佐国「修行の道場」 伊予国「菩提の道場」 讃岐国「涅槃の道場」
 
 いよいよ高知県に入り今日からは修行の道場です。23番薬王寺から室戸岬の24番最御崎寺までの道はとても長く75キロもある。歩きへんろさんはこの間を黙々と歩いている。まさに修行です。車で移動するにわか遍路は何人ものおへんろさんを追い越した。車に乗せてやろうとも思うが、多分それは辞退されることだろう。

26番 金剛頂寺


 阿佐海岸鉄道の終着駅甲浦(かんのうら)駅 
 ここから室戸岬を越えた土佐くろしお鉄道奈半利駅までの間に鉄道はない。こんな辺鄙な駅に来たのは仏頂造りの家を見たかったからです。
 周りは何もない駅なのに、なんと観光案内所の立て札が掲げてあり昔娘が二人もいる。昔娘は仏頂造りの家のことを詳しく教えてくれてコーヒーも出してくれました。
 


 仏頂造りの家は雨戸が上下7対3ぐらいで、上部を揚げると庇になり下部を下ろすと縁台のようになっている家屋である。「昔はここで茶飲み話をしたり将棋を指したりしたものですよ」と懐かしそうにこの家の主が話してくれました。若い人が都会へ出て行ってしまうので、そんな昔の風情ははなくなってしまったとも言っていました。
 仏頂造りの語源を訊いてみたが、知っている人はいませんでした。


 
上部の庇が出ていて下部は畳んである   下部を下ろしてくれた


高岡の石垣集落
 室戸岬の北5キロほどの高岡の集落には石垣で囲った屋敷が多い。ここは台風銀座で、子どもの頃に「室戸台風」という台風があったのを今でも覚えている。
 海からの強い風を防ぐために石垣で屋敷を囲ってある。たまたま出てきた屋敷の人(50歳ぐらい)は、「私のお爺さんの代に造ったらしいが、正確には分からない」 「最近は石垣を組める人がいないので、ブロック造りになってきている」 「時々崩れそうになった部分をセメントで補修したり、雑草を取り除いている」と話してくれました。 





この日の夜は道の駅「キラメッセ室戸岬」で車中泊。
すぐ近くにあるレストランで鯨の刺身を肴にして高知の銘酒「土佐鶴」を飲んで、とても良い気分になりました。




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