第1日 10月2日 晴 走行461km 累計461km |
東名高速道 新名神高速道 (泊)SA「土山」(滋賀県) |
今年春に九州へ行ったとき、一昨年北海道へ行った時も出発はいつも雨だったが、今回は青空が広がっている。そんな青空の下家人に送られて何日間になるか分からない旅の出発です。 今年春に開通したばかりの第2東名高速はとても走りやすい道路で、サービスエリアがどこも真新しくてきれいだ。昨年買い替えたカーナビがこの新しい道路を認識してくれていないので、画面上はとんでもない所を走っていて、ちょいちょい音声案内がかかってくる。 浜名湖を過ぎた所で在来の東名と合流してから伊勢湾道路・新名神高速を走り、鈴鹿峠を越えて滋賀県に入った所のサービスエリア「土山」がこの旅の最初の泊まり場所。 |
今年春に九州旅で参考にしていること 一昔前に「女泣かせの正平」と揶揄されていた俳優火野正平が、自転車で日本列島を縦断している。無論スタッフが何人もいてのことだが、彼はこの春に千葉県から東北、北海道礼文島まで走っている。 そして、この秋には四国・山陽・九州・沖縄まで走る予定で、既に走り始めていて、沖縄到着は来年2月頃になるそうだ。
火野正平の自転車旅のサイト こころ旅
彼は、今週は徳島県を走っている頃だ。もしかしたら、しょうへい君と会うことがあるかもしれない。 NHK-BSで毎日放送しているのだが、旅行中は見ることが出来ないので妻に録画してもらっている。帰ったら全編を見るつもり。 |
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第2日 10月3日 晴 走行204km 累計665km |
淡路島 明石大橋 生石山砲台 (泊)道の駅「うずしお」(淡路島) |
京都・大阪へ入ると通勤時間帯にかかっていたこともあって道路は大分混雑している。でも、渋滞と言うほどではなく順調にカーナビの案内で走っていく。カーナビがなかったらこんなにスムーズには走れないだろう。 明石海峡大橋を渡った所で、川崎からずーっと走り続けてきた高速道路を下りて、明石海峡大橋の淡路島側の公園でこの大橋を下から見上げる。主塔間の距離1,991mは世界一だそうです。 |
洲本市由良の生石山(おいしやま)砲台は、開国を迫る外国船が来航するようになった幕末の頃、幕府の命により海防の備えとして各地に砲台が造られたが、ここもその一つである。 明治時代になって、由良は海防上東京湾要塞に次ぐ要所と位置付けられ、紀淡海峡、鳴門海峡の防衛拠点として、由良要塞司令部が置かれていた。 |
この日は、淡路島の西端鳴門海峡を見下ろす道の駅「うずしお」で車中泊。 明日から、いよいよ八十八か所お遍路の旅です。 |
第3日 10月4日 晴 走行43km 累計708km |
大鳴門橋 渦潮 ドイツ人捕虜収容所 (泊)道の駅「第九の里」(鳴門市) |
@霊山寺 A極楽寺 B金泉寺 C大日寺 D地蔵寺 |
淡路島南インターから鳴門北インターまで一区間だけ高速道に入る。ここは一般道がないので高速道に入らざるをえない。アッという間に四国入りしてしまった。 大鳴門橋遊歩道上から北側を見ると、高速道路の先に明石の街のビルが見えたのだが写真には写らなかった。 |
大鳴門橋の橋桁に設けられた450mの「渦の道」の遊歩道を歩いて先端の展望室まで行くと45m下の渦潮を見ることが出来る。だが、残念ながら干潮・満潮の時刻を外れていたので、大きな渦を見ることは出来なかった。 しかし、観光ボランティアのおじさんが渦の写真やどうして渦が出来るかを丁寧に説明してくれる。最近はちょっとした観光地へ行くと、このようなボランティアがいて説明してくれる。 |
いよいよ四国八十八か所お遍路です。
全行程1,400キロぐらいの道のりを本来は歩いて修行するらしいが、大方のお遍路さんは交通機関それもツアーで来る人が多いようだ。歩いて巡ることを「歩き遍路」、マイカーで巡ることを「車遍路」と言っていて、自転車やバイクで巡る人もいるようだ。
私の場合は、車で巡るのを基本としつつ時々自転車で巡ることにする。 第一番のお寺「霊山寺」の駐車場に車を停めて折畳み自転車を取り出す。お寺の近くの遍路用具店で納経帳・菅笠・白衣を買う。白衣は自転車なら袖なしが良いと言う店の人の勧めに従った。 この日の遍路は一番の霊山寺から五番の地蔵寺までの約10km。車をデポした霊山寺まで戻ることを考えると20km近い距離を走らなければならない。帰路バスがあれば乗るのだがこれはあまり期待出来ない。 本堂でお参りをしてから納経帳に墨書と朱印を押してもらう。正式には手水場で手と口を清め、お線香、灯明、読経をするのだが、にわか遍路にはそんな面倒くさいことはやっていられない。 |
一番 霊山寺山門
読経するお遍路さん
五番 地蔵寺山門
今日の予定の第五番の地蔵寺まで周り、自転車ナビを車をデポした霊山寺にセットして帰路のコースを辿り霊山寺に帰りついたのは2時半だった。全行程21キロ約3時間かかってしまったが、初日としてはまずまずといったところだ。 |
第1次世界大戦で中国の青島で捕虜となったドイツ兵950人が、大正6年から9年までの間、大麻町(現鳴門市)の板東捕虜収容所に収容されていた。この間地元住民との間に「国境を越えた人間愛と友情」がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられた。 彼らは日本で初めてベートーヴェンの「第九」を演奏したり、母国の土木技術を生かして石造りの橋を造ったりした。 |
ドイツ兵捕虜が造ったドイツ橋
ドイツ兵捕虜の墓
第4日 10月5日 晴 走行40km 累計748km 自転車27km |
(泊)道の駅「藍ランド」(美馬市) |
E安楽寺 F十楽寺 G熊谷寺 H法輪寺 I切幡寺 |
今日の予定は6番の安楽寺から10番の切幡寺までである。安楽寺の駐車場に車を停めてお参りと納経を済ませてから頼み事をしたら快く引き受けてもらえた。 頼み事というのはPCの充電である。前夜大分バッテリーを消費したので残量が1時間分位しか残っていない。そこで、お寺廻りをしてくる3時間ほどの間コンセントに繋いでもらったのである。3時間後に戻るとPCはフル充電されていた。 鳴門市を出て板野町や阿波市に入ると田園地帯が広がっていてのどかな風景の中を自転車を走らせる。自転車ナビを付けてあるが、そんなものが不要なくらいに「**寺まで**km」と書かれた道標がいたる所に立っている。 菅笠をかぶっているので、行き交う人が会釈してくれるし、立ち止まって地図を見ていると声をかけてくれて案内してくれる。これがお遍路の文化なのだろう。
菅笠には凡字と「同行二人」(どうぎょうににん)と書かれている。弘法大師と一緒に修行しているという意味だそうである。 |
8番 熊谷寺
9番 法輪寺
10番 切幡寺
田園地帯の遍路道を走る 道案内の道標がいたる所にある
この日最後の切幡寺は坂道を大分上った所にある。自転車を押して行き大詰めは333段の石段になっている。これは自転車を石段の下に置いて歩いて上がった。 予定の5寺を巡ってから安楽寺に戻ってPC充電のお礼を述べてから、今日の泊まり場美馬市の道の駅に車を走らせた。 |
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