第5日 10月6日 曇 走行52km 累計800km |
うだつの町並み (泊)剣山登山口 見ノ越(美馬市) |
美馬市脇町は江戸期から明治期にかけて阿波藍の集積地として栄え、「うだつのあがるまち」として知られている。 うだつ(卯建)とは、2階の壁面から突き出した漆喰塗りの袖壁で、火除け壁とも呼ばれ防火の役目をしていた。江戸時代、裕福な商家はこの「うだつ」をあげた立派な家を競って造っていた。 ことわざに、いつまでもぐずぐずして一向に出世できないことを「うだつがあがらぬ」というのがあるが、このような立派なうだつのある家を建てる甲斐性がないことから「うだつが上がらない」と言われるようになったと言われている。 |
昔は藍染めをこの町でもやっていたが、今では業として藍染めをやる人はいなくなったそうだ。 街中にある「ふれあい館」で近所の主婦が趣味として藍染めをやっているので、それを見学させてもらった。通常はごみが混入するのを防ぐためふたがしてあるのだが、ふたを開けて藍が泡状になっているのを見せてくれました。 |
一通りうだつの町並みを散策してお休み処「茶里庵」に入ったら、郷土料理 そば米雑炊を勧められた。これは蕎麦を粉に挽く前の粒に人参・牛蒡・餅を入れて雑炊にしたものでとても美味しかった。 食後にコーヒーを飲みながらお店のおねえさんと話を交わしたら、なんと、我が敬愛するしょうへい君が10日程前に真黒い顔をして突然お店に入ってきたそうだ。彼・俳優火野正平は自転車で日本列島を縦断しており、今月は四国を走っている。 観光地へ行くとお店の壁一面に著名人の色紙がよく飾ってあるが、この店には一枚も色紙が張ってない。おねえさんは奥から色紙の束を持ってきたらその枚数の多いことにビックリ。ひのしょうへい君の色紙には「2012秋なのヨ」と書いてありました。 |
この後、明日の剣山登山のために登山口見の越に向かったが、これが国道かというすごい道だった。一応簡易舗装されているが、一車線の急カーブの連続で対向車が来ると広い所までバックするか対向車にバックしてもらうことが何回もあった。 見の越の駐車場は3連休なのでかなりの車が停まっていたが、なんとかスペースを確保した。 |
第6日 10月7日 晴 走行110km 累計910km |
K焼山寺 (泊)道の駅「温泉の郷」(徳島県神山町) |
前日夕方から降り出した雨は夜半には上がったが霧が深い。見の越は標高1460m朝の気温は8℃。こんな霧の中を登っても眺望が得られないので、登山はさっさと諦めることにした。しかし、元気な登山者はどんどん登って行く。既に広い駐車場は満車で路肩にも駐車してある。 見の越から下る途中でもマイカーがどんどん上がって行くが、駐車スペースがないのに一体どうするのだろうか。 |
本来なら11番12番と行くところだが、経路の都合上12番の焼山寺を先にすることにする。この寺は山の中腹464mの高い所にあって、歩き遍路にとっては「遍路転がし」の異名がある。自転車ではとても無理なので車で向かった。 鬱蒼とした杉の巨木の並ぶ中の石段を登って行くと、そこに焼山寺が建っていた。 |
焼山寺は、麓の集落から曲がりくねった細い道を7キロ程上っていかなければならない。そのため麓に「おへんろ駅」なるものがあって、歩き遍路はここで一休みしてから上がって行く。そして、車遍路で運転に自信のない人はタクシーに乗り換えたり運転代行を頼んだりする。 |
第7日 10月7日 晴 走行90km 累計1,000km |
鳴門市立大津西小学校 (泊)道の駅「第九の里」 (鳴門市) |
J藤井寺 L大日寺 M常楽寺 N国分寺 P観音寺 Q井戸寺 |
ルートの都合上、12番の焼山寺を先に行ったので、この日は11番の藤井寺からのお遍路です。藤井寺は少し離れた所にあるので車で行く。
3連休なので団体ツアー多く、老老男女のお遍路さんは熱心にお経を詠んでいる。四国遍路のお寺は山の中腹にあるのが多く曲がりくねった急坂を上がっていかなければならないので、彼らの乗っているバスは全てマイクロバスである。
13番の大日寺からは自転車で平坦な道をのんびり走って行く。どこのお寺もお遍路さんが多く、納経帳に朱印を押してもらうのに順番待ちするほどである。
17番の井戸寺までが今日の予定のコースであり、車をデポした大日寺へ戻ろうとしたら自転車ナビがバッテリー切れになってしまった。往路と同じ道を辿ればよいのだが、多少遠回りになるので地図を頼りに無事大日寺へ戻って本日のお遍路は終了。 |
11番 藤井寺
13番 大日寺
14番 常楽寺
15番 国分寺
17番 井戸寺
鳴門市立大津西小学校 特にどうということのない地方都市の小学校です。現役で会社勤めをしているときに机を並べて仕事をしていたY君が通っていた学校です。彼に四国を旅すると話したら「寄ってみて」ということで、寄り道して学校の前で写真を撮りました。 Y君は小学校1〜2年生時にこの学校に通学し、3年生になるときに川崎へ転居してきたそうです。
校門を入ると正面玄関の前に大きなソテツの木が植わっている。ゆうに50年は経っている木である。彼が通学している時にはあった筈だが、彼は憶えているだろうか。 |
|