第57日 5月18日 晴 走行121km 累計5,2320km |
太宰府天満宮 志賀島 (泊)道の駅「宗像」 |
菅原道真を祭神とする太宰府天満宮は全国1万2000に及ぶ天満宮の総本社と言われていて、年間650万にもの参拝者が訪れている。広い駐車場は観光バスで埋まっている。 参拝者を観察すると、概ね3種類に大別される。
@ これから学問を究めようとする修学旅行の中学生、高校生
A もう学問を極めきった観光ツアーの高齢者
B ハングルや中国語で辺り構わず大きな声で喋っている韓国人や中国人 |
太宰府では観光ボランティア・ガイドにガイドをお願いした。 年配のガイドは道真がこの地に辿り着いた経緯や、昔はお寺であったことなどをかなり詳しく説明してくれました。 天満宮の一画にキリンの像があった。これをキリンビールの商標にしたのは、あのグラバー邸のグラバーだとのことでした。 |
志賀島 福岡市街地から1時間半ほどの志賀島は金印が発見された島である。 2000年近くもの間土中に埋もれていた一辺が2.3cmの金印を農夫が発見したのは、天明4年(1784年)のことだった。「漢委奴国王」と彫られたこの金印は現在福岡市の博物館で展示されている。 |
志賀島は1274年と1281年の二度にわたる元寇襲来の地であり、
その古戦場の跡には供養塔が建っていました。 |
第58日 5月19日 曇 走行76km 累計5,308km |
和布刈神社 早鞆の瀬戸 (泊)オーシャンフェリー船中 |
和布刈神社
九州最北端に位置する和布刈(めかり)神社は、社記によると、「仲哀天皇九年に比賣大神、日子穂々手見命、鵜〔茲鳥〕葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、豊玉日賣命、安曇磯良神の五柱の神を祭神として創建された。」 旧暦元旦の早朝、和布刈神社の神殿の前の干潮の海で、わかめを刈り取って、神前に供える和布刈神事が行われる。 |
神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われます。三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめを刈り採って神前に供えます。(案内看板から) |
本州と九州を隔てる水路を大瀬戸と言い、大瀬戸の幅が600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間を早鞆の瀬戸(はやとものせと)という。ここに本州と九州を結ぶ関門橋が架かっている。 ここは潮の流れがとても速い所で、電光掲示板が設置されていて表示は「8ノット」を示している。散歩中のおじさんは「16ノット」が表示されることもあると言う。 |
新門司港のフェリーターミナルへ行くと、熊本県警のパトカーが何台も駐車している。(長崎県警でなくて良かった) 数えてみたらパトカー4台、窓に金網を施したバスも4台。
訊ねてみたら、福島の原発被災地域で起きている盗難などの警備に総勢80人で行くとのこと。門司から東京までフェリーで行き、その後は陸路で福島へ向かうと言っていました。 |
オーシャン東九フェリー「いーすと」は、定刻19時に新門司港を出港した |
このフェリーではうどんやレトルトのカレーライスなどは食べることは出来るが、レストランはない。乗船前に明日一日分の食べ物と飲み物を買いこんで乗船した。 埼玉県から男二人で九州を周ってきたという同年代と同室になり、この夜はそれぞれが持ち込んだウイスキー・焼酎を飲みながら話が弾みました。 |
第59日 5月20日 曇 走行0km 累計5,308km |
一日中船内 (泊)オーシャンフェリー船中 |
前夜19時に門司を出たフェリーは、高知沖で夜が明けた。この航路では伊勢湾沖とともに陸地から離れているので、ワイファイもケイタイも繋がらない。室戸岬沖を通過する頃には陸地から近くなったので電波は届くようになった。 他の乗客はみな手持無沙汰なので客室で寝そべっているが、私は船首部分のラウンジでけっこう良い椅子に座ってパソコン三昧。そこへ現れた航海士とひとしきり船内でのケイタイ電話やワイファイの受信について話を交わす。
彼が言うには、auとdocomoのワイファイを比べると海上ではauの方が勝っているらしい。年に何回かauもdocomoも社員がこのフェリーに乗船して、電波の受信状況をチェックしているそうだ。 15:20潮ノ岬沖を通過 熊野灘から外洋に出ると幾分波が高くなってきた。 徳島港に9:30に入港し、ここで乗下船する車のために2時間停泊。 徳島を出港してからは、波の穏やかな駿河湾沖・相模湾沖を東京湾に向けてフェリーは進む。 船中から夕陽の写真を撮りたかったのだが、残念ながらこの日は一日中曇空でそのような写真を撮ることは出来なかった。 この夜も、埼玉県から来た男二人とお酒を飲みながら、九州の旅の話で盛り上がりました。 |
オーシャンフェリーの航路図
オーシャンフェリーの時刻表
第60日 5月21日 曇 走行23km 累計5,331km |
帰宅 |
東京湾に入り観音崎沖で夜が明けた。
この春に開通したばかりのゲートブリッジをくぐって、フェリーは定刻5:40に有明埠頭に到着した。
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この後、首都高速道を30分ほど走り午前6時過ぎに我が家に帰って、2ヶ月に及んだ九州の旅を終えた。 |
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