ぶらり九州


第 8 週2
5/14〜5/17

伊万里焼
玄海原発
呼子朝市
吉野ヶ里




 第53日 5月14日  雨     走行20km 累計4,930km
 伊万里焼            (泊)伊万里グランドホテル


天気予報どおり、今にも降り出しそうなどんよりした空模様の朝を迎えた。
 
伊万里焼
伊万里の中心街から車で15分、三方を山に囲まれた大川内山はかって佐賀鍋島藩の藩窯が置かれ、朝廷や将軍に献上する「鍋島焼」が焼かれた。その伝統が伊万里焼として現在に受け継がれている。




登 り 窯
 

伊万里焼
  


大川内山では3時間近くもの間、伊万里焼会館を見学し窯元を覗きこんだり登り窯を見たりしていたが、ついに昼過ぎになって天気予報どおりに雨が降り出した。
 
 
 
伊万里焼の里を出た所にあった大川内郵便局で、先日佐世保での交通違反反則金7,000円を振込んでから、あらかじめ予約しておいた伊万里駅近くのホテルに早々と3時過ぎにチェックインして、本日は終了。



 第54日 5月15日  雨後晴     走行52km 累計4,982km
 玄海原発 名護屋城址      (泊)道の駅「桃山天下市」(唐津市)


天気予報どおり一晩中降っていた雨は、朝9時過ぎには上がった。
 
玄海町に入ると道路が整備され街並みがきれいだ。原発マネーは町を豊かにしているのだろう。多くの市町村が合併した平成の大合併でも、玄海町は合併しなかった。玄海町役場は、この付近の町にはないような豪華な庁舎らしい。
歩道で作業服を着た男二人が計器らしきものを持ってメモしている。放射線量を測っているのだろうか?
 
 
昨年九州電力のやらせメールで物議を醸した玄海原発は広大な土地の一画に、「玄海エネルギーパーク」を設けている。ここでは原子力発電に関する展示物を展示するサイエンス館、発電所の廃熱を利用した温室、テニスコートなどの運動施設がある。
サイエンス館では実物大の原子炉模型で職員が原子力発電の仕組みを説明してくれたが、原子炉の大きさには圧倒された。

サイエンス館屋上から見た原発2号機



サイエンス館からバスに乗って5分ほどの玄海原子力訓練センターを見学した。
今、全国の原発が停止されているが、そんな折りでもここでは発電所と同じ機器を使って、点検や復旧の訓練を行なっている。一人前のオペレーターになるまで、約8年はかかるそうです。





海岸越しに原発を見てみたかったので、県道から外れた細い道を入って行くと見晴らしの良い所に出た。3号機と4号機がよく見える。そこへとパトカーが巡回にやってきた。
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、テロ対策のため海上保安庁は海上から、警察は陸上を随時巡回していると、サイエンス館の職員が話していた。



名護屋城跡
名護屋城は、今からおよそ400年前国内を統一した豊臣秀吉が、さらに朝鮮半島・中国大陸へ出兵するために、その軍事拠点として築かせた城である。今では城は残っておらず城壁と天主台の礎石を残すのみである。
天主台から玄界灘から朝鮮へ出兵する船を眺めていた秀吉は、さぞ気分がよかったことだろう。






 第55日 5月16日  晴          走行71km 累計5,053km
 呼子朝市 唐津城 見返りの滝    (泊)道の駅「巌木」(唐津市)


呼子の朝市
輪島、函館とともに呼子の朝市は日本三大朝市に数えられている。
朝市通りの駐車場に車を停めたら、唐津市教育委員会と書かれた車に乗った初老の男性から「川崎からですか〜」と声をかけられた。この男性が朝市通りを歩きながら、呼子朝市の起こりや現状を説明してくれる。
 
どこの朝市もそうであるように、近在の漁師や農家の奥さんが店を開くようになったが、高齢化とともに買うも人売る人も少なくなって、年々規模が小さくなっているそうだ。
呼子は昔クジラ漁で栄えた所であり、「その屋敷が保存されているからご覧なさい」と言って、所用で出かける島へ船の時刻が迫っていると言って別れた。この男性は元教師だったとのこと。

  

  

  




呼子は昔クジラ漁で栄えた所であり、「その屋敷が保存されているからご覧なさい」と言って、所用で出かける島へ船の時刻が迫っていると言って別れた。この男性は元教師だったとのこと。
鯨組主中尾家屋敷
は、残念なことにこの日は休館日だった。
その屋敷前には次のような説明が書かれている。旧中尾家住宅は、江戸時代に鯨組主(くじらくみぬし)として巨万の富みを築いた中尾家の住宅として建てられた建物です。特に、主家は当時の姿をよく残しており、勘定場とともに唐津市の重要文化財に指定されています。・・・・・・・・



舞鶴城とも呼ばれる唐津城は明治維新後の廃城令により取り壊されたが、昭和41年に5層5階の天守閣が復元された。



唐津城を出てから吉野ヶ里へ向かって走って行くと、見返りの滝」の案内板が目に入った。ちょっと寄り道になるが細い道を走って行った。
落差100m,九州一の落差を誇っていて平日なのに滝見物の車が何台も停まっている。
   



 第56日 5月17日  曇一時晴      走行58km 累計5,111km
 吉野ヶ里遺跡                (泊)道の駅「吉野ヶ里」


吉野ヶ里遺跡
推定延長2.5kmの壕に囲まれた日本最大級の規模の弥生時代の環壕集落(かんごうしゅうらく)跡です。 この中からは、多数の住居跡、高床倉庫群跡、3,000基を超えるかめ棺墓、弥生時代中期の王族の墓である墳丘墓などが発掘されている。
 
平成元年に一般公開されたときは、中国の史書「魏志倭人伝」に記された邪馬台国の姿を彷彿させ大きな話題となった。 遺跡には、物見やぐら、竪穴住居等が復元され、弥生時代の雰囲気を出している。
この日は遠足の小学生が大勢来ていました。そして、団体ツアーの高齢者も大勢来ていました。










九州の旅もついに8週間になってしまいました。やっぱりちょっと疲れたので、そろそろ帰ることにしました。
帰路門司から高速道路を走っていくか、フェリーに乗るか考えていたが、結局、フェリーで帰ることにして5/19夕方の門司から東京有明までのフェリーを予約しました。




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