第47日 5月8日 晴 走行76km 累計4,559km 自転車15km |
軍艦島クルーズ (泊)道の駅「そとめ」(長崎市) |
軍 艦 島
長崎港から南西に19kmの沖合いに位置する端島(はしま)。南北480m、東西160m、周囲1,200mの小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が、戦艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった。 |
約200年前にこの島で石炭が発見され、1890年頃に本格的海底炭鉱として操業が開始された。 出炭量が増加するにつれ人口も増え、狭い島で多くの人が生活するため1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建築され、最盛期には5,300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度に達した。島には学校や病院、商店、映画館、パチンコ屋そして神社まであった。 エネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで、出炭量も人口も徐々に減少し、1974年に炭鉱は閉山しその後無人島になった。 |
軍艦島へは長崎港から軍艦島クルーズの船に乗って約40分。あまり上等ではない岸壁に接岸すると係員が手を差しのべてくれて上陸。現在、島内で歩ける場所は限られていて、見学通路しか移動することが出来ない。建物の老朽化が激しく崩落の危険があるためこれらの場所へ入ることは禁止されていて、居住区などは船上から見るだけである。 この日は比較的波が穏やかだと係員は言っていたが、上陸時はちょっとばかり緊張しました。 |
軍艦島を離れる時、雲が湧いていて朽ちたビルがはっきり眺められた。 |
第48日 5月9日 晴 走行53km 累計4,612km 自転車12km |
長崎市内観光 立山防空壕 (泊)道の駅「そとめ」(長崎市) |
長崎の観光定番コースは、原爆投下地平和公園駐車場に車を置いて自転車で周りました。ゴールデンウィークを過ぎたので空いているかと思ったら、修学旅行の中学生が大勢いて、彼らは4〜5のグループでタクシーに分乗して見学していました。 世に、日本三大ガッカリ名所というのがあるらしいです。札幌時計台・土佐のはりまや橋 三つめが長崎のオランダ坂。もっと長い坂道かと思っていたが・・・・ |
大浦天主堂
立山防空壕 長崎観光の人気スポット眼鏡橋からほど近い所に戦時中の防空壕がある。事前の下調べではこの防空壕はノーマークだったが、眼鏡橋の近くにこの防空壕の案内があった。 長崎県防空本部は太平洋戦争中、県の防空施策の中心的役割を担うなかで、空襲警報が発令されると、この防空壕に県知事ら要員が集まり警備や救援・救護等の指揮・連絡に当たっていた。壕内には知事室や警備部長室・防空監視本部などが配置されていた。 原爆投下時、この場所から原爆被害情報を国の防空総本部などへ送り、同時に救援・救護の手配を指令していた。 |
防空壕のの入り口
第49日 5月10日 晴 走行59km 累計4,671km |
出津教会 太田尾教会 (泊)道の駅「さいかい」(西海市) |
長崎市の北部にある出津(しつ)教会は、明治15年に建てられた白亜の教会。外壁はレンガ造、玄関は石造、内部は木造で漆喰塗り平天井。屋根の低い造りは強風の被害を避けるためといわれている。鐘楼の鐘は神父がフランスから取り寄せたもの。 |
西彼杵半島と大島町を結ぶ長さ1,095mの大島大橋は、平成11年11月11日11時11分11秒に開通した。 大島で食事に入った店のおかみさんは、「昨年から無料になったが、それまではものすごく通行料が高かったの」と言っていました。 |
大島大橋を渡ってから太田尾の集落まで行き、案内表示に従い細い急な道を上って行くと教会が見つかったが、対向車がなくて良かったと胸をなでおろした道でした。 太田尾教会は昭和7年に新築された木造教会で、単層切妻屋根はセメントスレート瓦葺、外壁はモルタル吹き付け仕上げ。建物正面の玄関は三つに区分され、中央入口は緩い尖頭アーチと上部に三角破風を有する開放入口となっていて、左右入口も中央よりは若干簡素化された開放入口になっている。 |
|