第36日 4月27日 晴 走行105km 累計3,720km |
鹿児島市内散策 (泊)道の駅「霧島」 |
12日ぶりに鹿児島市内へ行くことになった。というのは、この旅の途中でホームページ・ビルダーのバージョンをアップした。その解説書をあちこちで探したが見つからなかった。鹿児島なら見つかるだろうと思ったこと。そして、前回は雲行きが怪しくなり途中で市内散策を切り上げたこと。
前回と同様に磯庭園の駐車場に車をデポして、市内中心部まで5キロほどのサイクリング。まずスポーツサイクル店へ行って自転車のメンテナンスを頼んだら、代車としてママチャリを貸してくれる。
前回行きそこなった鹿児島が輩出した明治の偉人たちの出生地へ行ってみた。それらの地は高等学校の敷地や公園の一画になっていて、誕生の地の碑が立っているだけである。 |
鹿児島市の玄関口・鹿児島中央駅の駅前広場にとても大きな像が立っている。像の高さが12m(台座部分9.5m)もある若き薩摩の群像。 江戸時代の末期に国禁を犯して海外留学を果たし、日本の近代化のために尽力した薩摩藩の青年藩士17人の銅像です。 |
ママチャリを貸してくれた自転車屋で鹿児島で一番大きな本屋を尋ねたら、天文館商店街のマルヤ・ガーデンズの中に大きな本屋があると教えてくれた。 なるほど、大きな本屋で川崎の本屋に勝るとも劣らない売り場面積で、目指す本はすぐに見つかった。 ついでに、ポケットがたくさん付いているベストにカギ裂きを作ってしまったので、衣料品の店でこれも買った。なにしろ、このベストは運転免許証・銀行カードそして健康保険証などの全財産を入れて肌身離さず身につけている大事なものなのです。
観光と買い物を済ませて自転車店に戻ると、自転車の整備は完了していて随分乗りやすくなっていました。 |
第37日 4月28日 晴 走行96km 累計3,816km |
霧島神宮 えびの高原 (泊)道の駅「錦」(人吉市) |
霧島神宮は、欽名天皇の時代の540年の創建とされ、その後霧島山の噴火により移転と再建を繰り返した後、現在の地に造営された。 |
神殿の前で、若い女性がきちんと正座して目に涙を浮かべながら手を合わせていました。この女の子の身の上に何があったのかとても気になりました。 |
4月とは思えないようなとても暑い日だが、標高1,200mのえびの高原には爽やかな風が吹いています。間近かに見える韓国岳は新燃岳の噴火で、現在登山禁止になっている。 |
えびのエコミュージアムセンターの入口に新燃岳の噴火の墳石が陳列してあり、案内板には次のように書いてあります。 「平成23年2月の噴火で、山頂から約3.2Km地点に落下した墳石で重さは400Kg。落下地点に散乱している小墳石を考慮すると、500Kgを越える墳石が飛んできたものと思われる」 東北の津波もすごかったが、こんな大きなものが飛んでくるのだから自然はすごいです。(マイルドセブンのパッケージが置いてありました) |
ゴールデンウィークに入ったので、えびの高原は家族連れや夫婦連れの観光客でけっこう賑わっている。
高原のホテルの立寄りの温泉に入り、レストランで昼食。その後、高原の爽やかな風を感じながらコーヒーを飲んでいました。 |
第38日 4月29日 曇 走行68km 累計3,884km |
人吉 球磨村一勝地 (泊)道の駅「五木」 |
人吉は、日本三急流の一つ球磨川を中心に、700年余りにわたって相良氏の城下町として栄えた町。当時のままに残っているのは石垣だけ、わずかに櫓が復元されているだけで他にはなにもない。
城址公園の観光用駐車場に車を停めて徒歩で街中を2時間ほど散策。 鍛冶屋町通りは石畳が続く通りで、お茶屋やみそ・しょうゆ蔵、鍛冶屋などの昔の風情を残した建物が並ぶ小京都の雰囲気が残っている。 |
|
|
|
みそ・しょうゆ蔵 |
|
お茶屋 |
|
|
|
鍛冶屋さん |
|
仕事場 |
人吉市内には20軒以上もの公衆温泉浴場が点在している。なかでも、人吉城址近くの元湯は創業74年、市内で最も古い老舗の公衆温泉。 今年2月に、NHK TVの「家族に乾杯」の取材で訪れた元力士魁皇がちょん髷姿でこの湯に浸かったそうだ。魁皇が入ったらお湯がザンブと溢れ出たと、番台に座っていたおばさんが言っていました。 |
人吉にはこの地方だけに伝わるウンスンカルタいう遊びがあります。16世紀半ば、渡来したポルトガルの船員たちによって南蛮カルタが伝えられた。17世紀後半、これを改良したウンスンカルタが生まれ日本中で流行した。 ところが寛政の改革(1787〜1793)の時、一切の遊具が禁止され、この遊びも全国的に弾圧されたのだが、不思議なことに日本で唯一、人吉地方だけにこの遊びが残り、今日まで伝えられてきました。 |
|
|
|
ウンスンカルタの館 |
|
ウンスンカルタ |
球磨村一勝地 人吉市街地から北へ10キロ程の球磨村一勝地は想い出の地です。 50年前の九州一周サイクリングのときに、この一勝地小学校の宿直室に一晩泊めてもらったのです。宿直の内川先生(仮名)と夜遅くまで球磨焼酎を飲みながら、いろいろな話をしたことがありました。
50年の間に校舎は2回も建て替えられましたが、まるでお城の城壁のような石垣は当時のままに残っていました。この石垣は明治時代に地域の人々によって球磨川から運び込まれて積み上げたものだそうです。現在のような重機がなかった時代に大変な苦労だったろうと察っせられます |
前記 内川先生とはその後ずーっと年賀状を交わしていたが、10年ほど前に奥様からの喪中のハガキで先生が亡くなられたことを知りました。さっそくお悔やみの言葉と花キューピットで花を送ったところ、奥様から丁重なお礼の電話とともに球磨焼酎が送られてきました。
道の駅「錦」に車を置いて、自転車ナビをセットした自転車で先生のお宅を訪ねたら、息子さん夫婦がおられて、「子どもの頃に、父から東京の学生が一勝地小学校に泊まった話は聴いていました」。そして「母も5年前に他界しました」
内川先生のお宅はクリスチャンなので、旅先でもあり用意してきた「お花料」を墓前に供えて、内川家を辞した。 |
第39日 4月30日 雨後曇 走行0km 累計3,884km |
五木村で休養 (泊)道の駅「五木」 |
昨日夕方から降り出した雨は、朝になっても降り続いている。天気予報も昼頃までは降ると言っている。こんな日は走らないことにしているので、今日は休養することにする。
道の駅にある観光協会へ行くと若くてきれいな女性がいる。なにやかやと話しているうちに事務室内のコンセットから「PCのバッテリーを充電しても良いですよ」と言ってくれた。PCとワイファイの充電をセットしてから、すぐ近くの五木温泉へ行ってお風呂と昼食と食後のくつろぎ。昼過ぎには雨が上がったので、付近を散策して3時間後に観光協会へ戻るとPCはフル充電されていました。 ちなみに、この女性は福岡からこの村へIターンしてきたと言っていました。 |
五木の子守唄で知られている五木村は、道路や役場、民家が新しく電線が地中化されていてきれいな村である。これは、昭和30年代末に3年連続で下流の球磨川が氾濫したので、下流域の防災のため、国は上流の川辺川にダム建設を計画した。このため、川沿いにあった道路や建物が高台に移ったためである。これを機に離村した人も大勢いたようで、人口は大分減少したそうです。
観光地へ行くとよくある光景だが、大音量で流行りの歌を流しているが、ここにはそれがない。流れているのは「五木の子守唄」 大きくもなく小さくもない音量で流れている。心に沁みるようで、これがとてもいいんです。
おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先きゃおらんと
盆が早よくりゃ 早よもどる
(子守り奉公も年季が明け、恋しい父母がいる故郷に帰れる日が待ち遠しい) |
|