ぶらり九州

第 6 週2
5/1〜5/3

五家荘
3333段の石段
石橋
通潤橋
 


 

 第40日 5月1日  晴     走行83km 累計3,967km
 五家荘              (泊)道の駅「通潤橋」(山都町)


五家荘 平家の里
熊本県と宮崎県との県境に位置する五家荘は平家落人の隠れ里。標高1,700m級の山々に囲まれ深い谷は、山を越えた宮崎県の椎葉村とともに九州最後の秘境といわれている。

五家荘は仁田尾・樅木・椎原・久連子・葉木の五つの集落の総称。一説には五家荘の地名には平家の暗号が隠されていると言われている。壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家一族は源氏の追手を逃れ、全国に散り散りに逃げ隠れたと伝えられ全国数十か所に平家落人の里がある。いずれも「五家」・「五箇」という地名が付けられていて、平家であること確認するための暗号だったのではないかと推測されている。五家荘に逃げ延びた平家一族は、平清盛の孫にあたる清経の子孫。







緒方家
平清経は椎原に住みつき、その後姓を緒方と改め、代々庄屋としてこの地を支配してきたそうです。
この建物はおよそ300年前にに建てられたものであるが、老朽化が進んだため八代市(旧泉村)が取得して復元したものだそうです。








 第41日 5月2日  曇       走行78km 累計4,045km
 3,333段の石段 美里の石橋  (泊)道の駅「通潤橋」(山都町)


3,333段の石段
美里町の「日本一の石段」は、釈迦院(八代市泉町)の表参道である御坂に日本一の石段を建設し、町の活性化を図るための観光の目玉づくり、町おこしのシンボルづくりを狙って建設されたものです。
石段建設は、昭和55年に着手し、昭和60年には山形県羽黒山の2,446段を抜いて名実とも日本一の座につき、昭和63年に完成しました。





標高差620mゆっくり登って頂上まで2時間弱。山頂には1,200年の歴史を持つ金海山大恩教寺釈迦院があり、石段の途中には休憩所やトイレが設けてある。
9時半に最初の1段目をスタート。延々と石段が続き100段ごとに**段目と刻んだ石碑が立っている。曇空で陽射しがないが汗びっしょり。1,600段目、頂上まであと半分。2,000段目あと1,300、次第に息が荒くなってくる。



そして、登り始めて2時間、霧に覆われている3,333段目に着いた〜〜。
汗だくだく、でも何とも言えない達成感がありました。






美里町の石橋
肥後(熊本)から日向(宮崎)へ抜ける道には江戸時代後期から肥後石工、種山石工などの卓越した技術を持った石工が多くの石橋を築いた。
この地区に現存する石橋は100を越えるが、その多くは当時の姿を残し現在も使われている。

霊台橋 (国指定重要文化財)



霊台橋


大窪橋 (美里町指定文化財)


大窪橋





 第42日 5月3日  晴      走行80km 累計4,125km
 通潤橋              (泊)道の駅「旭志」(菊池市)


通 潤 橋
山都町にある通潤橋(つうじゅんきょう)は江戸時代に架けられた石組みによる用水の水路橋です。形式はアーチ橋となっており、橋の上部には3本の石管が通っていて、肥後の石工の技術レベルの高さを証明する歴史的建築構造物であり、国の重要文化財に指定されている。
橋の中央上部両側に放水口が設置されており(川の上流側に2つ、下流側に1つ)、灌漑利用が少ない農閑期には観光客用に時間を区切って20分程度の大規模な放水を行っている

この日はゴールデンウィークなので、九州各地そして本州ナンバーの車で駐車場は満車状態で交通整理員が忙しく立ち振舞っていました。正午に放水が始まると、歓声と共に拍手が起こりました。













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