ぶらり九州

第 5 週1
4/20〜4/23

赤崎小学校
八 代
三 角
天草上島
 


 

 第29日 4月20日  曇            走行102km 累計3,105km
 国鉄宮之城線 軸屋酒造 赤崎小学校  (泊)道の駅「みなまた」(水俣市)


薩摩郡さつま町には、かって国鉄宮之城線が走っていた。薩摩川内から大口まで全長66キロあったが、昭和62年国鉄民営化のあおりでこの線は廃線になってしまった。地方の人口減少はきっとこんなことも影響しているのだろう。
宮之城鉄道記念館には当時の運行の模様を表す記念の品が展示してある。


  



焼酎蔵見学
宮之城鉄道記念館に併設された観光案内所で、焼酎の蔵元を見学したいと訊ねた。職員は軸屋酒造を紹介してくれて、これから見学に行く旨を電話してくれた。
軸屋酒造は明治43年創業、現在は4代目がイモ焼酎を作っている老舗蔵元。あらかじめ電話連絡があったので、職員がマンツーマンで焼酎の製造工程を説明してくれる。



一次もろみを一定温度に保つため櫂をいれる 二次もろみを7〜8日間寝かせる 


試飲コーナーがとても良い雰囲気で、これではどんどん飲めてしまうんではないかなー
でも、ぐっと我慢してこの蔵元一番の看板焼酎25度の「軸屋」を買ってきました。




赤崎小学校
海の上に建っている小学校 赤崎小学校です。水俣市の北隣り津奈木町赤崎地区は山が海岸まで迫っているので平地が少ない。そこで建てたのが校舎の半分が海の上にある学校で、教室から魚釣りが出来る学校です。
この学校は明治7年開校 創立100年を超える学校だが、平成22年3月に閉校した。最後に残った生徒20数人は津奈木小学校に通うことになった。地方にはよくある姿であり、町は築40年のこの建物の再利用を模索しているそうです。

ここへ行った時刻が干潮の時刻であり海の上にあるように写真に写らなかったので、ネットで満潮の時刻を調べて再度ここへ行ってみたいと思っています。






この学校のことを知ったのは、NHK-BSで毎朝放送している「こころ旅」という番組。かって「女泣かせの正平」と揶揄された俳優火野正平が自転車で旅している番組です。彼はこの春は東京から北海道を目指していて、今頃は関東地方北部か東北を走っている筈です。

この旅行中テレビを観ることが出来ないので、妻に録画してもらっているので、帰ったらまとめて録画を観ます。



 第30日 4月21日  曇後雨    走行115km 累計3,220km
 赤崎小学校 水俣病資料館 八代城址    (泊) 三角・楠萃荘


前夜、ネットで熊本地方の満潮時刻を調べ、その時刻に合わせて再度赤崎へ。今度はみごとに海の上に建っている学校であり、これなら教室の窓から魚釣りが出来る。
写真を撮っていたら、漁に出る準備をしていた漁師が「高台の方がよく見える」と言って、高台へ行く道を教えてくれました。






水俣病資料館
チッソが海に流した廃液により引き起こされた公害病である水俣病の記録を展示している資料館です。 世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、水銀汚染による公害病の恐ろしさを世に知らしめた。なお、舞台となった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行われている。
展示されている写真「網元漁師の手」異様に折れ曲がった指が水俣病の苦しみを物語っている。
 


元漁師の手


八代城址は、幅の広い水堀に囲まれた本丸と、道路を隔てた所にある北の丸の一部が公園として整備されている。現在、城跡には城壁があるのみで建物の遺構は何も残っていない。
天守台から本丸西側の塁上を歩いてみたら結構スリルがあった。石垣は高く、柵がない。 一歩間違えば堀に転落してしまう。 







天気予報は今夜から明日午前中まで荒れ模様で、風雨が強くなると予報している。予報どおり午後から雨が降り出した。
 
この日は天草半島の玄関口三角まで行く。三角の観光案内所で紹介してもらった旅館「楠萃荘」は三角港を見下ろす高台にあり、活魚料理が美味しかったです。



 第31日 4月22日  晴            走行99km 累計3,310km
 三角西港 天草四郎メモリアルホール 倉岳大恵比須 (泊)道の駅「有明」(天草)


昨夜の天気予報は午前中は雨と予報していたが、天候の回復が早く朝方には雨は上がり10時過ぎには太陽が顔を出してきた。

三角西港
三角西港は、天草への玄関口で宇土半島先端にある港湾施設です。明治時代に熊本に派遣されたオランダ人技術者が、県令(知事)の大規模な港を築きたいという意向を受け、約3年間の突貫工事の末、明治20年に開港した。工事に当たっては、大矢野島の飛岳から切り出した砂岩を材料に、埠頭や排水河川、橋などが造られ、背後に洋風の建物からなる街並みが造られています。









天草四郎メモリアルホール
寛永14年(1637)に起きた天草・島原の乱の総大将 天草四郎の真の姿や天草におけるキリシタンの歴史・南蛮文化などを展示してある。 ホールの裏手には天草四郎のお墓が建っていました。



 



天草上島の倉岳地区にとても大きな恵比寿様が建っている。台座を含めると日本一の高さだそうです。近くにいた住民に聞いたら、竹下内閣の時のふるさと創生1億円で造ったそうです。






 第32日 4月23日  晴      走行34km 累計3,344km
 サンタマリア館          (泊)道の駅「有明」(天草)


昨夜の天気予報は午前中は雨と予報していたが、天候の回復が早く朝方には雨は上がり10時過ぎには太陽が顔を出してきた。そうは言っても、ずーっとパソコンをやっているとPCのバッテリーの残量が乏しくなったので、サンタマリア館まで走って行った。
 
サンタマリア館は、先祖が隠れキリシタンであったという浜崎栄三氏が、約30年の歳月をかけて集めた資料を展示している。「祈りの部屋」は隠れキリシタン時代に屋根裏に設けてあった祭壇で、通常は梯子を外していて外からはキリシタンであることが分からないようにしてあった。








道の駅のレストランの前で面白い人に出会った。
シュロの木の葉で器用にバッタを作っている。1匹300円だが本物のバッタと見間違いそうなくらいに良く出来ている。マスコミの取材を何回も受けたことがあるようで、この辺りではちょっとした有名人。
妙に気が合い、バッタ作りそっちのけで明日行く予定の天草下島について、観光ガイドブックに載ってない名所を教えてもらう。






次の週へ      もくじ