ぶらり九州
第 4 週 1
4/13〜4/16
串良航空基地跡
桜 島
鹿児島
指 宿
第22日 4月13日 雨 走行0km 累計2,603km
串良航空隊慰霊碑 (泊)鹿屋市親戚宅
昨日の天気と打って変わった朝から雨が降っている。
午後になって一時雨が止んだので、車で義弟夫婦に串良平和公園へ案内してもらった。
串良平和公園
戦時中、串良航空隊の基地があった所で、戦没者慰霊塔が建っている。昭和20年3月からは特別攻撃隊の基地になり、終戦までの半年間に565人が特攻隊員としてここから飛び立っていった。
一直線の道路はかって特攻機の滑走路であった所であり、つい1週間前には桜並木だった桜は葉桜になっていたが、滑走路跡の道路わきの花壇にはつつじが咲き始めていました。まさに平和です。
第23日 4月14日 晴 走行47km 累計2,650km 自転車49km
桜島一周サイクリング (泊)道の駅「垂水」
桜 島
道の駅「垂水」に車をデポして、桜島一周のサイクリング。
島の南側は比較的に平坦であったが、北側は小さなアップダウンの連続である。この日は降灰は少ないが、車がスピードを上げて通りすぎると灰が舞い上がって迷惑このうえない。
島の外周道路は36キロだが、垂水から走ったこととあちこち寄り道したので、自転車のメーターは49キロを示していた。
大正3年の噴火は桜島と大隅半島を陸続きにしてしまい、黒神の集落では全戸687戸が火山灰に埋没してしまい、神社の鳥居もこのとおり2mも埋没してしまいました。
「馬島はこの下に」
馬島はかって桜島の沖合い500mに島の高さ20m周囲500mの無人島であった。
5日間続いた溶岩の流出で、この島は溶岩の下20mに埋もれてしまい、桜島と繋がってしまった。
桜島の降灰の袋を廃棄する集積場
これがいたる所に設けられている
桜島の古里は林芙美子の本籍地である。母親の郷里であるここに住んでいたのは11歳の時で、櫻島の大噴火があった大正3年から1年間である。
垂水にあった墓地
墓石には屋根が架かっている
第24日 4月15日 曇 走行69km 累計2,719km 自転車45km
鹿児島市内観光 (泊)道の駅「喜入」
桜島からフェリーに乗って鹿児島港へ渡る。これまでに何回かフェリーに乗ったことがあるがここのフェリーは乗船手続きなどがものすごく簡単であり、まるで電車かバスに乗るようだ。
港から仙巌園はほんの僅かな距離であり、ここの観光駐車場に車を停めた。
仙厳園(磯庭園)
仙巌園は、万治元(1658)年、19代島津光久によって築かれた別邸です。錦江湾や桜島を庭園の景観にとりいれられている。幕末の名君、28代島津斉彬がこよなく愛し、徳川将軍家に嫁いだ篤姫も度々足を運んでいたそうです。
また、南の玄関口といわれた薩摩の歴史・風土にふさわしく、中国文化の影響が色濃く見られることが仙巌園の特色の一つであり、さらに温帯と亜熱帯の境に位置することから、数多くの珍しい植物が植えられている。
正門 (門の上部に島津家の家紋「丸十紋と「桐紋」彫られている
御殿 (島津藩最後の藩主島津忠義が明治になってから住んでいた)
錫門(江戸時代の正門で、屋根が錫で葺かれている
仙巌園の駐車場に車を置いて、自転車で鹿児島市街地へ向かう。
鹿児島は多くの歴史上の人物を輩出している。それらの像を自転車で巡ってみた。市街地の散策には駐車場の心配をしなくてもよい自転車は便利である。
西郷隆盛
大久保 利通
フランシスコ・ザビエル
島津 斉彬
島津 久光
島津 忠義
西郷さんの銅像の前で 西郷さんは50年前と同じ姿で立っていた
今回の旅
50年前の旅
第25日 4月16日 雨後曇 走行49km 累計2,768km
指宿砂蒸し温泉 (泊)道の駅「いぶすき」
夜明け前からあまり強くはないが、雨が降り出してる。こんな日はゆっくり写真の整理やホームページの更新作業。その雨も10時過ぎに上がったので出かけることにする。
指宿名物 砂浜に湧く温泉の地熱を利用した天然砂むし温泉。浴衣を着て頭だけ出した全身に温かい砂をかけてもらう。砂の温度は50℃ぐらいで全身から汗がジワーッと吹き出し、まるでサウナに入っている感じ。15分以上は入っていないようにと注意書きがあり、いたる所に時計が掛けてある。10分経ったところで砂をはねのけて出た。
砂から出たら会館内の温泉にゆっくり温泉に浸って、初めての砂むし温泉でありました。
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