第26日 4月17日 晴 走行96km 累計2,864km |
長崎鼻 西大山駅 知覧特攻平和会館 (泊)道の駅「川辺」(南九州市) |
長崎鼻から眺める開聞岳がとてもきれいです。
薩摩富士と呼ばれるこの山は日本百名山の一つであり、10年ほど前に登っているので今回は登りません。(実は巻き爪の状態が芳しくない)
長崎鼻の灯台の前にソテツが自生していて、この付近一帯のソテツは「ソテツ自生地の北限」であり、国の特別天然記念物に指定されています。 |
西大山駅
JR指宿枕崎線の西大山駅は、日本最南端のJRの駅です。むろん無人駅で上り下り計16本のジーゼルカーは朝夕の通学時間帯に集中している。
それでも観光客には人気の駅で、この日も何組かの観光客が訪れていました。(皆んな、車で)
ちなみに、最北端は稚内駅、最東端は東根室駅で、最西端は「たびら平戸駅」であり、この旅の終盤でこの駅にも行ってみるつもりです。 |
花瀬望比公園
開聞岳の西側の麓にある花瀬望比公園は、太平洋戦争フィリピン戦線で戦死した霊を祀ってある公園です。ここにある鉄兜と銃は遺骨収集の折りに持ち帰ったものだと、散歩中のお爺さんが教えてくれました。 兵士の像も鮮烈だが、南方に向かって何かを語りかけているような母娘の像が物悲しいです。 |
枕崎というと子どもの頃に枕崎台風と名付けられた大きな台風を思い出します。ここは漁業基地であり、街の中にはいたる所に「鰹節」の看板が掲げられている。
「お魚センター」と名付けられた市場にはお昼近くなのに客足は疎らだったが海産物がたくさん並んでいる。ここで食べたカツオの刺身は絶品でした。 |
枕崎の漁港
枕崎のお魚センター
知覧特攻平和会館 太平洋戦争末期の沖縄戦において、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示してある。 館内では当時の模様を語り部だろうか老人が熱弁をふるっていて、観光ツアーできたこれまた老人が熱心に耳を傾けている。 ゼロ戦やたくさんの遺品などは撮影禁止で、館外に展示されていた軍用機を撮っただけでした。 |
第27日 4月18日 晴 走行54km 累計2,918km |
知覧武家屋敷 万世特攻平和祈念館 (泊)道の駅「木花館」(南さつま市) |
知覧武家屋敷 鹿児島市の南西、薩摩半島南部中央に薩摩の小京都とも呼ばれる知覧武家屋敷群がある。江戸時代に薩摩藩が各地に設けた外城の一つで、東西に走る600mほどの通りの左右に石垣の上に緑の生け垣を置いた武家屋敷が続いている。このうち7棟の屋敷の庭園を見てまわったが、いずれも築山の上部に石塔、下部に枯滝から流れるように巨石による石組を設けてある。
これらの屋敷は現在も生活の場として使われてなっているので、内部を見ることはできないが、薩摩半島南部の観光のメッカであるので、観光バスに乗ったツアー客が続々とやってくる。観光客が屋敷の中に消えるの待って撮った写真です。 |
万世特攻平和祈念館 薩摩半島西側 日本三大砂丘の吹上浜に昭和19年の終わり頃に陸軍最後の飛行場が建設された。17歳の少年飛行兵を含む200人近い特攻隊員が南方に向かって出撃していった。彼らに遺骨はない。しかし、彼らがこの世に書き残した遺書がある。万世特攻平和祈念館ではこれらの遺書を遺影とともに展示してある。(これらは撮影禁止)
知覧の特攻平和会館は観光ツアー客で大変な賑わいようであったが、ここは閑散としている。祈念館の人は「ここはあくまでも祈念館ですから、特別に観光誘致はしていません」と言っていました。 |
館内には、吹上浜沖の海底から引き揚げられた零式水上偵察機が展示されています。この偵察機は昭和20年6月搭乗員3人を乗せて沖縄方面の夜間偵察の帰り、燃料不足で吹上浜沖に不時着したもので、吹上浜沖600m水深5mの砂地から47年ぶりに引き揚げられたものです。 |
川崎を発って27日目 新燃岳そして桜島の降灰で車は汚れ放題である。車の色が紺色なので降灰のツブツブが一面に付着していて降灰の跡がよく目立つ。
桜島を通り過ぎたら洗車しようと思っていたので、南さつま市のガソリンスタンドで洗車してもらった。20分ほどで車は見違えるようにきれいになった。 |
第28日 4月19日 晴 走行85km 累計3,003km |
吹上浜砂丘 薩摩焼の郷 世界一郷水車 (泊)道の駅「樋脇」(薩摩川内市) |
吹 上 浜
吹上浜は、鹿児島県西部 いちき串木野市・日置市・南さつま市にかけての砂丘海岸で、日本三大砂丘の一つに数えられている。薩摩半島西岸に位置し、東シナ海に面して長さ47kmの砂丘は日本一の長さ。
鳥取砂丘もそうなのだが、ここも近年草が生え出している。植物の生命力はすごいものだ。 |
薩 摩 焼 いちき串木野市の山あいにある美山には、薩摩焼の窯元が12軒あり、薩摩焼約400年の歴史が今なお息づいています。 豊臣秀吉の慶長の役に出陣した第17代薩摩藩主島津義弘は、慶長3年(1598年)に朝鮮から約80名の陶工たちを連れ帰り、そのうち40余名が串木野に着船した。藩の保護の下で開窯をしたのが薩摩焼の始まりです。優雅で気品に満ちた白薩摩は、藩主の御用品として焼かれ愛用されました。 |
登り窯
世界一郷水車 薩摩川内市祁答院(けとういん)の蘭牟田(いむた)の山あいに大きな水車がある。谷間の入り口にシンボルとして聳えているのが世界一郷水車である。途中で区切ると「せかいいち」とも読めるが、無論世界一はおろか日本一でもない。岐阜県山岡町にある水車が直径24メートルと日本では最も大きい。祁答院の水車は直径13.2メートル、規模も造りもとても及ばない。
なぜこのようなまぎらわしい名前をつけたのか、まったく不可解。水車の脇にある売店は定休日でこんな曇ってる日なので辺りに人はいない。おそらくは観光の目玉として造ったのだろうか。(宮崎の綾の大吊橋がそうであるように・・・・・・・・) |
朝からどんよりした曇空だったが、水車を見ている頃から、遂にポツリポツリと降り出してきた。
昨日の洗車に続いて、この旅2回目の溜まった衣類の洗濯。前回は温泉内のコインランドリーで、レストランで食事をしながらの洗濯だったが、今回は街中によくあるコインランドリーなので、PCでHPの更新作業をしながらの洗濯。 1時間ほどで全自動の洗濯機は洗い・脱水・乾燥までやってくれました。 |
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