ぶらり九州
第 3 週 1
4/6〜4/8
椎葉村
若山牧水生家
西都原古墳
青島
鵜戸神宮
飫肥
第15日 4月6日 晴 走行100km 累計2,051km
椎葉村 若山牧水生家 (泊)道の駅「とうごう」(日向市)
椎葉村
椎葉村は、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平氏の残党が隠れ住んだ地の一つとされている。源氏は平家の残党狩りに行ったが、残党に戦意はなく農耕に励んでいたことから、追討をとりやめたという。追討軍に加わっていた那須与一の弟 那須大八郎はここで平清盛の孫娘 鶴冨姫という娘と知り合い、恋仲となって子を授かった。
この屋敷は鶴冨姫が住んでいた鶴富屋敷で国の重要文化財に指定されている。この隣りに那須大八郎の子孫である32代目当主が旅館「鶴富屋敷」を営んでいる。
椎葉小学校入口の山桜が満開
鯉のぼりが泳いでいたが、幟はなぜか「椎葉恋」
椎葉の山里の風景
山桜がきれいです
椎葉厳島神社
厳島神社は海の神を祀る祭神とばかり思っていたら、こんな山里にも厳島神社があった。
壇ノ浦の戦いで破れた平家一門討伐の命を受けた那須大八郎が、椎葉山中での平家残党の叛意なき姿を深く哀れみ、平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を歓請し建立したといわれている。
日本全国に500社あるともいわれる厳島神社の総本社は、安芸の宮島にある厳島神社であるが、その大方はいずれも海の近くにある。
広島安芸の宮島の厳島神社
北海道天売島の厳島神社
横浜の厳島神社
東郷町(現在は日向市に合併)は若山牧水が生まれた地であり、生家が残されている。
生家は牧水の祖父が建てたものであり、若山医院でもあった。幾度かの修復が行われたが、牧水の幼少時代の姿をそのままに伝えている。
若山牧水像
北海道摩周湖近くに住んでいる今年76歳になる従兄夫婦は、毎年北海道に紅葉が始まると鹿児島県指宿へ向けてキャンピングカーで走り出す。指宿で3〜4ヶ月間過して、九州に桜が咲き始めると桜前線とともに北海道へ帰って行く。こんな生活をもう10年もやっている。
この日は日向市の道の駅で落ち合い、いっしょに食事をしながら九州の旅情報を得た。
第16日 4月7日 晴 走行128km 累計2,179km
西都原古墳 綾の照葉大吊橋 (泊)道の駅「高岡」(宮崎市)
西都原古墳
宮崎市街から北東へ25キロほどの西都原は古代から中世にかけて日向国の中心だったとされる地。広大な土地に311基もの古墳が点在している。
丁度桜が満開なので、あちこちでお花見の宴会をやっていて付近の道路は渋滞をおこしていました。
前方のこんもりした森は、国内最大の墳長175m高さ19mの帆立貝形古墳「男狭穂塚(おさぼづか)」で、「女狭穂塚(めさぼづか)」とともに陵墓参考地として立ち入り禁止になっている。
鬼の窟古墳の横穴式石室は、巨石を用いて造られ羨道とま玄室に分かれていて、中を見学することが出来ます。
小学生が古墳入り口で遊んでいた
綾の照葉大吊橋
宮崎市北西の綾町の山間部に架かっているこの橋は、かっては世界一を誇っていた。というのは、湯布院の近くにある「夢の大吊橋」に抜かされてしまったそうだ。それでも大きな吊橋であり、長さ250m高さ140mもある。
この橋の向こう側には集落などなく、この橋の完成後に造った遊歩道があるだけ。この橋は観光の目玉にしようと造った橋で入場料300円なのだが、観光客がけっこう来ているようで町の観光資源になっているようだ。 雇用も生まれているし・・・・・
宮崎は南国です。もう田植えが始まっています。
早い所では3月下旬に田植えをやって、7月には刈入れをやると農家の人は言っていました。昔はその後もう一度田植えをやる二期作だったが、食生活の変化や輸入米があることから米の需要がなくなったので、現在では二期作をやることはなくなったそうです。
このところ、ホームページビルダーの調子が良くない。HPBに写真を取り込もうとすると度々フリーズしてしまう。ノートンのセキュリティーをハイレベルに設定してあるので、これを一時的に解除しようとしたが上手く出来ない。そこで、ヤマダデンキ日向店のサポートコーナーへ行って解除の方法を教えてもらった。
夜になって一時的に解除した状態でやってみたがやはりフリーズしてしまう。
ヤマダデンキの店員が言っていたように、HPBのヴァージョンが古い「V8」でありWindous7との相性の問題なのだろうか。 とすると、事は厄介だ。
第17日 4月8日 晴 走行82km 累計2,261km
青島 鵜戸神宮 飫肥 (泊)道の駅「酒谷」(日南市)
昔は新婚旅行のメッカだった日南海岸、その中心が青島。今はそれらしいカップルは見当たらず歩いているのはシニアの夫婦連ればかり。それも旅行会社のツアー客が多い。
JR日南線の青島駅へ行ってみたら、駅前は閑散としていてシャッターを下ろしている店が多い。まさに車社会で、みんな青島入口にある駐車場まで車やツアーバスで来ているようだ。
鬼の洗濯板とはよく名付けたもので、どうしてこんな岩の浸食ができたのだろうか。自然は不思議だ。
鵜戸神宮
切り立った断崖の中腹に社殿が建ち、本殿は洞窟の中にある。祭神は山幸彦と豊玉姫の子で神武天皇の父 鵜萱草萱不合命(うかやふきあえずのみこと)。
洞窟の下にある岩のくぼみに運玉を投げ、入れば願いが叶うという運玉投げを老いも若きもやっている。
鵜戸神宮の駐車場で、髭面の男に声をかけられた。昔、川崎に住んでいたことがあって川崎ナンバーの車を見たら懐かしくなり声をかけたとのこと。
飫肥まで帰るところだから道案内してやると言う。カーナビがあるから心配ないのだが、無下に断ることも出来ず軽トラックの後について行ったら、無料の観光駐車場へと案内してくれた。
飫 肥
飫肥は、天正15年(1587)から明治維新まで伊藤氏5万石の城下町として栄えた町。石垣と石の階段そして復元された大手門が往時を偲ばせている。
また、この町は日本の近代外交の礎を築いた明治の外交官 小村寿太郎を輩出した地でもあり、生家が保存されている。
最近、飫肥は旅行会社の観光ツアーで人気のスポットなので、夕方遅い時間にもかかわらず人通りは多い。でも、人力車は閑そうだ。
武家屋敷通り
次の週へ
もくじ