ぶらり九州

第 3 週 2
4/9〜4/12

幸 島
都井岬
大隅半島
佐多岬
 



 
 第18日 4月9日  晴       走行106km 累計2,367km
 幸島の野猿 都井岬の野生馬  (泊)道の駅「おおさき」(大崎町)


幸 島 (こうじま)
日南海岸石波浜の沖合い200mほどの海上に浮かぶ幸島は、周囲3.5Kmの小さな島で亜熱帯性樹林に覆われた無人島で、約100頭の野生のニホンザルが生息していることから猿島とも呼ばれている。
幸島で初めてニホンザルの調査が行われたのは1948年であり、それ以来京都大学霊長類研究所によって研究が続けられていて、ニホンザルの社会構造の解明や海水で芋を洗って食べるサルの習性を研究している。
 
幸島へ渡る渡船は客が3人以上なら1人1,000円だが、それ以下だと1人3,000円になる。「誰か他の客が来るまで待っている」と言ったら、2,000円で渡してくれた。



 
幸島に上陸                        猿の親子


 


 
毛づくろい   じゃれ合う子ザル・見守る親ザル


都井岬
都井岬は、江戸時代に高鍋藩が軍馬の生産を目的として牧場を設けたのが始まりとされている。体高120〜130cm,体重250〜300kg程度で、当時の武士の馬が品種改良されずに生き残り野生化したのが岬馬です。








都井岬燈台
都井岬の突端にある都井岬灯台は海抜255mにあり、高さ15mの燈台は昭和4年に点灯開始され、日本の灯台50選にも選ばれている。
50年前の九州一周サイクリングのときに、ここで知り合った日大の学生のテントに一緒に燈台のすぐ下でキャンプしたことがある。明け方になって、外でなにか物音がする。飛び起きたら野生の馬だった。




この旅に出て初めて洗濯をした。道の駅「おおさき」に併設された温泉に入った後、温泉内にあるコインランドリーの洗濯機に洗濯物を入れてからレストランでゆっくり食事。1時間半後には洗濯物はカラカラに乾いていました。



 第19日 4月10日  曇              走行114km 累計2,481km
 内之浦宇宙観測所 シーカヤックの若者  (泊)道の駅「ねじめ」(南大隅町町)


大隅半島の東岸の台地にあるJAXA内之浦宇宙空間観測所は、科学観測ロケット及び科学衛星の打上げ・追跡・データ取得などを行っている。敷地は大隅半島肝付町の山の地形を利用して造成した台地に配置され、ロケット打上げ発射場になっている。


標高210mの台地にあるMロケット発射台



M-3S-3ロケット(左端に小さく人が立っています)


34mパラボラアンテナ 宇宙空間観測所の一番高い台地に設置され、
科学衛星からの電波を追跡受信する






シーカヤックで日本一周の若者
南大隅町の道の駅「ねじめ」の駐車場に車を停めて海岸に出たら、シーカヤックが海から上がってきたところだった。砂浜に上がってきたのはシーカヤックで日本一周している若者だった。彼は昨年10月に静岡県浜松の海岸からシーカヤックで漕ぎ出して、大隅半島に着いた。これから玄界灘・日本海を経て稚内からオホーツク海・太平洋岸を漕いで今年末頃に浜松に着くという遠大なシーカヤックの旅である。
この夜は、彼が海で獲ってきた貝を肴にして大隅町の焼酎を酌み交わした。
 
彼は、シーカヤックでの旅の模様をブログに日々更新している。
http://hirumanonagareboshi.hamazo.tv/c584762.html へのリンク




 第20日 4月11日  雨後曇      走行11km 累計2,492km
 停滞              (泊)道の駅「ねじめ」(南大隅町町)


昨夜遅くなって降り出した雨は、天気予報どおり夜が明ける頃には風をともなってひどい降りようである。とても車で走り出すような気にならない。ちょっと車外に出ようとしたらアッという間に傘が壊れた。この旅に出て2本目の傘です。今日は停滞。
 
シーカヤックの若者も、とても海に漕ぎ出せるような波ではない。
二人で道の駅から5キロほどの所にある根占温泉に向かった。温泉に浸かってから、休憩室でパソコンのバッテリーを充電しながら遅れがちのホームページの更新をする。
 
温泉内のレストランで昼食を摂ったりして、かれこれ4時間も温泉にいて、ここを出る頃には雨も上がり薄日が射してきた。明日は天気がよくなりそうだ。



 第21日 4月12日  晴            走行111km 累計2,603km
 佐多岬 薩英戦争の大砲 鹿屋航空基地吉      (泊)鹿屋市


待望の本土最南端の佐多岬へ着きました。佐多岬ロードパークのゲートを入って行くと北緯31度線の標識が立っている。ここはカイロ・ニューデリー・ニューオリンズ・カラチなどと同じ緯度。
50年前に自転車で来た時は、この道路は自転車乗り入れ禁止なので、このゲートからバスに乗って岬の突端まで行った。
 
佐多岬灯台は岬突端の先の島に建っているので、ここには渡れない。いつも感じることだがこのような岬へくると、地球が丸いことを実感する。
海は紺碧であるが、見通しがよくなくて種子島や屋久島を望むことが出来ないのが残念だ。
ガジュマルのすごい大木がありました。



31度線


佐多岬


燈台は岬の先に立っている


ガジュマルの大木


薩英戦争の砲台
南大隅町の海岸線にある台場公園に薩英戦争時に錦江湾沿岸の防備に設置された砲台跡があった。
文久2年(1862)横浜生麦事件に端を発して薩英戦争が始まった。薩摩藩は英国艦の錦江湾来攻を察知して沿岸の防備を固めるため、南大隅町に台場を構築した。台場の高さは3m幅4mのみかげ石の石垣は延長60mにも達する。
薩英戦争の際に発射する機会はなかったが、錦江湾沿岸には数十の台場が構築されていた。




鹿屋航空基地
大隅半島のほぼ中央の鹿屋市に鹿屋航空基地資料館があり、旧海軍航空隊の興亡の軌跡や戦後の海上自衛隊の歩みなどを展示してある。基地の側には神風特別攻撃隊として散った若者たちの鎮魂の慰霊塔が建っている。
資料館の館内には特攻隊の遺品や資料、そして戦後錦江湾から引き上げられたゼロ戦を復元して展示してある。



ゼロ戦


そして、館外には現役を退いた飛行機十数機が展示してある。

P-2J対潜哨戒機 HSS-2A(ちどり)対潜哨戒機

US-1A(おおとり)救難飛行艇 魚 雷

T-34Aメンター(連絡機) S2F-1艦載用対潜哨戒機

P2V-7(おおわし)対潜哨戒機 B-65クインエア(うみばと)練習機



この旅に出てから日々撮った写真をホームページにアップしているが、写真をHPに取込もうとするとホームページビルダー(HPB)がしばしばフリーズしてしまう。ノートンのセキュリティーをハイレベルに設定してあることが原因と考え、セキュリティーを一時的に解除することも試みたが結果は同じだった。 
 
加入しているシニアネットのベテラン会員にメールで訊ねたら、HPBのVer8はWindous7に完全対応していないということだった。
旅の途中でHPBのバージョンをアップするのはちょっと躊躇したが、思いきってHPBのバージョンをVer16にアップすることにして、Yデンキ鹿屋店へ行ってVer16を買った。しかし、この旅で持ち歩いているPCにはディスクユニットが付いていないので、お店でVer16をインストールしてもらった。
 
Ver8もVer16も基本的な操作は同じなのだが、使い勝手は少し違う。でも、これまでのようにフリーズに悩まされることなくHPの更新が出来るようになった。
 
 
この日の夜は、義弟夫婦が鹿屋の実家に帰省しているのでその実家へ行き、義妹の父親とも一緒になって、本場のイモ焼酎を飲む。さすがイモ焼酎の本場であり、数種類の銘柄が用意されている。一番の高級品は1本1万円を超える品で、これはやっぱりなんとも言えぬ美味しいものでありました。


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