第1日 3月23日 雨 走行461km 累計461km |
川崎〜東名高速〜名神高速〜大津SA |
長い旅の始まりです。家人に送られて雨の降る中の旅発ちになってしまった。一昨年の北海道行きの時も雨で、しかも一週間ずっと降り続いた。雨男なのかなー
出がけに体重を測ったら57.6kg 体脂肪23.5 内脂肪10 帰ってきた時にどんな数値になっているか。
古希にもうすぐ手が届くというのにこんなことして遊んでいていいのだろうか。これから先の人生が何年あるのか分からないが、体力が衰えていくのは確かなこと。これからの人生は下り坂なのだから、過去を振り返らずこれから先のことだけを考えると、今時点が一番若いと言える。だから、今だから出来ることをやっておきたい。そして、一昔前に流行ったフレーズ「亭主元気で留守が良い」
下関までは高速道をひた走りに走ったが、高速道路土日1,000円の制度が昨年春で廃止になったのが恨めしい。
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第2日 3月24日 曇り一時雨 走行568km 累計1,029km |
川崎〜名神高速〜山陽高速〜下関 (泊)道の駅「菊川」(下関市) |
昨日一日中降り続いた雨は、今朝、明け方になって止んだ。
山陽道を西に向かうに従い天候は回復し、午後になると晴れ間もみえてきたが、甲子園の高校野球の第3試合は中止になったようだ。
今回のこの旅に使う車はステーションワゴンと呼ばれる車種でトヨタのCALDINA2000,走行距離87,000キロ。後部座席を畳むと完全にフラットになる。主な携行品は登山用具一式、折り畳み自転車、パソコンその他諸々。
今回の旅をするに当たりカーナビを買い替えた。このカーナビはモードを車用・自転車用・歩行用に切り換えられ、それぞれに適したように案内してくれる。
夕方になって下関に着き、下関郊外の菊川温泉に浸かってから道の駅「菊川」が今日の泊まり場所。
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第3日 3月25日 晴 走行88km 累計1,117km |
門司港 小倉城 炭鉱節 (泊)道の駅「ひこさん」(福岡県添田町) |
関門海峡のトンネルを潜って、いよいよ九州入り。下関までは高速道路をひた走りに走ってきたが、九州に入ってからは高速道路は走らないつもり。
門司港レトロ
門司港駅を中心としたエリアは「門司港レトロ」と呼ばれ、明治・大正時代の洋風建築が建ち並んでいる。空はからりと晴れているが冷たい風が吹いている寒い日だが、日曜日なので朝から観光客が大勢歩き回っている。
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旧門司税関
国際友好記念図書館
旧大阪商船
旧門司三井倶楽部
レトロな駅舎で知られるJR門司港駅の駅舎は1914年に建築されたものであり、88年に駅舎としては初めて国の重要文化財に指定された。
駅前広場ではフリーマーケットが開かれている。衣類や雑貨そして盆栽まで並んでいて結構盛況だ。
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1959年に再建された小倉城天守閣は「唐造りの天主」と呼ばれ、四層と五層の間に屋根のひさしがなく五層が四層よりも大きくなっているのが特徴的。また、城の石垣は切り石を使わない野面(のづら)積みである。
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50年ぶりに訪れた小倉城で昔写真を撮った場所を探した。その場所は大手門から入ったすぐの所だったが、昔は植えられてなかった桜が立派な大木になっている。
50年の歳月の長さを実感したが、今年は開花が遅くて桜のつぼみは未だ開きそうにない。
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50年前はサクラがなかった 50年ですっかり大木になった桜は開花には程遠い
小倉城の一画にレンガ造りの門柱がひっそりと立っている。 旧第十二師団司令部の正門跡です。明治8年に歩兵第十四連隊が小倉に設置され、小倉城松の本丸跡に歩兵第十二師団本部が開設された。このレンガ造りの正門は当時のもので、明治32年から十二師団の軍医部長を務めた森鴎外もこの門を通って登庁していたそうです。
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旦過市場 小倉城から歩いて10分程の所にある旦過(たんが)市場へ行ってみた。 神嶽川(かんたけがわ)と道路に囲まれた三角状の狭い土地に生鮮食料品店や飲食店など200軒以上の店が軒を連ねている。大正時代に神嶽川の荷揚げ場から始まり自然発生的に店が集まって発展したそうです。北九州市内にいくつかある市場(商店街)の中でも旦過市場は「北九州の台所」と呼ばれている北九州の街を代表する市場です。
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田川市石炭・歴史博物館 (三井田川工業所伊田抗の跡地)
炭坑節で「あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ」と歌われている煙突が、高さ45mのレンガ造りのこの煙突のこと。昔炭鉱で栄えた田川市の高台にある煙突は本当に大きい。
博物館の屋上からかってのボタ山が見えるが、ボタの山はうっそうとした森になっていた。
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竪坑櫓(高さ23m 深さ300m)
炭鉱住宅(再現)
第4日 3月26日 晴 走行87km 累計1,204km |
小鹿田焼 日田 (泊)道の駅「やまくに」(奥耶馬渓) |
小鹿田焼(おんたやき)
小鹿焼は大分県と福岡県の県境 日田市の山あいの小鹿田地区で焼かれる陶器である。14軒の窯元がありその陶芸技法が平成7年に国の重要無形文化財に指定され、平成20年には地区全体が「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定されている。陶器の紋様が素朴でとても美しいです。
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窯元
流水を利用して土を捏ねている
傾斜地に造られた登り釜
登釜のレンガ造りの煙突
焼きあがった陶器を干している
小鹿田焼は紋様に特色があり、どれも美しい
日田 豆田町 江戸時代の初頭、日田の豆田町はお城を中心に出来た城下町であった。1639年に日田は天領となりお城の麓に代官所が設置された。その後数度の大名領や大名預かり地の時代を挟みつつ幕末まで徳川幕府の直轄地として重要視されていた。 ところが、明治時代になり江戸幕府がなくなって大名・商人たちの行き来がなくなると、豆田町は少しづつ静かな町になっていった。
しかし、昭和50年代に入って古い街並みを活かした町づくりが進められ、観光客が訪れるようになり町に活気が戻ってきている。
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