第5日 3月27日 晴 走行74km 累計1,278km |
耶馬渓青の洞門 福沢諭吉 双葉山 宇佐神宮 六郷満山 (泊)友人宅(豊後高田市) |
耶馬渓「青の洞門」
越後の人 禅海和尚は仏道修行のため諸国を巡りこの地に着いた。たまたまこの川沿いの岸壁にかかる桟道で足を踏み外して墜死する人を見て、仏道修行者として岸壁にノミとツチをふるって30年、長さ342メートルの隧道を貫通させた。 |
禅海和尚
福沢諭吉は大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福澤百助の次男として生まれたが、1歳半の時父と死別し、母子6人で中津に帰藩し19歳までこの場所で過ごした。現存する家は16歳の時に買って移り住んだものであり、母屋の他、自らが改造して二階を勉学に使った土蔵が残っている。 |
昭和の角界に大きな足跡残した横綱 双葉山は宇佐市(当時は宇佐郡天津村)のこの家で生まれた。不滅の69連勝は今でも破られていないが、この当時は年2場所であったので、3年もかかっての連勝であった。 |
宇佐神宮 明治期の神仏分離で宇佐神宮となった現在も、全国に4万社余りある八幡社の総本宮として参拝者が絶えない。祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后の3神。比売大神は天照大神の娘とされているが、一説では卑弥呼だともいわれている? |
六郷満山 豊後高田で旧知の大石さんから六郷満山峰入りを案内してもらった。ほんの一部であるが、この行程の急峻な山道を体験してみた。
峰入りは国東半島・六郷満山に伝わる10年毎に行われる修験僧の荒行で、最近では平成12年と22年に行われている。六郷満山の開祖・仁聞菩薩(にんもんぼさつ)の境地を目指し、天台宗の僧侶が国東半島一帯に残る仁聞修行の地をたどる行事。養老年間
(717〜724)に始まったとされ、中断と復興を繰り返しながら伝えられている。白装束にわらじ、錫杖(しゃくじょう)を持って各霊場を巡りながら、4日間で約150キロを歩く荒行です。
この荒行には一般人も参加することが出来ていて、大石さんは平成22年にこの荒行に参加している。 (写真はいずれも大石さんが撮影したもの) |
大石さんは、50年前に私が自転車で日本一周したのと同じ時期に自転車で日本一周している人で、私が九州へ行った時は大石さんの家に泊めてもらった。そして、彼の日本一周の際には私の家に数泊して私が通学していた大学や東京オリンピックの会場巡りをした思い出がある。 その後、彼は29歳で豊後高田市の市議会議員に当選し、以後11期連続で議員を務めている。
後年、彼が上京したときに会ったことがあるが、今回は15年ぶりの再会であり、夜が更けるまで一杯飲みながらいろんな話に花が咲いた夜でした。 |
第6日 3月27日 晴 走行64km 累計1,342km |
豊後高田 昭和の町 国東半島 富貴寺 (泊)道の駅「くにみ」 |
明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな"お町"として栄えていた。豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくり。 昔懐かしい物がたくさん並んでいました。 |
商店街が途切れた所に「昭和ロマン蔵」があり、そこには昔懐かしいモノが展示してある。 |
富貴寺
富貴寺は、平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。中でも国宝に指定されている富貴寺大堂は、宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂の一つであり、平安時代後期に建築されたもので、現存する九州最古の木造建築物です。
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堂内に収められた本尊の阿弥陀如来像も国重要文化財に指定されており、日本四壁画の一つとされる阿弥陀浄土変相図は、極楽浄土の世界を描いているとされています。 本尊の阿弥陀如来坐像と、その後ろに描かれた極楽浄土壁画を拝観することで、この世にいながらにして極楽の世界が体験できるという造りになっています。 (写真はパンフレットから) |
熊野磨崖仏
田原山の山中 胎蔵寺から300mほどの遊歩道を上って行くと、鬼が一夜で築いたという2体の磨崖仏があります。左に高さ8mの不動明王像、右に高さ7mの大日如来像が岩壁に刻まれいます。造られた時期は平安時代末期と推測され、両方とも国指定史跡、重要文化財に指定されています。鬼の造ったという石段は、人間を食べたい鬼が、恐れ多い熊野権現という神様に人間を食べたいとお願いしたといわれている。 |
不動明王
大日如来
第7日 3月29日 晴 走行28km 累計1,370km 自転車18km |
姫 島 (泊)道の駅「くにさき」 |
国東半島の沖合いに浮かぶ姫島は、古事記によると「いざなぎのみこと」・「いざなみのみこと」の神が「国生み」にさいし、大島を生み次に女島を生むとあります。この女島が姫島です。
国東半島伊美港から自転車を持ってフェリーに乗りで20分で姫島に上陸。人がいない。姫島は小泉内閣時代の平成の大合併の際に、合併しない村としてマスコミで報じられ、人口2,400人の村は最近は車エビの養殖もやって頑張っています。 |
姫島港から自転車で10分程走った所に地層褶曲というのがあった。二つの地層にはさまれた軟弱な層に地殻の変動等で側圧が加えられ、地層中に唐草瓦のような模様が連なっています。 |
姫島一の景勝地 観音崎に馬頭観世音を祀った小さなお堂がある。ここは黒曜石の産地であり、地表に露出していて、北海道の十勝(白滝地方)や長野県霧ヶ峰周辺などと並び全国的に貴重です。
露天の黒曜石は、観音崎一 帯に見られ、この黒曜石が波に洗われる様は壮観で、他では見られない景観となっている。また、全国の黒曜石が黒色であるのに対し、姫島の黒曜石は乳白色であり、地表上に噴出して急速に固まったもので極めてまれなものである。
石器時代には「矢じり」などに重用され、特に縄文時代に利用の急激な拡大がみられま す。姫島から海を渡って運ばれた黒曜石が、九州だけではなく四国や中国地方の遺跡からも出土しています。 |
姫島灯台 灯台を見ると写真を撮りたくなります。
燈台を出てからの港に向かう途中に温泉がある。拍子水(ひょうしみず)温泉」は、姫島村に昔から伝わる“姫島村七不思議”のひとつ“拍子水”を利用した温泉です。温泉はとても温かったです。
日本書記によると、姫島村の名前の由来となった“比売語曽(ひめこそ)神”が、手拍子を打って天に水をもたらすよう祈ったら冷泉が湧き出たという言い伝えから名づけられた。 |
姫島の漁港 ここの並びにフェリーターミナルがあり、姫島一周のサイクリングを終えて伊美港へ帰ってきた。 |
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