'13 ぶらり北海道

 
 

第8週2
(8/23〜8/26)
標 津
床丹小学校
納沙布岬
霧多布岬
厚 岸

 
 
 
 
 第53日 8月23(金) 曇    走行145km 累計3,949km 
 標津 床丹 奥行臼駅逓           明治公園(根室市)
 
 
 標津の町から15分ほど走った町はずれの「ポー川史跡公園」にあった「標津〜国後島海底電信基地」の跡地の建物です。
 この海底電信基地は、明治30年国後島泊村との電信を聞くため標津村(現標津川河口)に基点の建物としてレンガ造りで造られた海底電線基地であり、これと同様の建物が国後島泊村ノツテト岬の突端にも建てられていたそうです。

 
標津村立開拓の学校「伊茶仁教育所」
 この学校は明治23年私塾として開かれたもので、、この地方の原野開拓が盛んになった頃の学校の姿を再現しているものである。

 
 
 
別海村立床丹小学校
 50年前の北海道一周サイクリングのときに泊めてもらった床丹小学校の校長先生の家族と一緒に撮った写真です。(男の子が私に不思議そうな視線を送っている)
 しばらくの間年賀状を交わしていたが、いつしか途絶えてしまった。
 
 今回の旅に出る前にあらかじめネットで下調べしたら、明治26年に開校したこの学校は昭和45年に統廃合されて閉校になっていた。
 何か残っているだろうと学校があっただろうと思われる所に行ったが、誰かに訊こうと思っても人がいない。
 やっと見つけたのが「床丹コミュニティーセンター」なる建物。その入り口に草むらに隠れるように「床丹小中学校」の門柱を見つけた。(何故か「小中」の二文字が削ってある)
   
 
  
 
 紋別の駅逓で教えてもらった奥行臼の駅逓へ行ってみた。
 駅逓は交通不便だった時代に駅舎と人馬等を備えて宿泊、物資の逓送の便を図るために設置されたものである。
 
 奥行臼の駅逓は明治43年に設置され、昭和5年に駅逓の制度が廃止されるまで続いたが、その後しばらくの間は旅館として営業していた。

 

 
 
 
 第54日 8月24日(土) 曇   走行112km 累計4,061km 
 納沙布岬             霧多布岬キャンプ場(浜中町)
 
 
根室の市街地を抜けて納沙布岬へ向かうと「返せ!北方領土」の看板が至る所に立っている。
  
 
 
 
 納沙布岬の大きなアーチは、北方4島との架け橋を示すシンボルであり、アーチの下には消えることのない火が灯されている。
 昭和20年8月15日の終戦後に侵攻した旧ソ連軍によって分捕られてしまった北方4島は目に見える距離である。事実上のロシア領になっている貝殻島との距離はわずかに3.7キロの近さである。
 この海域は昆布などの漁場であり、昔はソ連船にだ捕されたとのニュースが流れたが最近あまりそのことを聞かない。北方記念館で尋ねてみたら、入漁料のようなものを払っているのだそうだ。、

 

 
 
 
 
 
 根室はサンマ漁が始まったところです。
 昼食に根室駅にほど近いホテルのレストランに入った。花咲港に水揚げされたばかりのサンマの刺身はとても美味でありました。
  
 
 
  
 
 第55日 8月25日(日) 曇    走行0km 累計4,061km 
 休 養                    霧多布岬キャンプ場
 
 
 昨日、一昨日の2日間で250キロも走った。これは大変珍しいことだ。今日は天気もあまり良くないので完全休養日。
 
 このキャンプ場にに数週間テントを張っている鳥取県から来たライダーがいる。彼は毎年夏はこのキャンプ場で過ごしているフリーランスのライター。時には奥さんが鳥取から飛行機で来るので釧路空港まで迎えに行くとのことだ。
 
 
 北海道にしかないものがある。いずれも「北海道限定」と書かれている。左はコアップ・ガラナという北海道産のジャガイモを主原料にした炭酸飲料で、コカ・コーラのような味がする飲み物。右は缶ビールでしっかりと北海道限定と書かれている。
     
 
 左はセイコマートのコンビニカード。北海道にもローソンやセブン・イレブンはあるが圧倒的にセイコマートが多い。特に道北に行くとセイコマート以外のコンビニがなかなか見つからない。厄介なのはセイコマートにはATMがないことだ。今回の旅では土日に利用できない不便はあるが、ATMは郵便局を利用している。
 右はガソリンのカード「モダ」。他店に比べると値段が圧倒的に安いので、1万円づつチャージして全道に40店舗あるこのスタンドで専ら給油している。
  
 
 
 
 第56日 8月26日(月) 曇      走行57km 累計4,118km 
 太田屯田兵屋             道の駅「あっけし」(厚岸町)
 
 
 厚岸の市街地の北15キロほどの太田地区に屯田兵の兵屋があった。
 兵屋は、明治23年に北方警備と北海道の開拓を目的として本州からここに入植した屯田兵440戸が暮らす住宅として、標茶集治監の囚人たちによって建てられた。
 屯田兵に支給された兵屋は17.5坪の木造平屋建てで、土間及び六畳と四畳半の2部屋、居間、台所、便所からなっていて、居間には炉が設けられている。
 明治37年の屯田兵制度廃止後も住宅として使用されていたが、昭和46年に解体復元されて町に寄贈された。

 

 

 
 
 この兵屋への町道を車で走って行くと、前にノロノロ運転の軽自動車が走っている。この軽自動車は私が目指している所で止まった。
 この92歳になる老人は、兵屋の隣の住宅に住んでいる人で、実は兵屋を町に寄贈したのはこの老人であり、明治23年に入植した屯田兵の孫だった。 

 
 
 
 
厚岸はカキの産地として名高い。
この日の夕食は、道の駅のレストラン「コンキリエ」で、
カキを食べながらワインが進みました。

 
 
 


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