第39日 8月9日(金) 小雨 走行75km 累計3,088km |
幌加内の蕎麦 道の駅「けんぶち」(剣淵町) |
昭和40年代に米の減反政策進み、代替作物としてそばの作付けが始まった。冷涼な気候、昼夜の寒暖の差、日中の気温上昇を緩やかにする朝霧などの気象条件などの自然条件が適していたことから、栽培面積が増え昭和50年代半ばには生産量・作付け面積ともに日本一になった。 |
国道275号線に面したこの農場はそばの栽培面積165町歩(東京ドーム50個分)をこれらの機械で栽培している。農場の一画にはそばを食べられ店を開いていて、その片隅には機械が展示してある。これらの機械は現役の機械で1台が1,000〜2,000万円するものだそうだ。
9月中旬にはそばの刈り取りが始まるのでコンバインが活躍するし、そば店もやっていられない言っていました。 |
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コンバイン(そばの収穫機械)
刈り取りと同時に同時に脱穀を行う |
トラクター(ニューホランド製)
種と肥料を同時に蒔く機械 |
トラクター(ジョンティア社製)
土を細かくして、畑を均一にする機械 |
第40日 8月10日(土) 曇 走行87km 累計3,175km |
移 動 道の駅「たきのうえ」(滝上町) |
深夜大分強かった雨の降りが明け方には弱くなったが、今日は停滞と決め込んで、道の駅の広場で行われているお祭りを見物。この時期北海道では土日には各地でこのようなお祭りが行われている。
その雨も10時過ぎには上がり、雲は大分高くなり時折り薄日が差してきた。明日の鴻之舞鉱山見学に備えて滝上町へ向けて出かけることにした。近道のつもりで通った道道61号線は標高700mを超える上紋峠を越える道路だった。道路は舗装されているが、峠付近は霧で視界100m位の道だった。
昨日幌加内の日帰り温泉で、風呂上がりに喫煙コーナーでコーヒー牛乳を飲みながらタバコを吸っていたら、老人に話しかけられた。84歳になるこの老人はこの町に住んでいる人だが〜〜
東京から北海道大学に入学し「都ぞ弥生の雲紫に〜〜」で有名なあの寮に入っていたが、昭和20年3月の東京大空襲で両親が亡くなった。その後はずっと札幌で会社勤めをし定年退職も札幌に住んでいたが、10年ほど前に幌加内町に引っ越してきた。
一戸建て200万円で購入した住宅にしばらく夫婦で一緒にいたが、今は妻は旭川で息子夫婦と暮らしているので一人暮らしをしている。
この町は老人にとっては「良い所だ」と盛んに言う。物価は安いし、町民は半額の250円で温泉に入れてバスで送迎してくれる。そして、医療施設も完備しているとも言っていました。 |
第41日 8月11日(日) 曇 走行84km 累計3,263km 自転車8km |
鴻之舞鉱山 上藻別駅逓所 道の駅「上湧別」(湧別町) |
鴻之舞鉱山
紋別の市街地から丸瀬布に向かって25キロ、鴻之舞で大正5年に金鉱が発見され翌年住友が本格的な開発に取りかかり、戦前から戦後にかけて東洋一の富鉱金山として栄えた。
最盛時には従業員数4,600人、人口15,000人の町が出来ていて、市役所出張所、小中学校、郵便局、病院、映画館もあった。
その後、採掘量の減少、公害問題などもあって、昭和48年に閉山した。かっては15,000人の住民で賑わっていた町はゴーストタウン化し、今では原野の中に朽ち果てた建造物がかろうじて生活の痕跡を留めている。 |
鴻之舞鉱山の象徴 大煙突
鉱山の入り口 精錬所の跡
閉山とともに住友は住宅や学校、映画館など全ての建物を撤去したが、二軒長屋のこの住宅だけは残した。ボランティアガイドにカギを開けてもらい内部を見せてもらった。中は昭和の雰囲気が残るちゃぶ台などの調度品が残っている。
この辺りには同じような長屋が数10棟あったが、他は全部撤去したので周囲は原生林と化している。 |
上藻別駅逓所の庭に展示されている鉱山のトロッコ
上藻別駅逓所
駅逓(えきてい)は北海道の開拓時代に物資や郵便物を扱いながら馬と共に宿泊できる交通の拠点だった。その当時、北海道中に20Kmおきに点在し入植者や旅人で賑わっていた。
上藻別駅逓所は鴻之舞鉱山から3キロほど紋別市街地寄りの上藻別にあり、大正6年に官設の駅逓所として建てられた。紋別地方で現存する唯一の駅逓所であり、戦前の北海道独特の建築形態を有する建物である。
昭和15年に駅逓業務が廃止になり、その後昭和24年まで旅館として使われていたが、昔の形態を残しながら駅逓の歴史を伝えていることから、平成20年に国の登録有形文化財に指定されている。 |
第42日 8月12日(月) 曇時々雨 走行0km 累計3,263km 自転車13km |
休 養 道の駅「上湧別」(湧別町) |
天気は大丈夫だろうと思い湧別漁港までサイクリング。漁港から戻るときに通り雨で物凄い降りようだ。お寺の山門などで雨宿りすること2回。雨宿り場所をすぐに見つけられたのは幸いだった。
その後は上湧別温泉に入り、休憩所でまさに休養の一日でありました。 |
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