第29日 7月30日(火) 曇後晴 走行8km 累計2,513km |
稚内駅 旧瀬戸邸 稚内森林公園キャンプ場 |
稚内駅が昨年春に改築工事が終了してとてもきれいになっている。そして、道の駅「稚内」がJRの駅内に同居してこれも昨年春にオープンした。駅内には稚内市地域交流センターが夜10時まで開放されていて無線ランが使え、さらにパソコンの貸し出しもしている。 |
稚内は日本最北端の駅なので「最北端の線路」と表示した車止めがあって、観光客は一様にここで写真を撮っている。改札口は人一人が通れる狭さでみどりの窓口もこじんまりしている。 |
旧瀬戸邸
外観はごく普通の民家だが、建物の内部の造り、家具調度が物凄い。
昭和20〜40年代、稚内の街は底引き網漁の前線基地として国内各地から人が集まり活気にあふれていた。底引き漁業はそれまでの沿岸でニシンやサケを待って獲る漁法と違って魚がいる漁場へ行って獲る漁法で漁獲量を高めた。
底引き網漁の親方 瀬戸常蔵はこれで財をなし、日本各地から取り寄せた木材を用いた邸を造った。この邸は現在稚内市が管理していて、国の重要文化財に指定されている。 |
稚内森林公園は稚内駅からほど近い丘の上にある公園である。付近には開基百年記念塔や氷雪の門、南極で死んだ樺太犬の像があり、晴れた日にはサハリンを見ることが出来る地である。
ここのキャンプ場にいた埼玉県から来た60代の男は、このキャンプ場にもう1週間もいるんだと言っていました。 |
夜になると、開基百年記念塔がライトアップされてきれいでした。
第30日 7月31日(水) 晴 走行50km 累計2,563km |
北方の植物 日本最北端の碑 宗谷岬 |
稚内に来て3日目になるが、未だサハリン(樺太)の島影を見ることが出来ない。しばらく稚内に留まることにしています。
稚内公園は稚内駅のすぐ近く標高約100mの高台にある公園であり、開基百年記念塔の前庭に北方植物園があり、本州だったら高い山へ登らなければ見ることの出来ない花がたくさん咲いている。
(花の名前は帰宅してから記載します。) |
宗谷岬
昼間は観光バスや乗用車・バイクがひっきりなしにやって来て、観光客は一様に「日本最北端の地」の碑の前で記念写真を撮っていく。
そんな道北最大の観光スポットも夜になると、ひっそりしている。そんな時刻になると、碑がライトアップされる。
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とっても寒かった
第31日 8月1日(木) 曇 走行33km 累計2,596km |
北防波堤ドーム 道の駅「わっかない」 |
稚内港北防波堤ドーム
高さ13.6m、全長427m、70本の太い柱のアーチ型のドームは、古代ローマ建築を思わせる。
この防波堤は、戦前、稚内〜樺太の定期船発着所として昭和6年に着工し昭和11年に完成したものである。かって、ここまで鉄道の線路が延びていて、稚泊(ちはく)航路が運行されていた。
戦後、この航路は廃止になり、老朽化が激しく昭和55年に改修工事が行われた。 |
稚内から樺太大泊に国鉄雅泊航路が開設されたのは大正13年のことである。
この航路は167キロの海上を約9時間を要し、宗谷海峡特有の濃霧、ときには流氷と戦いながら運行されていた。
しかし、終戦直後の昭和20年8月24日、23年間にわたる歴史的使命を終えその幕を閉じたのである。と、雅泊航路記念碑に書かれてありました。 |
第32日 8月2日(金) 曇時々晴 走行75km 累計2,671km |
サハリン遠望 道の駅「さるふつ」(猿払村) |
やっと見えたサハリン
この日の天気は高曇りで、ときどき青空が見える。宗谷岬後方の高台に上がったらぼんやりと島影が見える。島影は次第にハッキリしてきた。5日間も待った甲斐がありました。
宗谷岬とサハリンのクリリオン岬の間の宗谷海峡は直線距離で約42キロ。肉眼では良く見えるのだが、カメラで写真にするとこんな具合でした。 |
旧海軍望楼
宗谷岬の後方の高台にあるこの望楼は、明治35年に日本海軍が建設したもので、当時最強と言われたロシアのバルチック艦隊の動きを監視するという任務が課せられていた。
日露戦争の終結とともにその任務は終わり、その後は無線基地として、また太平洋戦争時には対潜水艦監視基地として機能していた。 |
宗谷丘陵は年間平均風速7mもあることから、民間業者によって風力発電が行われている。日本海に面したオトンルイの風車は30基が整然と一列に並んでいたが、ここは57基の風車がランダムに立っている。
風車の真下へ行くと、グルグルという音が絶え間なく続いていました。 |
猿払村はホタテの産地。手のひら大の大きさのホタテ4枚を刺身に作ってもらい、今夜のお酒の肴にする。
とても美味しかったので、妻と義母にも送ったら送料が結構な値だった。 |
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