'13 ぶらり北海道




第2週2
(7/13〜7/15)
樺戸集治監
美瑛の街並み



     
     
 第12日 7月13日(土) 晴       走行104km 累計1,576km
 移動                (泊)道の駅「マオイの丘」(長沼町)
 
 余市から札幌へ向かって走り出すと、積丹半島方面へ向かう反対車線が混んでいる。小樽運河の辺りは観光客で大変な混みようである。世間は今日から3連休だからなのだろう。かく言う私は365連休なんです。
 当初の予定では札幌市内を自転車で観光するつもりだったが、札幌市内も混んでいるようなのでこれは止めることにして札幌は通過した。車の中から眺めた札幌ドームの辺りも大勢の人出だ。
 
 札幌を通り過ぎて隣の北広島市の竹山高原へ。高原と言っても北広島の郊外にある高台でゴルフ場がいくつかある所。その一画に「竹山高原温泉」がある。露天風呂に浸かって青空を眺めているのは良いものだ。
 
 
 
 
 第13日 7月14日(日) 晴      走行111km 累計1,687km
 樺戸集治監           (泊)道の駅「うたしない」(歌志内市)
 
旧樺戸集治監(月形町
 明治14年、現代日本創世の頃、佐賀の乱(明治7年)、萩の乱(明治9年)、西南戦争(明治10年)など多くの内乱が発生した。明治政府はこれらの内乱で逮捕した人たちを国事犯・反乱分子として隔離・収監する必要に迫られ、その地を北海道に求めた。
 こうして、アイヌ人たちが「シベツブト」(川が合流する地点)と呼んでいた現在の月形町に北海道で最初の集治監(刑務所)・「樺戸集治監」が造られた。ここは背後にヒグマが生息する樺戸の山々があり、前面には石狩川が流れる逃亡不可能な自然の要塞だった。
 初代典獄(現在の所長)は月形潔で、この人の姓からこの町の町名が生まれた。

集治監管理棟(所長室や事務室等があった)
 
 
 囚人は未開の地であった原野を開墾し現在の月形町の礎を造った。だから国は作業中に亡くなったり獄死した囚人を手厚く葬っている。
 集治監から車で10分ほど走った町はずれに篠津山囚人墓地があった。ここには、集治監が廃監されるまでの39年間に死亡した1022名が眠っている。墓石には戒名が刻まれ、裏面には俗名・没年・没年齢も彫られている。

   
    
墓石の戒名には「樺」の一字が彫られている。
 
 
 
 
 第14日 7月15日(月) 晴       走行102km 累計1,789km
 美瑛の街並み               (泊)道の駅「美瑛」(美瑛町)
 
 美瑛は丘の風景がきれいだが、街並みの光景も素晴らしい。
 戦前は陸軍の演習場だったが、戦後満州や樺太などからの引揚者や復員軍人が入植して農業を始めた人口1万人の農業と観光の町です。そんな町に観光客が年間150万にも訪れているそうです。驚くべき数字です。
 駅前の南北1kmのメーンストリートはモール化されていて電信柱がない。街並み景観条例で建物は一定の基準があって三角屋根になっていて、基礎部分には高さ90pの美瑛軟石が施されている。そして、それぞれのお店の庇には4桁の数字が掲げてある。これはそのお店が営業を始めた年であり、交番は「1923」と掲げてあります。

 
  
 
 
 
 道の駅の駐車場に車を停めてから、駅前にある観光案内所の前のベンチでジュースを飲んでいたら、おばあちゃんに声を掛けられた。「健ちゃんじゃないかい?」。世の中には似た人がいるようだ。
 このおばあちゃんは中富良野で生まれて美瑛の町に嫁いで三男二女を育て、ずーっとこの町に住んでいる92歳。長男の他の子は札幌や旭川に出ていったが、今は長男夫婦と一緒に住んでいる。
 昼間は一人ぼっちなので「時々パチンコをやるんだ。そこへ行くと友だちがいるから〜〜。」    元気なおばあちゃんでした。
  
  


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