北海道ぶらり旅

 第 9 週  7/18〜7/24 
 利尻島〜稚内〜宗谷岬〜抜海〜サロベツ原野





 第57日 7月18(日)  雨時々曇     走行 27km  累計 5,740km
 利尻島

利尻島の朝は雨で明けた。利尻山登山に来た名古屋からのシニア、大阪と兵庫県からの中年と4人で沓形キャンプ場の休憩舎で山談義。彼らは今日は停滞して明日登ると言っている。
車に戻ったところへミニサイズのパトカーがパトロールにやってきた。職務質問を受けたわけではないが、しばらくおまわりさんと立ち話。事件はあまりないが、年に数回内地から来てこの島で自殺する者がいる。迷惑な話だが長期間放置されている車はチェックしている。この警官は今年春にここへ赴任したが、それまでは稚内警察署で刑事をやっていたそうだ。この警官の趣味がカメラなのでカメラ談義で話が弾んだ。

昼近くになって雨は上がったがキリが深い。ライトを点けて10キロほど走って鴛泊の利尻富士温泉へ。風呂から上がってから大広間で写真の整理やホームページの編集。

今から5年前の平成17年9月に利尻山に登った。
下山してから民宿での夕食前に海岸を散歩したとき、番屋と呼ばれる作業小屋で漁師の老人がコンブ干しの作業をやっていて、コンブ漁のことをいろいろ話してくれ、利尻昆布を3本ばかりくれた。「きをつけ」をして少し緊張気味だったがいい笑顔をしている老人だった。

名前も住まいも聞いていなかったが、狭い街なので家はすぐに分かった。奥さんが出てきて「主人は3年前に亡くなりました。」 この写真を撮った数ヵ月後に肺ガンが見つかり、その2年後に80歳で亡くなったとのことだった。少し大きめにプリントした写真を見て、「まだ元気だった頃の最後の写真になります。」と言って、深々と頭を下げられました。




 第58日 7月19日(月)  雨    走行 11km  累計 5,751km
 利尻島  

今日もまた雨である。開店するのを待つように利尻富士温泉へ。風呂から上がって大広間へ行くと、昨日と同じテーブルに昨日と同じ70歳ぐらいの人がパソコンを前にして座っている。千葉県から来た人で、もう2週間もここでこうやっているので「従業員ともすっかり顔なじみになってしまった。」 PCのキーを叩くことなく、イヤホンを耳につけてじっと画面に見入っている。どうやら映画を見ているようだ。


不躾な男
朝、キャンプ場の駐車場でパソコンをやっていたら車の窓をコンコンと叩く音がする。東京練馬区から来た男がワゴン車のバッテリーが上がってしまったと言う。昨夜お酒を飲みすぎて、ルームライトやラジオのスイッチを切るのを忘れて寝入ってしまったとのこと。困ったときはお互い様だと思いブースターケーブルを出して助けてやった。無事エンジンがかかったら、今度は「ケイタイを貸してください」と言う。昨夜は確かに有ったケイタイが見つからないので、自分のケイタイ宛てに電話してあり場所を探したいとのこと。音は鳴らなかった。「マナーモードにしてたのかなー」
別に何かを期待していたわけではないが、たった一言「ありがとうございました」。こんな男にいつまでもかかわりあっていられないので、さっさと温泉に行った。  「酒は災いの基」 気をつけよう。




 第59日 7月20(火)  曇時々晴   走行 20km  累計 5,771km
 利尻島一周サイクリング

利尻島へ来て3日目になってやっと雨が上がった。鴛泊フェリーターミナルの駐車場に車を置いて、一周53キロの島を時計回りにサイクリング。
姫沼は原生林に囲まれた沼で、周囲1キロの遊歩道が設けられていてクルマユリなどがきれいに咲いている。天気が良ければ利尻山が沼に映るのだが、今日は「逆さ富士」は見えなかった。
姫  沼 クルマユリ
ヨツバヒヨドリ イチヤクソウ

利尻島・礼文島や稚内の海で獲れるコンブはみんな「利尻昆布」という名前で出荷されている。久しぶりに雨が上がって漁師はコンブ干しに忙しそうだ。

利尻島には利尻町と利尻富士町の2っの町があり、それぞれの町に「郷土資料館」と「博物館」がある。ここで新しい発見があった。
この旅に出てから、メールのチェックやHPの更新をハンバーガーショップ「マクドナルド」でコーヒーを飲みながらやっているのだが、同名のイギリス人「マクドナルド」が1848年に利尻島に漂着したとのことだ。全く関連性はないと思うが、妙に親近感を感じた。
利尻島郷土資料館 利尻町立博物館

これまで何回かウニ丼を食べたが、オタドマリ沼近くのすし屋で食べたウニイクラ丼はとても美味しかったが、値段もけっこうなものでした。



周囲53キロの島を一周するのに、あっちに寄ったりこっちに寄ったりしたので、6時間もかかってしまい、自転車のメーターは65キロを指していた。




 第60日 7月21日(水)  曇り    走行 42km  累計 5,813km
 利尻島〜稚内〜ノシャップ岬

1週間ぶりに戻った稚内は、今にも降り出しそうなどんよりした雨雲が漂っていて風が強く寒い。本州は梅雨が明けて猛暑が続いているようだが、北海道の天気予報はここ4日間は悪そうである。
マクドナルドへ行ってメールのチェックとHPの更新。たくさんのメールが来ていて、旅先で出会った人からのメールもある。一人旅をしていて受けるメールはうれしいものだ。

サロベツ湿原で日本海に沈む夕日を見たいので、サロベツへあまり早く行くわけにはいかない。稚内温泉童夢へ行って静養。




 第61日 7月22日(木)  雨    走行 64km  累計 5,877km
 ノシャップ岬〜稚内〜宗谷岬

1週間前に稚内公園の北方記念館を訪れたとき、200年前にロシアの侵攻を警備するため幕府の命により津軽藩の陣屋が稚内にあったことを知った。その折りに、稚内市教育委員会が編さんした「天明の蝦夷地から幕末の宗谷」と題する冊子をもらった。
その冊子を読んで、津軽藩陣屋や間宮林蔵のことをもう少し知りたくなって、再び北方記念館を訪れた。1週間前の女性がいて、さらに詳しく説明してもらう。冬の夜、箱の中に笹を敷き詰め熊の毛皮を敷いてから布団を敷いてある「寝棺」といわれる寝所が再現されている。寝棺を体験できるようになっているが、なんだか棺桶を連想してしまい、体験はやめといた。


夕方になって雨は止み風が弱くなったので、宗谷岬へ向かう。気温17℃風速6mで寒いが観光客がちらほらいる。そんな中に日本一周徒歩旅行の大阪の青年がいた。大阪を5月に発って太平洋岸を歩いてきて、これから日本海側を歩いて九州まで行ってから年末には大阪に戻りたいと言っている。
夜になると、日本最北端のモニュメントがライトアップされてきれいだが、観光客は誰もいない。






 第62日 7月23日(金)  晴れ    走行 80km  累計 5,957km
 宗谷岬〜稚内〜夕陽が丘

宗谷岬の朝の気温16℃風速4mでちょっと肌寒い。それでも、観光客はぞくぞくとやって来て「日本最北端の地」のモニュメントの前で記念写真を撮ってバスに乗って行ってしまう。
最北端の地モニュメントの道路はさんだ高台に大韓航空機撃墜事件慰霊碑が宗谷海峡を見下ろすように建っている。それにしても民間機を撃墜するとはソビエト空軍は酷いことをしたものだ。一瞬にして、269人もの命が奪われた。この高台には旧日本海軍が明治35年に建設した望楼も当時のままの姿で残されている。
大韓航空機撃墜事件慰霊碑 旧日本海軍望楼

宗谷岬からほんの少し歩くと宗谷岬駐在所が建っている。5年前に来たときは「日本最北端警察官駐在所」という看板が掲げられていたが今はかかっていない。



稚内市街地から30分ほどの日本海に面した夕陽の名所  夕陽が丘パーク




 第63日 7月24日(土)  晴れ    走行 72km  累計 6,029km
 夕陽が丘〜抜海駅〜豊富温泉〜サロベツ原野

牧草地帯が広がっていて、いたる所に白いビニールに巻かれた牧草ロールがころがっている。牧草を刈り取った後1〜2日天日乾燥し、トラクターでロールに巻いてからビニールを巻くそうだ。1個のロールは直径1.5m重さ350kgもある。牧草ロールの登場で役目を終えたサイロが朽ちかけて残っている。はるか遠くに利尻山も見えている。

抜海(ばっかい)駅は稚内駅から旭川に向かって2つ目の原野の中にポツンとある無人駅。あたりに人家はない。1日に上り下り5本づつのディーゼルカーが停まるが、乗り降りする客は少ない。
駅前に車を停めて写真を撮ろうとしていると、ワゴン車の中から2人の男が現われて「NHKだが、この駅を訪れる人を取材している。」 私の旅行の話を聞いて興味を持ったようで取材をさせて欲しいと言う。カメラマンの注文で、パソコンを開いているところやノートにメモを書いているところなどを撮られる。
30分の放送の中で私が映るのはほんの数分だけだろう。放送は8月下旬になるが、事前に放送内容を連絡してくれることになっている。



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