北海道ぶらり旅


 第 7 週  7/4〜7/10 
 旭川〜芦別〜雨竜〜増毛〜羽幌〜天売島




 第43日 7月4日(日)  晴一時曇     走行 72km  累計 5,017km
 当麻〜旭川〜芦別

旭川の北隣の当麻町はスイカの産地で、「でんすけすいか」とネーミングしたシマ模様がなくて黒いスイカが店先に並んでいる。なんでデンスケなのか尋ねたら、「田(デン)を助ける」が語源だそうだ。



旧旭川偕行社は明治35年に旧陸軍第7師団の将校たちの社交場として建てられた洋館で、現在は中原悌二郎記念旭川彫刻美術館として公開されている。また、高倉健主演の映画「動乱」の将校たちの決起シーンの撮影はこの洋館で行われた。



作家 井上靖の父は第7師団の軍医で靖は旭川市内の軍の宿舎で生まれている。
上川地方のアイヌを代表する旧家8代目当主の川村カ子ト(カネト)が私費で設立したアイヌ記念館には熊送りの儀式の用具、鮭の皮で作った靴や魚捕りの矢などが展示されている。
井上靖記念館 川村カ子ト アイヌ記念館

北海道の銘酒「男山」酒造の工場見学に行ったら試飲コーナーがあったが、試飲をせずに1本だけ買ってきました。夜に飲みます。




 第44日 7月5日(月)  晴時々曇    走行 84km  累計 5,101km
 芦別〜歌志内〜滝川〜雨竜  

北海道のバス停留所は凝ったものが多い。市街地ではポールが立っているだけだが、郊外にはこのようなとんがり屋根の停留所でドアもしっかり閉まるようになっているものがある。雪の季節に一日数本しか来ないバスを待つには、この停留所がなかったら耐えられないだろう。
長万部近くの今金町 えりも岬近くの牧草地帯

10日ほど前のことだが、後首に発疹ができ少し痒みを感じていた。掛かりつけの美人皮膚科医にメールで患部の写真を送り診断を仰いだ。すぐに返信があって、「植物か虫によるものと思われるので、リンデロン軟膏等を塗るか、皮膚科医を見つけて受診するように。」との診断だった。週末だったこともあり、しばらく様子をみることにしているうちに痒みも発疹も治まってきた。
後になって考えると、美瑛の丘で普通の観光客が行かないような所に入り込み、木の下で写真を撮っている時に、ウルシかなにかの木に被れたのだと思う。過去に岩手県でそのような経験があり、そのときは両腕だったが症状がよく似ている。、




 第45日 7月6日(火)  曇り    走行 29km  累計 5,130km
 雨竜沼ハイキング〜雨竜町

雨竜沼湿原は暑寒別天売焼尻国定公園の南に位置する標高850mの湿原である。間近に標高1296mの南暑寒別岳、1492mの暑寒別岳をのぞみ、大小100の池塘が点在し、6月中旬から秋には湿原性の花が咲いている。
登山口を発つ時は小雨が降っていたが、歩き始めて1時間ほどで雨は上がり、咲き誇っている初夏の花の写真を撮った。残雪の南暑寒別岳へ登る予定だったが、山頂は雲の中で眺望は望めそうにないので、湿原で写真を撮ることだけに専念した。


シナノキンバイ イワイチョウ シラネアオイ
ハクサンチドリ オオバタイツボスミレ
チングルマ チングルマの綿毛 エゾカンゾウ
シロバナエンレイソウ ヒオウギアヤメ ミズバショウ



 第46日 7月7日(水)  晴のち曇    走行 117km  累計 5,247km
 雨竜〜雄冬岬〜増毛

雄冬岬って良いい響きの地名なので昔訪れたかったのだが、陸の孤島と言われ道路がないので来れなかった。昭和50年代に道路が開通し陸の孤島ではなくなった。

留萌線の終着駅増毛駅は無人駅で、高倉健主演の映画「駅STATION」はこの街で1カ月間もロケをやったそうだ。駅構内で営業中のそばやの「ニシンそば」が大変美味しかった。

北海道で一番古く一番大きい木造の小学校  人口の減少に伴い児童数が減って半分以上が空き教室。耐震基準を充たしていないので、来春閉校になる築10年の増毛高校に移る。

明治初頭ニシン漁が盛んだった頃、佐渡出身の青年が呉服商として優れた才覚と行動力で財を築いた。その後酒造も始めており、呉服商はなくなったが4代目が「国稀(くにまれ)酒造」を引き継いでいる。国稀は美味しいお酒でした。




 第47日 7月8日(木)  曇一時雨    走行 80km  累計 5,327km
 増毛〜留萌〜羽幌

「増毛元陣屋」は安政年間に秋田藩がロシアに対する北方警備の拠点として造ったものである。その跡地に増毛コミュニティーセンターがあって、当時の陣屋の模様をを再現してある。また、このセンターは図書館やパソコンが常備されていてインターネットも利用できる。



 第48日 7月9日(金)  晴れ    走行 2 km  累計 5,329km
 羽幌〜焼尻島〜天売島


天売島から見た焼尻島

羽幌港の駐車場に車を停め、自転車を持ってフェリーに乗って1時間で焼尻島に到着。おまわりさんが出迎えてくれる。人口300人の島で事件などないので、これが警察の仕事だと島の人は言うが、不審者の入島を見張っているのだろう。
焼尻島は周囲12キロの小さな島で、多少の起伏はあったがゆっくり走って1時間ちょっとで一回りした。
オオマツヨイグサ エゾニュウ


焼尻島から高速船で15分、天売島でもおまわりさんが出迎えてくれた。
島に一つだけの小中学校は小中合わせて生徒数20人で校長は1人だが校名・校章は別々に表示してある。学校が立派で大きいのは給食センターや他の施設が一緒に入っているからだとのこと。
学校入口の道道548号線には島唯一の信号機が設置されている。
これは、子どもたちが本土(島の人は北海道本島のことをこう言っている。)や内地へ行った時に戸惑わないようにとの配慮。島の人は「これも勉強だ」と言う。 

小中学校のすぐ近くの役場(羽幌町役場天売支所)では2日早く参議院選挙の投票を行っている。開票が行われる羽幌町へ投票箱を運ぶのに、海が荒れて船が欠航になった場合を考慮して、2日間繰り上げて投票を行っている。 

焼尻島にはないが、天売島には高校がある。学校の前で写真を撮っていたら、先生が「中を見ませんか」と言って、校舎内を案内してくれた。生徒6人、先生10人の学校だが一通りの設備は整っている。職員室には3人の先生がいて、教室には教師の机と生徒の机2っが向かい合わせにあり、まるで家庭教師のようにマンツーマンの授業。パソコン教室には8台のパソコンが並んでいて、全生徒が一緒に授業を受ける。普通科の高校だが、この日はウニの缶詰作りの実習で、先生も生徒もそのような服装でした。
居合わせた生徒に「これじゃー、成績は上がるネ」と言ったら、男生徒は「えへへ・・・」
来年春には4人が卒業するが新入生がいない。でも、翌年には1人新入生がありそれ以降もポツポツと新入生があるので、当面は学校は存続すると島の人は安心している。過去には生徒がゼロになりそうになり、その時は「奥の手」を使って学校を存続させたんだと、年配の人が昔を懐かしんでいた。


天売島はオロロン鳥があまりにも有名だが、昭和20年代に4万羽いたのが、現在では15羽しか確認されていない絶滅危惧種である。夕方、ウトウの探鳥ツアーに参加した。5〜60万はいるといわれているウトウが夕暮れになると一斉に巣穴に戻ってくる。人の目の前すれすれに低空飛行で巣穴に向かっていく様は壮観でした。
(上部2枚は昼間撮ったもので、深いものは2〜3mもある。)

旅館「オロロン」での夕食は豪華だった。ウニ、イカ、ホタテどれもとても美味しかった。そして、ビールはサッポロ、お酒は増毛の「国稀」、テレビはファイターズのナイター中継。道産子は郷土愛が強いようだ。





 第49日 7月10日(土)  曇り      走行 5 km  累計 5,334km
 天売島〜羽幌

フェリーターミナルでお土産やを開いている老夫婦は「学校前の信号機が設置されたのは私が交通安全指導員をやっている時でしたよ。」と言っていたが、こんな島にも指導員がいるなんて妙に感心した。
左側の2人は本土から来た人で、女性は羽幌町教育委員会の職員で、男性は島に歯科検診に来た羽幌町の歯科医。
出航時にはおまわりさんが見送ってくれている。

大きなアルミケースを持った一団がフェリーに乗り込んできた。前日に終えた投票箱を羽幌町の開票所に運ぶ人たちだ。警護の人がいるのかと周りを見たが、それらしい人は見当たらない。役場の職員は「我々だけで運んでるんですよ。」と、いたって平和な島である。



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