北海道ぶらり旅

 第 4 週  6/13〜6/19 
 札幌〜苫小牧〜鵡川〜新冠〜襟裳岬〜士幌





 第22日 6月13日(日)  晴れ   走行 100km  累計 2,666km 
 長沼町〜札幌郊外観光〜恵庭市

再び札幌へ行き、車で郊外を廻ってみる。
羊ヶ丘展望台は札幌市街から石狩平野を見渡せる丘で、「少年よ、大志を抱け」の名言を残したクラーク博士が大地に手をかざしている。羊は1頭も出ていなかったが、丘の上の結婚式場では結婚式をやっていた。






大倉シャンツェは札幌オリンピックで70m級ジャンプの舞台。スタート台は見上げる高さで、日の丸がはためいている。笠谷、金野らの「日の丸飛行隊」がポールに日の丸を3っも掲げたのが懐かしい。
3人目の選手をどうしても思い出せないので、リフト乗り場の女の子に尋ねたら、「私も思い出せないです。」一呼吸おいて「あっ、私未だ生まれてなかったです。」 随分昔のことになってしまったんだ。後でネットで調べたら青地だった。




北海道開拓の村は明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建物を移築復元したもので、開拓当時の雰囲気を醸し出している。電柱は丸太で碍子が出ているのものが立っているが、これらには配電されていない。この施設で使う電気は地下埋設されている。
嬉しいことに、シニアは入場料(\830)が無料。
旧開拓使札幌本庁舎(明治6年・札幌) 旧大石三省堂支店(明治40年・帯広)
旧青山家漁家住宅(大正8年・小樽) 旧近藤医院(大正9年・古平)
旧浦河支庁庁舎(大正8年・浦河)
旧来正旅館(大正8年・旭川) 旧近藤染舗(大正2年・旭川)

明治44年に建てられた札幌の巡査派出所の入り口では、サーベルを腰に下げた巡査が敬礼してポーズをとってくれている。そして、鉄道馬車の前では当時の車掌の衣服を身に着けた女の子がかしこまって写真に納まってくれた。
白い道産子馬が引く鉄道馬車は村内を走っていて、冬は馬橇になるそうだ。ちなみに料金は270円。




 第23日 6月14日(月)  曇一時晴   走行 60km  累計 2,726km 
 恵庭〜むかわ町

この旅に出て3週間になる。今日は休養日にすることにして、溜まった洗濯物を持ってコインランドリーへ。PCで写真の整理をしながら待つこと1時間、洗濯物はまるで天日に干したかのように乾いた。

北海道の車はみんな猛スピードで走る。街中を外れると、70キロで走っていてもどんどん追い越される。軽自動車にも・・・・。 急ぐ旅ではないので、後ろから速い車が来たら減速して左側に寄って追い越させてやる。追い越した車は後尾灯をピカッピカッと光らせて、「ありがとう」という合図をして走り去る。この合図をするのはトラックなど仕事車が多く、ナンバープレートが「わ」の車はこういったことはまずしない。

スピード違反取締り、いわゆるネズミ捕りに函館郊外・ニセコで出くわしている。2回とも対向車が合図をしてくれたので事なきを得ている。いずれも市街地から外れた交通量が少なくなってきた所だった。

ガソリンの値段は随分巾があり、函館は135円、札幌では140円位いを店頭表示している。江差で給油したときは144円だった。室蘭でプリペイドカードを買ってセルフで給油したら132円だった。


むかわ町は太平洋に面した町である。むかわ温泉「四季の館」で温泉に浸かり、ホタテ貝の刺身とフライの夕食。新鮮なホタテ貝が大変美味しい。
この町はスケート選手田畑真紀の出身地で、役場のかべに「「バンクーバー五輪銀メダル おめでとう」の大きな懸垂幕が垂れている。





 第24日 6月15日(火)  曇時々晴   走行 87km  累計 2,813km 
 むかわ町〜平取町二風谷〜新冠

アイヌ民族の文化を残している所は道内に何か所かあるが、二風谷は交通の便が悪いこともあって、観光客はあまり訪れない。それだけに俗化されてなくて素朴な感じが残っている。
チセと呼ばれる茅葺きの建物の中で、アイヌの女性がアツシ織りの着物を作っている。アツシ織りはオヒョウやシナノキの樹皮をはいで糸を作って織りあげるもの。
この女性はアツシ織りの第一人者で、妙に話が弾んでお茶をごちそうになった。

チセという茅葺きの建物


シナノキの樹皮を剥いものを蒸して乾燥している


さらに細く裂いて繋げて糸にする


アツシ織りという技法で織りあげた着物 (ものすごく高価)

義経伝説というのはどこにもあるものだが、平取町にもあった。道を尋ねた若いお母さんは「あくまでも伝説ですけどネー」と、懐疑的。でも、行ってみた。
源義経は源平の戦いの後、密かに陸奥から蝦夷地に渡りアイヌの集落が栄えていたピラトリ(平取)に一時居住したという。義経を御祭神にしている義経神社はなかなかに立派な社殿であった。





 第25日 6月16日(水)  雨   走行 48km  累計 2,861km 
 新冠町・新ひだか町 散策

重い雨雲が垂れこんでいてキリがでているが、雨にはなっていない。
日高地方は競走馬の産地で、新冠の市街地から5分ほどの所からサラブレッド銀座と呼ばれる8キロの道が続き、両側に牧場が広がっていてサラブレッドが草を食んでいる。




怪物といいわれ「ハイセイコー」の馬像が建っている。昭和50年頃だったか、騎手増沢末夫は鞭をマイクに持ち替えて「〜〜〜さらばハイセイコー」と歌っていた。ハイセイコーのお墓があるというので行ってみたが見つからなかった。人に聞きたくても誰もいないんです。


新冠から「二十間道路の桜並木」で有名な新ひだか町へ。巾36mの道路が7キロも続き両側はさくらの並木。むろん今は桜は咲いていないが、見頃の時期はみごとなことだろう。
霧雨が雨に変わってきて、少し肌寒さを感じるので温泉へ行ってゆっくりすることにする。新冠の温泉に浸かってからテレビを見ていると、天気予報は明日の朝まで雨が降り続くと言っている。
そのまま棟続きのホテルにチェックイン。

                       新ひだか町HPから




 第26日 6月17日(木)  曇後晴   走行 116km  累計 2,977km 
 新冠〜浦河〜えりも岬

浦河には乗馬公園があり、そのクラブハウスが色鮮やかできれいだ。クラブハウス内ではこの町出身の画家伏木田三夫の展覧会が開催されている。
牧場で遠巻きに写真を撮っていたら2頭の馬が近寄ってきた。近くでよーく見ると、馬はなかなか可愛らしい目をしている。








5冠馬シンザンの馬像 タケホープのお墓

島倉千代子が「風はひゅるひゅる〜〜〜」、森進一が「北の街では〜〜〜」と、歌っていたえりも岬は、歌のとおりに風が強く寒いところだった。
いつものことだが、岬へ来ると地球が丸いことを実感し、そして灯台を見ると写真を撮りたくなります。









 第27日 6月18日(金)  晴れ   走行 108km  累計 3,085km 
 えりも岬〜広尾〜旧忠類村(現幕別町)

黄金を敷き詰めるほどにお金がかかったことから「黄金道路」と呼ばれるようになった道路で、陸地側は断崖、海側は少し荒れれば潮が道路を洗うといった厳しい環境の国道336号線。


フンべの滝
黄金道路の途中にある滝で、砂礫層を浸透した水が、この崖地で表面に流出している。
年中枯れることなく、冬には氷の造形美を見せている。
フンべはアイヌ語で、鯨の意味

農林大臣や科学時術庁長官を務め「北海のヒグマ」ともいわれた政治家中川一郎は広尾町の出身。親子2代にわたって不遇の死に方をしたが、立派な記念館が建っている。
夏を迎えているのに、葉を付けていない木が何かを物語っているようだ。


昭和44年道路工事中に推定12万年前のナウマンゾウの化石が旧忠類村(現幕別町)で発見された。化石の発見場所から10キロ離れた所に建てられた記念館は二重ドーム建築で、館内中央には全長43mの復元骨格標本が回転している。






 第28日 6月19日(土)  晴れ   走行 122km  累計 3,207km 
 忠類村〜幸福駅〜愛国駅〜士幌

帯広と広尾を結んでいた国鉄広尾線は昭和62年に廃線になったが、昭和50年代に起こった「愛の国から幸福へ」ブームの名残で、今でも観光客は多い。もともとこの地域は幸震という地名だったが、福井県からの移住者が多かったので一字づつ取って幸福になったとのことである。

幸福駅に展示されているジーゼルカー


幸福駅


幸福駅ホーム



幸福駅に比べると、愛国駅は観光客はまばらだったが、岐阜県から来たカップルがいた。駅名は昔ここに愛国青年団があったことに由来しているらしい。
駅隣りの公園にいた元鉄道員のおじさんが言うには、時刻表と運賃表は昭和30年代のものだとのこと。







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