束  草

( 平成21年9月21日 )



束草(そくちょ)は朝鮮半島東側の東海(日本海)に面した韓国最北の人口9万人の都市である。
ここは38度線に近く北朝鮮との国境に近い。この町を緊張しながら観光した。

 前日に雪岳山(そらくさん)の山登りを終えてから夜遅く束草に着いてホテルに泊まって、翌日の北朝鮮国境線行きに備えて早めにベッドに入った。



高城(コソン)統一展望台

 束草(そくちょ)で乗ったタクシーは市街地を抜けると高城へ向けて快走した。高城が近くなると道路の要所々々に軍服姿の兵士が立っていて、軍用トラックが行き交っている。そして、道路の際にはコンクリートブロックが積み上げられていて、横断歩道橋のようになっているものもある。有事にはこれらを爆破して崩壊させて道路を封鎖して、北の侵入を防ぐのだと運転手は説明してくれた。さらに海岸線には北の工作員などの侵入を防ぐために有刺鉄線を這わせたフェンスが設けてある。

  

  


 国境に一番近い町 大津(テジン)を過ぎると、道路わきには顔に迷彩を施した兵士が銃を構えて立っていてその後方の土嚢の上には機関銃が据えられている。さすがにこの模様を写真に撮ることは出来なかった。
 束草から1時間で統一安保公園入口に着き、ここからはDMZ(非武装)地帯あり、名前・国籍を記入する等の手続をしてから、再びタクシーに乗って10分ほどで統一展望台に到着。ここは軍事境界線から直線で3キロぐらいの地であり、帰路にタクシーを拾うことは出来ないのでタクシーはここに待たせておくことにした。ここは38度線直近ではないので写真撮影等の制限はない。




 駐車場から小高い丘の上に上がって統一展望台に入ると、1階には朝鮮戦争当時の資料や現在の北朝鮮の写真が展示してある。ベランダに出ると軍事境界線を挟んだ北朝鮮側を眺めることが出来る。
 望遠鏡を覗くと軍事境界線を挟んだ韓国・北朝鮮の軍事境界線がよく見える。海に伸びているのが北朝鮮の景勝地 海金剛、その尾根はずっと西に連なり金剛山に続いている。

   


 統一展望台の前の広場には韓国空軍のP1ムスタングやM26戦車など朝鮮戦争当時の兵器が展示してある。
 そして、その後方の丘の斜面には植え込みに造られた「統一」文字が見える。また、駐車場の脇には機関車と客車3両を再利用したレストラン「統一列車」もある。南北統一は朝鮮民族の願いなのだろう。

  

  
戦車は子供の目にどのように映っているのか               斜面に「統一」の文字が刈り込まれている



韓国を歩き続けている人

 統一展望台の駐車場に待たせておいたタクシーに再び乗って20分ほどで着いた所が大津(テジン)という小さな町。
 町中を散策していたら、魚市場の前でリュックを背負いウォーキングシューズにストックを持ったいでたちの人に出会った。
 彼は南相範さん75歳の韓国人で元は医者だったとのこと。医者を辞めてから10年間にわたって韓国全土2万5千キロを徒歩で回っていると言っている。見れば、顔や手足は真っ黒に日焼けしている。
 かなりの大きさのリュックを背負っていて、時々キャンプをすると言っていました。



束 草 の 港

 大津から束草へは路線バスに乗った。往路ではタクシーはバイパスを疾走したが、路線バスは時折りバイパスを外れて巨津、杵城などの小さな町でお客を乗せたり降ろしたりして1時間ほどで束草の市街地のバスターミナルに着いた。束草はこの辺りでは大きな町である。

 港に行ってみるとイカ釣りの船が何隻も停泊していて岸壁にはイカがたくさん干してある。そして、テント張りの露店の魚屋兼食堂が続いていて、ビニールの水槽にイカを泳がせている。束草の海で獲れたばかりのイカをイカそうめんにした刺身はシコシコした歯応えでとても美味しかった。

 

 


ア バ イ 村


 束草のバスターミナルからタクシーで20分ほどのアバイ村へ行ってみた。ここは1950年に起こった朝鮮戦争のときに北朝鮮から逃げてきた人がこの地区に留まって造られた地区である。アバイとは北朝鮮の咸鏡道地方の方言で「お年寄り」という意味。この地区一帯は昔と変わらない造りの家や商店がが建ち並んでいる。
 この地区は韓国ドラマ「秋の童話」で主人公の女性が住んでいる家がアバイにあるという設定で、この地区が一躍有名になり。日本でもいわゆる「韓流ドラマ」で放送されていた。
  


 アバイ村に渡るには水路を渡し舟で渡らなければならない。この舟が「ケッペ」と呼ばれるもので面白い造りになっている。水路の両側をワイヤーロープで繋がれているワイヤーを乗客が引っ張って進む造りになっている。
 



在 韓 日 本 女 性

 束草(ソクチョ)のホテルの近くの食堂の店先でメニューを見ていたら「日本から来たのですか?」と流暢な日本語で尋ねられた。彼女はこの店の人で、日本名を森永秋子(仮名)といい、韓国人の夫・子供と一緒にこの町に住んでいる。20歳代で北海道富良野から韓国へ来て16年になるが時々日本に帰るのに便利なので国籍は日本国籍のままにしてあると言う。
 この食堂の屋号は「ナムチョカラ」で割り箸という意味。韓国ではどこの店でも金属製の箸を出されて違和感を感じていたが、この店では木箸が出されたので食べやすかった。この食堂の隣は義母が営む小さなスーパーマーケットのような店で屋号を「コーソ・ピ二ジヨム」と言い、早いという意味。ここではいろんな食料品を売ると共にキムパブ(韓国風のり巻き)を作って売っている。

ナムチョカラ コーソ・ピ二ジヨム 森永さん 朝食のキムパブと麺


 「ナムチョカラ」へは3日間朝食を食べに行ったが、出されたものはどれも美味しかった。最終日にはサービスだと言って「コーソ・ピ二ジヨム」で作ったばかりのキムパブやコーヒーをご馳走になった。キムパブは日本ののり巻きと違って、酢飯ではなくゴマ油と塩でで味付けしてあり具がたくさん入っていて大変美味しかった。
 束草を発つ日の朝、雪岳山(ソラクサン)の山登り後で不要になった登山用具や日本のレトルトカレーなどの食品を森永さんにプレゼントした。  束草は思いで深い地になった。

 5日間の旅の最終日、束草バスターミナル7:30発のソウル行き高速バスに乗った。
 ソウル中心街のデパートに入って土産物を物色していると、店員が話しかけてきたがチンプンカンプン。そこで、得意のフレーズ「イルボネソ・ワッスンミダ」(日本から来ました)。すると、すぐに日本語の分かる店員が来てくれた。お蔭で買い物がスムーズに進み韓国ノリや韓国のお酒を買った。



宮 廷 音 楽 の 演 奏

 再び高速バスに乗ってインチョン空港へ。この日は秋分の日を挟んだ5連休の最終日で空港は大きな旅行かばんを持った日本人がそこかしこに見られる。そんな中、空港のロビーできれいな音色の音楽が聞こえてきた。韓国胡弓と笛・琴の演奏で韓国の宮廷音楽とのことだ。演奏者もさることながら心洗われるような澄んだ音色にしばし聴き見惚れていた。

胡弓



       
今 回 の 旅 の 行 程
 9月19日 成田空港~インチョン空港~ソウル~束草(泊)
 9月20日 束草~雪岳山登山口~雪岳山小屋(泊)
 9月21日 雪岳山小屋~雪岳山下山~束草(泊)
 9月22日 束草~高城統一展望台~束草市街観光~束草(泊)

 9月23日 束草~ソウル~インチョン空港~成田空港



雪岳山登山へ

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